ビル・クリントン、ジェイムズ・パタースン 越前敏弥、久野郁子・訳『大統領失踪』
評者:香山二三郎(コラムニスト)
元大統領とベストセラー作家が描く
一気通読のポリティカル・スリラー
元アメリカ大統領が架空のアメリカ大統領を主人公に描いた一気通読のポリティカル・スリラーだ。
年末の翻訳ミステリー界を賑わす話題作であるのは疑いないが、共同執筆者が名うてのベストセラー作家となると、クリントンはアイデアを出しただけでは、などと意地の悪い見方をする向きもあるかも。
物語は、合衆国大統領ジョン・リンカーン・ダンカンが世界で最も危険で活動的なサイバーテロリスト集団「ジハードの息子たち」のリーダー、スリマン・ジンドルクと内通している容疑で査問にかけられる場面から始まる。出だしから緊迫した場面が続くが、実はこれ模擬聴聞会。
だが大統領は様々な意味で危機に直面していた。彼は実際にスリマンに電話をかけていたが、国家の安全保障上、内容を明かすことは出来なかった。それは読者にも明かされぬまま、やがて彼はホワイトハウスを訪ねてきた謎のパンク娘と会見、その後、持病が悪化する中、護衛もつけずに単独で街中に出かけていく。その行く先は……。
模擬聴聞会に続き、ここでも著者は読者にフェイクをかますというか、なかなか手の内を明かさない。ようやく行き先が判明し、そこである男に会ったと思ったら、今度は突然激しい銃撃戦が始まるといった具合に、著者は読者を思うがままに翻弄する。そうした手法はまさに熟練のベストセラー作家のものにほかなるまい。
だからといって、クリントンはアイデア出しだけと思うのは早計だ。訳者あとがきによると、クリントンは「若いころからスリラー小説をこよなく愛し、(中略)自分でもいつか書きたいと思っていた」。しかもパタースンの共同執筆作法は、彼の「作った大筋に沿って、共著者が定期的にチェックを受けながら書き進め、最後にパタースンが仕上げるという形になることが多いらしい」とのことで、むしろクリントンの方が主と見ることも出来よう。
物語の主軸は対テロのタイムリミット・サスペンスであるが、それと同時に、ホワイトハウスの内幕ものでもあるとなればなおさらだ。
実際ミステリー的な興趣以外にも、首席補佐官や副大統領を始めとするダンカン政権の女性陣のドラマとか、クリントン夫妻の意趣返しが込められた黒幕の造形等、この著者ならではの読みどころが満載。ダンカンはクリントンの理想像だといわれる。アメリカで「早くも『ダンカン大統領に2期目を』との声があがっているという」のもむべなるかな。
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