紛争の地イスラエルで「中山発言」をめぐって考えたこと

執筆者:徳永勇樹 2021年5月20日
エリア: 中東
「潔癖症」の日本人は中東の激しい変化に対応できるか ⓒEPA=時事
「私達の心はイスラエルと共にあります」――。イスラエル・パレスチナ間の流血の惨事に際し、中山泰秀防衛副大臣がSNSに綴った言葉が波紋を呼んでいる。現地で中東問題のダイナミズムを感じる日本人は、この“場外乱闘”的な騒動をどう捉えたのか。

 2021年5月、筆者が暮らすエルサレム市は緊張に包まれていた。全ては小さな喧嘩から始まった。それがユダヤ人・アラブ人(パレスチナ人)の非難の応酬に、衝突に、そして全国に拡大した。また、ガザ地区から多数のロケット弾が連日発射されてエルサレムを含むイスラエル領内に多数飛来し死傷者がでており、それに対するイスラエル軍の報復でも民間人を含む多くの人が犠牲になっている。コロナ禍を抜けて訪れた平和も、ほんの束の間だった。

 こうした状況について、日本の中山泰秀防衛副大臣はTwitterとその後の記者会見でイスラエル側を擁護する発言をし、それに対してインターネット上でも多くの反響が寄せられた。筆者も中山副大臣のTwitterと記者会見映像を見直したが、「現職の副大臣が言うべき話なのか」という議論を措けば、先に攻撃を仕掛けたのはパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスであることや、米国がハマスをテロリスト指定しているとの指摘など、全体的に間違ったことを言っているとは思えない。一方で、それに対する反対意見の数々(例えば、国際法に違反するイスラエルを擁護するな、など)についても「まあ、当然そういう反応になるだろうな」と思う。

 しかし、何かが決定的にずれている。これまでパレスチナ問題については、様々な人々が様々な形で論じてきたので、その全容を捉えるには力が足りない。本稿では、「パレスチナ問題のシンボル化」と「日本にとっての中東問題」という切り口に限って私見を述べたい。

パレスチナ支援は“コスパが良い”

 もともと日本では、「抑圧されるパレスチナ人と、抑圧するイスラエル人」というトーンの報道が多い。今回の中山副大臣の発言に対する反発にも、底流にはこのトーンが窺える。しかし、現地で聞こえる声はそれほど一方的なものではない。今回のガザ空爆を踏まえて、私の親しいパレスチナ人とユダヤ人の友人に話を聞いてみた。

 パレスチナ人は「イスラエルのせいで私達の生活には平和が訪れない。違法な占領のせいだ。そして、イスラエルはその占領をどんどん拡大している。イスラエルのせいで私達は経済も発展できないし、(パレスチナ側には)空港もないから海外にも自由に渡航できない。失業率も高いから勉強してもまともな仕事にありつけない。将来に夢も希望も持てない。私はこのままこの土地から出ることもできずに死んでいくのだ」と悲しそうに語る。

 一方でユダヤ人は「またパレスチナの“困っているアピール”が始まったよ。イスラエルにロケットを打ち込むだけでなく、私たちを悪者にしたて上げて世界から金を集めている。そもそもパレスチナには十分な金がある。アラファト議長が亡くなったとき、彼には財産が10億ドル(約1090億円)も残っていた。今のパレスチナ政府も汚職が蔓延していて腐敗している。世界中の国からの支援金の一定額はいつもどこかに消えていく。その中には日本のドナーも含まれている。悔しくないのか?」と激しく主張する。当然、中山副大臣が記者会見で触れたような、ハマスによる“人間の盾”戦術にも言及する。

 この二つの意見は全く噛み合っていない。長年の対立の間に新しい事実と現実とが積み重なり、双方の意見が正式な見解になっている。それぞれが自分の正義を持つが故に、正論だけでは何も進められない。この絶望的に噛み合わない状況の中、お互いの現実感をボディブローで浴びせあっている現状こそが、私が見るイスラエル・パレスチナ問題だ。

