逆張りの思考

オールドレンズをデジカメで楽しむ

執筆者:成毛眞 2016年3月31日
エリア: ヨーロッパ アジア

 スマートフォンに付属しているカメラの性能が、年々良くなっている。良くなり過ぎていると言ってもいいくらいで、この事実を前に、私はカメラに対しての考え方を改めざるを得なくなった。今や、最新のスマホを持っていれば、一般的なデジタルカメラを持ち歩く必要はない。
 しかし、今も新しいデジカメの情報収集は欠かさないし、鞄の中にはデジカメを入れていることが多い。目的は、スマホでは撮れない写真を撮ることだ。全天球360度を一度に撮影できるリコーの「THETA」や、高精度のスタビライザーを搭載し、傾けても傾けても水平を保つDJIの「OSMO」などは好例である。オリンパスのコンパクトカメラ「STYLUS」はスマホに比べて圧倒的に起動が速いので、レストランで料理を撮るときなどに重宝している。
 今どきのスマホでは、明るくてフラットでくっきりとした写真が撮れる。ピンぼけも手ぶれもほとんど発生しない。誰が撮っても同じように、端正できれいな写真となる。黙っていれば、スマホで撮ったとは分からない写真もたくさんある。
 ただし、スマホには苦手なシーンもある。たとえば、ポートレート写真だ。子どもや女性の瞳に焦点を合わせ、背景や髪をぼかす撮り方ができない。スマホは見えているすべてにピントが合う。ぼけを作り出して雰囲気のあるポートレート写真を撮るためには、一眼レフに使われているような明るいレンズと大きな撮影素子が必要になる。
 ただ、一眼レフを使っても解決しない重大な問題がある。それは、誰が撮っても同じ写真になりがちなことだ。今や、オートフォーカスやプログラムモードの搭載は当たり前。これもカメラが良くなり過ぎたことの当然の帰結と言える。
 こうなると、あれほどきれいな写真を求めていた気持ちをすっかり忘れ、多少は下手でも自分だけの味のある写真を撮りたくなってしまう。そう思うのは私だけではないのだろう。近年、オールドレンズがじわじわと人気を高めている。オールドレンズとは、まさしく古いレンズのことであり、デジカメ登場以前のものを指すことが多い。当然のことながら最近のレンズと比べると質が悪いが、その質の悪さと最新式のデジカメとを組み合わせたとき、なんともレトロな、しかし古くさいだけではない味わいを醸し出す。
 できあがりを見てみると、意図していなかった明るさのムラやハレーションが起きていることがある。それは水墨画におけるにじみの偶然性に似ている。オールドレンズの価格は十分にお手頃なので、その偶然性をいくつものレンズで楽しむことができる。

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執筆者プロフィール
成毛眞(なるけまこと) 中央大学卒業後、自動車部品メーカー、株式会社アスキーなどを経て、1986年、マイクロソフト株式会社に入社。1991年、同社代表取締役社長に就任。2000年に退社後、投資コンサルティング会社「インスパイア」を設立。2011年、書評サイト「HONZ」を開設。元早稲田大学ビジネススクール客員教授。著書に『面白い本』(岩波新書)、『ビジネスマンへの歌舞伎案内』(NHK出版)、『これが「買い」だ 私のキュレーション術』(新潮社)、『amazon 世界最先端の戦略がわかる』(ダイヤモンド社)、『金のなる人 お金をどんどん働かせ資産を増やす生き方』(ポプラ社)など多数。(写真©岡倉禎志)。
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