
若き日の藤原義江。撮影年は不詳だが、撮影者は、第2次世界大戦時、米日系人収容所で隠し持っていたレンズでカメラを作り、密かに収容所で暮らす日系人を撮影していたことで知られる写真家の宮武東洋(下関市の「藤原義江記念館」提供、以下同)
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明治32(1899)年に、社会福祉の先駆者・留岡幸助が巣鴨の土地を購入し設立した「東京家庭学校」は、キリスト教信仰に基づいた教育方針の、民間の「感化院」として始まった現在で言う「児童福祉施設」だった。
義江が入った明治44(1911)年は、地位の高い裕福な子息で手のつけられない犯罪予備軍の非行少年が入る更生施設とも言われ、校内は荒れていた。

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