 この半世紀、中東問題はパレスチナが常に中心にあった。筆者はある日本の外交関係者に「なぜ日本はパレスチナを支援するのか?」と質問したことがあり、それに対して一言「平たく言えば、コスパが良いからですよ」と返ってきたのが大変印象深かった。パレスチナ支援にコミットすることで、日本はアラブ諸国ならびに同調する欧米諸国とも歩調を合わせることができる。パレスチナは支援を獲得できる。Win–Winの存在だった。その意味でパレスチナという存在は、複雑な中東を単純化して捉えるためのシンボルであったのかもしれない。たとえば「SDGs(持続可能な開発目標)」という言葉で環境や人権の入り組んだ諸相に“わかりやすさ”を与えることが、一方でその複雑さを見えなくする部分もあることと、どこか通じているようにも思う。

 しかし、現実は変わりつつある。UAE(アラブ首長国連邦)、バーレーン、モロッコ、スーダンなどの国々が続々とイスラエルとの国交正常化を発表。中東の盟主を自任するサウジアラビアもまたイスラエルとの国交正常化を視野に入れていると言われており、アラブ諸国もこれまでアラブのよしみで支援していたパレスチナから距離を取り始めた。これらはトランプ前米政権とイスラエルのネタニヤフ政権によるゴリ押しとも言える外交成果ではあるが、アラブ諸国はアラブ諸国で、イスラエルとパレスチナを天秤にかけて判断したと考えるべきだ。いまや中東問題の中心はイラン情勢に移りつつある。イスラエル対パレスチナという軸は引き続き重要ではあるが、もはや中東問題=パレスチナ問題ではない。

「潔癖症」的なルール観

 一番の犠牲者は、このダイナミズムに揺り動かされている人々、特にパレスチナの人々だ。5月22日に予定されていた15年ぶりの選挙も延期されてしまったので、外交はおろか国内の政治にも声をあげられない。紐で縛られて何もできずに、沈んでいく船に乗せられている。傍から見ていると、そう感じられて仕方がない。

 正直に言うと、今回の中山副大臣のTwitter発言がなぜ日本でこれほど話題になるのか不思議だった。筆者の周りに、普段から中東問題に関心を持っている日本人はほぼいない。なのになぜ、ガザ空爆が始まった途端に、遠く離れたパレスチナのことで熱くなるのか、不思議で仕方なかった。しかし、今回様々な投稿やコメントを見ていると、中山発言を感情的に否定する人の根本には、世界のルール(国際法)を守っていない国は許せないという、ある種の「潔癖症」的な心情があるのではないか、と思えてきた。

 イスラエルには国防、食糧確保、外交、教育などにおいて様々な課題が存在するが、その根本には「イスラエルがどう生き残るか」という明確な問題意識が存在する。イスラエルほど、明確な目的に対して明確な手段を作り出すことに秀でている国は中々ないと思う。自国の生き残りに不要もしくは有害だと思えば、国際的なルールも平気で破る。彼らにいくら説法をしても全く聞く耳をもたない。しかし、今回イスラエルで世界に先駆けてワクチンを打ってもらって思ったが、国民の目線に立つとそういう国のリーダーは頼もしく思えるし、少なくともルールに縛られて何もできない国よりも良いとも感じた。

 筆者は決して、ルールをおろそかにする国と積極的に付き合えと主張しているのではない。むしろ、これまでの日本の伝統的な国際法を遵守する国際協調外交を進めるべきだが、一方で、「国際法を大事にすることが国益に適う」と判断する国ばかりではない。世界には国際法よりも大事なものがあると明確に宣言している国があること、そしてそのいくつかは日本にとって重大な脅威になりうることを忘れてはいけない。世界は常に変化している。特に筆者が住む中東では変化が激しい。その変化に「潔癖症」の日本人は対応できるのだろうか。

