国際人のための日本古代史 (44)

「遠交近攻」の産物だったヤマト建国

執筆者:関裕二 2013年11月13日
タグ: 中国 日本
エリア: アジア

 歴史をふり返ると、「仲のよかった隣国」という例は、ほとんどない。逆に、隣国と仲が悪かったから、「隣の隣、敵の敵と手を結ぶ」ということが多かった。隣国を挟み撃ちにして、包囲する作戦である。

 

出雲とタニハ

『魏志』倭人伝の邪馬台国(2世紀後半から3世紀)も、魏の遠交近攻策と関係がある。『魏志』倭人伝の倭国にまつわる記事は例外的に長く詳しいのだが、それは魏にとって日本列島が地勢上大きな意味をもっていたからだ。

 中国は『三国志』の時代で、混乱し覇権を争っていた。魏は南部の呉から延びる海の道を警戒していたのだろう。南西諸島から九州島、壱岐、対馬を経由して朝鮮半島に続く「対魏包囲網」が構築されるのを、恐れていたと考えられる。

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カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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