インテリジェンス・ナウ
大韓航空機撃墜事件「オトリ偵察」説の裏にナゾの米国人スパイ
1983年9月1日、ニューヨーク発ソウル行き大韓航空007便のジャンボ機がサハリン上空で旧ソ連軍戦闘機に撃墜され、乗客・乗員269人(うち日本人27人)全員が死亡した、あの事件から来年でちょうど30年になる。
大韓航空機がソ連領空を侵犯したのは単なる「航法ミス」だったのか、それとも「オトリの偵察」が目的だったのか――東西冷戦のさなかに起きた怪事件の真相は今なお解明されたとは言い難い。
「新事実」はKGBトップの議事録から
しかし、このほど米ウィルソン・センターの「冷戦国際歴史プロジェクト」(CWIHP)が得た文書から新事実が明るみに出た。文書は、当時のソ連国家保安委員会(KGB)と東ドイツ国家保安省(STASI)のトップ同士の議事録。
この続きは会員登録をすると読むことができます。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン