常に結論が正しいとは限らないが、それがないと社会が成り立たない。法と裁判をめぐっては、有史以来、数々のドラマが生まれてきた。 たとえば、古代における盟神探湯(くかたち)。容疑者に誓約をさせた上で、煮えたぎった釜に手を入れさせる。火傷をすれば有罪、無事なら無罪となる。つまりは、神が判断を下すという、神明裁判である。 盟神探湯は、『日本書紀』に3回記録されている。 最初の事例は、応神9年夏4月(西暦に直すことはできない。応神天皇が実在していれば、5世紀前半の人物ではないかと考えられている)の条で、武内宿禰(たけうちのすくね)受難の物語だ。ちなみに、武内宿禰は景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕えた忠臣で、『古事記』はこの人物を蘇我氏の祖と記録する。 応神天皇は武内宿禰を筑紫(九州)に派遣して、民を監察させた。すると弟の甘美内宿禰(うましうちのすくね)が武内宿禰を排そうと考え、天皇に讒言(=ざんげん=偽りの報告)を行なった。 「武内宿禰には天下を狙う野心があります。筑紫で密かに謀り、筑紫の地を独立させ、三韓(朝鮮半島南部の国々)と手を結び、天下を取ろうとしているのです」 そこで天皇は使者を遣わして武内宿禰を誅殺しようとするが、武内宿禰は難を逃れて都に戻り、無実を訴えた。天皇は、武内宿禰と甘美内宿禰双方の主張を聞いたが、言い争いになって是非を決めることはできなかった。天皇は勅し、天神地祇に祈り、盟神探湯をさせた。磯城川(しきのかわ)のほとりで行なわれた盟神探湯の結果、武内宿禰が勝ち、甘美内宿禰を殺そうとしたが、天皇が制したという。
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