良くも悪くも若者たちの目標とする人物だった堀江貴文に続いて村上世彰が逮捕された。二人の名前から彼らの親が子供に何を期待していたかがわかるような気がする。「貴文」の「貴」という字にはのちに息子が逮捕されるなどという事態は夢想だにできずに、誇り高い人物になっていてほしいという心情がにじみ出ている。九歳のとき百万円渡して株を教えた親にしても「世彰」という名には世の中から褒められるような立派な人間になってほしいという願いが込められている。 そうした親の気持ちにそむいて「逮捕」される事態に陥ってしまった二人に人権への配慮からというわけで「容疑者」という建前だけの称号をつける気になれない。したがって、もはや公共財のごとく有名な二人を呼び捨てにすることのほうが、問題に真正面から向き合うことになると考える。
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