中東―危機の震源を読む (71)

中東激動日録 エジプト民主化への道と周辺国への波及

 エジプトでの政権崩壊から1週間。この間は触発された反政府抗議行動が中東諸国に広がる過程であった。イエメン、イラン、バーレーン、アルジェリア、リビアなどに、エジプトの革命の過程で用いられた手法やシンボルが急速に伝播している。 
 エジプトの政権崩壊から軍政移管の過程は、克明に見ておく必要がある。なぜならば、中東の政府と反政府運動の両方が、詳細に事態の推移を見守り、自らの国の状況に照らし合わせて次の一手を考えているだろうからだ。デモを組織する側の作戦においても、政府の対応策でも、エジプトは当分、民衆蜂起を軸とした政治過程のモデルとなり、インスピレーションの源となっていくだろう。
 もちろん、国の大きさや体制の違い、歴史や社会経済状況は各国で異なるため、エジプトと同じように事態が展開するとは限らない。それ以上に、各国政府は自国でエジプトと同じ状況が再現することを避けようと、事前に手を打っていくだろう。それによって早期に事態の展開を食い止めることができるという観測もあるが、かえって展開を加速させ、収拾がつかなくなる可能性もある。
 今回は、エジプトでの政権崩壊から、軍政移管による事態収拾の試みの1週間を、日録形式で記す。その過程で周辺諸国に影響が及ぶ様子も記しておく。
 政権崩壊が加速する寸前までの経緯は、 【「エジプト革命日録」】に日録形式で記してある。そこでは1月25日-28日をデモが出現し拡大する第1段階、1月28日-2月8日を政権の側が巻き返しの諸策を打った第2段階、2月8日以降を、政府の対応策にもかかわらずデモが拡大し深化した第3段階としてまとめておいた。この第3段階は急速に加速し、一気に軍政移管と2月11日のムバーラク退任に至った。現在は第4段階の、軍と反体制勢力が互いの手の内を探り合う時期で、1981年以来の「ムバーラク政権」の崩壊が、1952年の王制打倒クーデタ以来の「軍を中心とした体制」そのものの根本的な変化に至るか否かのせめぎ合いが続く時期と言えるだろう。

カテゴリ: IT・メディア
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執筆者プロフィール
池内恵(いけうちさとし) 東京大学先端科学技術研究センター グローバルセキュリティ・宗教分野教授。1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より東京大学先端科学技術研究センター准教授、2018年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、『【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』 (新潮選書)、 本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』(同)などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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