見切り発車したワクチン接種「調達できず、届けられず、記録できず」が表面化

執筆者:磯山友幸 2021年3月9日
エリア: アジア
100医療機関4万人への先行接種“1回目”は辛うじて終えたが (C)AFP=時事

菅義偉政権の支持率低下が続くなか強行スタートした新型コロナウイルスのワクチン接種。国民の過半が受けられるまでの目算は、実は全く立っていない。

 河野太郎・ワクチン担当相は3月5日に記者会見し、新型コロナウイルス感染症のワクチン確保について、見通しを発表した。4月中には170万9370バイアル(=瓶)が届く見込みだとし、3月8日の第4便までの3月中に確保した数量39万3315バイアルと合わせると、210万2685バイアルに達するとした。特殊な注射器を使えば1バイアルから6回取れ、2月17日に始まった100医療機関4万人への先行接種では特殊注射器が使われたが、4月12日に始めると発表している高齢者向け接種には普通の注射器しか間に合わず5回しか取れないとしている。

 医療機関関係者は約480万人にのぼる。全員に2回の接種を行うには960万回分必要で、1バイアルからすべて6回取ったとして158万バイアル必要、5回取るとすると192万バイアル必要になる。4月末までに確保できるワクチンの大半は医療機関関係者向けで消える計算になるが、高齢者への接種も並行で行うため、医療関係者480万人の2回分のワクチン配分が終わるのは5月前半になるとしている。

 問題は、4月12日から始めるとしている65歳以上の高齢者への接種用のワクチンが、順調に配分されるかどうか。医療機関関係者向けへの接種は都道府県、高齢者などその他の人への接種は地方自治体が行うことになっている。全国の市町村は1741あるが、どうやって国はワクチンを配分しようとしているのだろうか。

「高齢者接種」開始時は各都道府県わずか約1000人分?

 3月5日時点の計画では、4月12日から使う分として配分できるのは1箱に195バイアル入ったもの100箱だけ。1万9500バイアルで、5回とるとして9万7500人分。2回分を配るとすると、4万8750人分に過ぎない。これを47都道府県に均等に配れば、約1000人分を傘下の市町村にさらに分配することになる。4月12日には大々的に「高齢者接種が始まりました」という政府広報ばりの報道が流れることになるのだろうが、実のところ、ごくごく一部の人しか受けられない。翌週以降は500箱ずつ配分、4月26日の週からは各市町村に1箱ずつ配る予定だという。もちろん、それも、ファイザーから毎週予定通りの量の航空便が届く、という前提である。

 国会でも厚労相が繰り返し追及されたが、ファイザーからのワクチン調達については、厚労省のツメが甘く、口約束に近かったとされる。河野氏がワクチン担当になった時にはワクチン調達の具体的なメドが付いていなかった。河野大臣が直接ファイザーの米国本社との交渉に乗り出し、記者会見で「ファイザー社との交渉の結果、6月末までに65歳以上の高齢者全員が2回接種する分のワクチンを、自治体に配送完了できるスケジュールで供給を受けると大枠で合意した」と発表したのは2月26日になってからだった。

 医療機関従事者への先行接種は当初、菅義偉首相が公言していた「2月中旬」に間に合わせる形で、2月17日に始まった。試行的に始めるという形をとって、まずは4万人にと説明したが、そのためのワクチン確保はまさに綱渡り状態だった。成田空港に第1便がついたのは、その5日前の12日、厚労省が特例承認したのは14日だった。1便で届いたのは約6万4000バイアルだったから、6回とったとしてもひとり2回分で19万2000人分しかなかった。その時点で、想定していた医療関係者480万人に一斉に打ち始めることなど到底無理だったわけだ。

 しかも、100の医療機関に絞ったことで、ワクチン配送の割り振りなどを辛うじて人海戦術で行えたが、それでも4万人に接種が終わるまでに2週間以上の時間を要した。3月5日の会見で、河野大臣はその時点で「3万9174人に1回目の接種が終わった」と発表した。ギリギリの綱渡りだったが、何とか乗り切ったということだろう。

「V-SYS」いまだ動かず

 2月中旬に接種を始めるというのは、政治的な至上命題だった。というのも、菅首相の支持率が大きくぐらついていたからだ。世論調査では、菅内閣の新型コロナ対策が後手後手に回っている、という声が圧倒的多数を占めた。2月7日までだった緊急事態宣言の1カ月延長を菅首相が決めたのも、世論調査の声に押された結果と言えた。そこでワクチン接種が予定通りできないとなれば、菅内閣は致命傷を負うことになりかねなかった。