 パレスチナ問題について、日本の外務省のホームページには次のような記載がある。

「我が国は、イスラエルと将来の独立したパレスチナ国家が平和かつ安全に共存する二国家解決を支持している。我が国は、イスラエル及びパレスチナ自治政府双方に対して、二国家解決を可能な限り早期に実現するため、互いの信頼関係の構築に努め、交渉再開に資さない一方的行為を最大限自制し、直接交渉の前進を図るべく一層努力するよう呼びかけている」

 全文は省略するので、ご興味がある方は見て頂ければと思うが、その上でパレスチナには1993年以降の累計で21億ドル(約2300億円)を超える多額の支援を行っている。それが今の日本政府の対応だ。しかし、今回イスラエル領内に先制的にロケットを打ち込んだハマスは、そもそもイスラエル国家の生存権を認めていない。

個人にも求められる「したたかさ」

 筆者はイスラエル人からもパレスチナ人からも「勇樹はパレスチナ問題についてどう思うのか?」と凄まれた経験がある。最初は「まあ、どっちもどっちじゃない?」などと適当に答えていたのだが、イスラエル生活が長くなるにつれて真面目に考えるようになった。でも、一民間人である私は日本を背負って二国間について発言できない。色々と悩んだ末、個人と政府で分けて考えるしかない、という結論に至った。

 個人としては、私の周りの大切な友達にコミットしたいと思う。私にはユダヤ人とパレスチナ人の友人がいる。彼らはとても立派な人たちで、私にとっては一生の財産である。お互いに強硬なことを言う人もいるが、中には、ガザへの空爆を苦々しく思っているユダヤ人も、なんとかイスラエル人と共存できないか模索しているパレスチナ人も知っている。彼らが困っているなら、私や私の周りでできることをしたいと思っている。

 一方で、国の観点で言えば、あくまで「日本がどう生き残れるか」の戦略の中で中東にコミットすべきだ。もちろん、先に紹介した「コスパ発言」でもわかるように、私に言われなくとも外交関係者は日夜知恵を絞っている。日本はイスラエルと国交を結んでおり、多数の日本企業がイスラエルに進出している。だから、この国と付き合うには、パレスチナ問題という軸と、それ以外の軸を明確に分けて考える必要がある。そのようなしたたかさを外交当事者のみならず、国民もまた備える必要があるのではないか(ただし、相手の国を選ぶべきではある。例えば、ロシアは「経済協力を通じて北方領土問題を解決する」という常套句を使うが、それが日本にとって有効な方法なのかは、その都度考えるべきだろう)。

 パレスチナ支援に多額の税金を投入して、日本側で得られるリターン(経済的メリットのみならず、パレスチナを支援することで得られる世界からのイメージなど含む)についても、最新の中東情勢に照らし合わせて考えるべきだ。

 今回の中山副大臣の発言は、その意味では画期的なものだと思っている。言わずもがな、イスラエルが行う国際法違反行為は決して忘れてはいけないし、抑圧に苦しんでいるパレスチナ人に思いを馳せるのも大事だ。しかし、物事はそう単純明快にはできていない。中東という日本から遠い地域の問題だからこそ、つい固定化・単純化して物事を考えがちだが、そうではない真実があることにも気づく必要があると思う。

 エルサレムとテルアビブには様々な思いで、日本、イスラエル、パレスチナのために働いている日本人がいる。各人が自分の意思と思いを込めてこの地域にコミットをしている。だからこそ、「べき論」を超えた、日本とイスラエルを含めた中東との関係を考えたい。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
徳永勇樹(とくながゆうき) 総合商社在職中。東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員。1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本語、英語、ロシア語に堪能。ロシア語通訳、ロシア国営ラジオ放送局「スプートニク」アナウンサーを経て総合商社に入社。在職中に担当した中東地域に魅せられ、会社を休職してイスラエル国立ヘブライ大学大学院に留学(中退)。また、G7及びG20首脳会議の公式付属会議であるY7/Y20にも参加。2016年Y7伊勢志摩サミット日本代表、2019年Y20大阪サミット議長(議題: 環境と経済)を務め、現在は運営団体G7/G20 Youth Japan共同代表。さらに、2023年、言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべくNGO団体Culpediaを立ち上げた。
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