国際人のための日本古代史 (114)

日韓「半島外交」失敗の歴史で見える「中臣鎌足」の正体

執筆者:関裕二 2019年8月8日
タグ: 中国 日本
エリア: アジア
中臣鎌足生誕の地とされている大原神社(奈良県高市郡明日香村)。大伴夫人が母親との石碑があるが、大伴氏のどういう女性だったか不明。「鎌足=豊璋」の真実を隠すアリバイ工作だったのでは(筆者撮影)
 

 徴用工問題や半導体材料の輸出管理強化などをめぐる問題で、日韓が対立し、関係は極端に冷え込んでいる。

 日本側にも責任がある。要求すべきは要求し、拒否すべきは拒否するという「まっとうな外交」をしてこなかったツケが、亀裂を生む結果となった。もちろん、妥協も大切だが、ここは「当たり前の外交」を貫いて欲しい。

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執筆者プロフィール
関裕二(せきゆうじ) 1959年千葉県生れ。仏教美術に魅せられ日本古代史を研究。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。著書に『藤原氏の正体』『蘇我氏の正体』『物部氏の正体』、『「死の国」熊野と巡礼の道 古代史謎解き紀行』『「始まりの国」淡路と「陰の王国」大阪 古代史謎解き紀行』『「大乱の都」京都争奪 古代史謎解き紀行』『神武天皇 vs. 卑弥呼 ヤマト建国を推理する』など多数。最新刊は『古代史の正体 縄文から平安まで』。
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