 河野大臣が、早々に2月24日の段階で「4月12日から高齢者接種を始める」と公表したのも、政治的な要請が理由だった。厚労省は医療機関関係者の接種が終わらない段階で高齢者接種を始めることに強硬に抵抗した。わずかな量のワクチンを都道府県に送ったところで、そこから先の分配に困るだろう、というのが表面上の理由だった。もっともな理由に聞こえたが、高齢者接種を遅らせれば、今度こそ菅内閣の足元が揺らぐ。「ワクチン確保もまともにできなかった厚労省が反対できるのか」という河野大臣周辺の反発で、政治主導で何としても開始することに決まった。

 河野大臣が「まずは試行的に」と口を滑らせて国会で追及されたのは、ワクチン確保の見通しに不安があったからで、正直な発言だったわけだ。

 だが、まだ問題はある。ワクチンが届いたとして、きちんと自治体に分配され、自治体がスムーズに接種をできるかどうかだ。

 実は、厚労省は昨年夏から、「ワクチン接種円滑化システム」というシステムの開発を行ってきた。略称で「V-SYS(ヴイシス)」と呼ばれている。厚労省は新型コロナ関連で次々にシステムを発注していて、このほかにも「HER-SYS(新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム=ハーシス)」や「G-MIS(新型コロナウイルス感染症医療機関等情報支援システム=ジーミス」などが乱立している。いずれも担当課が違い、V-SYSは予防接種室が担当している。

 名前は「ワクチン接種円滑化」だが、実際のところ、ワクチンを自治体に分配するシステムで、いつ誰に接種したかといったデータは入力できない。そのV-SYS、ワクチン接種が始まった2月17日からフル稼働していると思いきや、何と、3月に入った今も動いていない。構想では、接種する医療機関や接種施設が必要なワクチン数を入力し、それを前提に調達したワクチンを配分する仕組み。開発した業者からすれば、ワクチンがこんなに足りないことなど想定していないので、人口比でワクチン量を割り振り、その後、需給に応じて調整する設計になっていた。だが全人口からみればごく少量のワクチンをどう分配するかは、自治体ごとの準備状況などを見極める必要があるため機械的には難しい。

 また、システムを動かすには医療機関や接種施設がIDなどを登録する必要があるが、この作業は医療機関任せになっている。そうでなくてもコロナ診療などで忙殺されている医師たちに、システムの初期設定をせよというのは無理がある。480万人の医療従事者向けのワクチン分配でもV-SYSが活躍する場面があるのか。高齢者接種が本格的に始まれば、1800近い自治体にある数万の医療機関・接種施設がこのシステムを使うことになる。本当にシステムトラブルなく動くのかどうか、甚だ心許ない状況になっているのだ。

このままでは「ワクチン接種証明」にも対応できない

 さらに、政府は厚労省が準備してきたシステムでは不十分なことに年が明けてから気づいた。河野氏がワクチン担当になってから、V-SYSは不十分だということが判明したのだ。前述のように、誰にいつ接種したかという情報が入力できないのだ。

 厚労省はこれまで、自治体が管理している「予防接種台帳」を使えば情報管理はできると主張してきたが、この予防接種台帳、紙で行ってきた業務をデジタルに置き換えただけで、集計するのに数カ月かかるという代物だった。医療機関が接種したことを示す紙の診療票を医師会に送り、医師会がそれを取りまとめて自治体に提出、自治体はさらにそれを業者に委託してコンピューターに入力させ、それをベースに接種手数料の支払いなどがなされている。

 予防接種台帳には個人の記録が残るが、個人が自主的に打ったインフルエンザの予防ワクチンなどは記録されない。データが揃うのに数カ月かかるため、欧米諸国で議論されている「ワクチン接種証明」などを出そうとしても時間がかかって役に立たない。そんな状況を把握した河野大臣は、自身でチームを組成、小林史明衆議院議員を大臣補佐官に任命して、この情報システムの開発に着手させた。名付けて「ワクチン接種記録システム(VRS)」を4月12日の高齢者接種までに稼働させる予定だ。

 ワクチンを全国民とは言わずとも、過半の国民が受け、いわゆる「集団免疫」を獲得するのはいつのことになるのか。河野大臣が言うように5月以降、続々と日本にワクチンが届くことになるのか。さらに乱立するシステムがすべて正常に稼働するのか。そのうえで、自治体は接種体制を整備できるのか。新型コロナとの戦いに勝利できる目算は残念ながらまだ立たない。

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執筆者プロフィール
磯山友幸(いそやまともゆき) 1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト活動とともに、千葉商科大学教授も務める。著書に『2022年、「働き方」はこうなる』 (PHPビジネス新書)、『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、『破天荒弁護士クボリ伝』(日経BP社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)、『「理」と「情」の狭間――大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』(日経BP社)などがある。
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