丸9年の「3.11」――変貌する古里「飯舘村長泥」のいま

執筆者:寺島英弥 2020年3月11日
タグ: 日本 原発
エリア: アジア
通行を制限する長泥入り口のバリケード=2020年2月18日、飯舘村長泥(筆者撮影、以下同じ)
 

 晴れた日には青く太平洋が見える、阿武隈山地の標高約550メートルの峠道(国道399号)。

 2月18日、車で向かった福島県飯舘村長泥への道は雪に覆われていた。

 東京電力福島第1原子力発電所(双葉町・大熊町)と地理的に近く、2011年3月の同原発事故によって村内で唯一、放射線量が年間20ミリシーベルトを超える、と指定された帰還困難区域。

 東日本大震災と原発事故から丸9年を迎えた現在も、地区への出入りを制限する緑色のバリケードが立つ。行政区長の鴫原良友さん(69)に同行させてもらい、その現状を取材した。

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執筆者プロフィール
寺島英弥(てらしまひでや) ローカルジャーナリスト、尚絅学院大客員教授。1957年福島県相馬市生れ。早稲田大学法学部卒。『河北新報』で「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)などの連載に携わり、東日本大震災、福島第1原発事故を取材。フルブライト奨学生として米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から』『福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる』(同)、『二・二六事件 引き裂かれた刻を越えて――青年将校・対馬勝雄と妹たま 単行本 – 2021/10/12』(ヘウレーカ)、『東日本大震災 遺族たちの終わらぬ旅 亡きわが子よ 悲傷もまた愛』(荒蝦夷)、3.11以降、被災地で「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を書き続けた。ホームページ「人と人をつなぐラボ」http://terashimahideya.com/
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