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Bookworm (81)

河﨑秋子『土に贖(あがな)う』

評者:杉江松恋(書評家)

2019年11月10日
タグ: 日本
エリア: アジア

北海道を舞台に、葬られた近代の“呼び声”を綴る連作集

かわさき・あきこ 1979年北海道別海町生まれ。2012年「東陬遺事」で北海道新聞文学賞を受賞。19年『肉弾』で大藪春彦賞を受賞。著書に『颶風の王』など。

 過去からの呼び声を聴け。
 河﨑秋子の最新作『土に贖う』は、北海道出身の作者が、自身の故郷の歴史を綴った連作集だ。各篇には近代から現代への時の流れが封じ込められている。巻頭の「蛹(さなぎ)の家」は、12歳のヒトエの視点から語られる物語である。彼女の父・善之助は、札幌の農家に蚕を提供する積誠館を開いた。ヒトエは蚕が桑の葉を食(は)む、ざざ、ざざっという音を子守唄代わりに聴きながら育ったのである。
 ヒトエの幸せな少女時代と転換期の激動が物語の中で対比されていく。生糸生産は明治の日本を支えたが、産業構造の変化によって衰退した。その不可逆の動きが、少女の視線を借りて冷徹に描かれる。登場人物は架空の存在だが、ここに書かれているのは現実の歴史そのものだ。近代から現代へ、時の車は大きな軋み音を立てながら転がっていく。
 収録作のうち最も美しい場面は、馬が産業の重要な原動力であった時代を描いた「うまねむる」に現れる。舞台は昭和35年の札幌近郊、江別市である。主人公の雄一少年は装蹄所、すなわち馬に鉄の蹄をつける仕事の家に生まれた。ある日、脚の骨を折ったために安楽死させられたブルトン種の葬式に列席した雄一は、墓穴に埋められた馬と共に眠る夢を見るのである。時が停まったかのように静かに、土の中に馬と少年の身体は溶けていく。この夢は「蛹の家」でヒトエが聴く、蚕の子守唄と同種のものだ。時代が激しく動く前の、ほんのひとときの優しい眠り。
 根室を舞台にした「頸(くび)、冷える」は、大陸戦線の兵士を温めるために始められたミンク養殖に賭けた男の物語であり、知床のハッカ農家を題材とした「翠(みどり)に蔓延(はびこ)る」では、軍需の名目で人々の運命がねじ曲げられていく。現代に続く扉が悲惨な戦争によって押し開かれたことも河﨑は忘れずに書き留めているのである。
 表題作の舞台になるのは江別のレンガ工場であり、現代のブラック企業どころではない、苛酷な労働環境が描かれる。この短篇と次の「温(ぬく)む骨」は、雑誌掲載時は1つだったが、単行本化に当たり過去と現代の物語にそれぞれ分割された。父の世代はレンガ製造、息子は陶芸と業態は異なるが、同じ江別の土が生計を立てるための材となる。個人の存在を超えたものが両者を結びつけるのだ。
 北海道という地方の小説だが、作品の窓からは日本の近現代の全体が展望できる。過去から放たれた光は読者の胸の奥まで届くだけではなく、その前途をも照らすだろう。

カテゴリ: カルチャー
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