風の向こう側
風の向こう側 (95・最終回)

「メジャー最年長勝利」ミケルソンを支えた「家族愛」物語

執筆者:舩越園子 2021年5月30日
カテゴリ: スポーツ
エリア: 北米
家族愛の勝利だった(左が弟のティム)(C)EPA=時事
 

「全米プロゴルフ選手権」を50歳のフィル・ミケルソンが制覇し、メジャー最年長優勝を達成したことは「驚きか?」と問われたら、「驚きでもあるが、驚きではない」と答える。

 メジャー最年長優勝記録は、1968年にジュリアス・ボロスが全米プロを48歳4カ月で制して以来、実に半世紀以上もの間、破られることはなかった。それほど年齢、加齢によるメジャー優勝の壁は厚いということなのだろう。しかし、その厚い壁がついに打破されたことは驚きである。

 しかし、打破したのが他の誰でもなく、あのミケルソンだったこと、あのミケルソンが最年長優勝を果たしたということは、ある意味、驚きではない。

「あのミケルソン」と呼ぶ意味は、ミケルソンならではのストーリーがあまりにもたくさんあるからだ。

 今年の全米プロ制覇までに、すでにメジャー5勝を含む通算44勝を挙げていた「強者ミケルソン」、握手やサインに30分でも1時間でも応じる「ファンサービスたっぷりのミケルソン」、感情溢れる「心優しいミケルソン」、ときにはストレートな物言いが騒動を引き起こし、抗議の意味を込めて、グリーン上で動いているボールをパターで打ち返すというルール違反行為をあえて行い、世界を驚かせる「お騒がせミケルソン」にもなってきた。

 だが、どんなストーリーが飛び出すときも常に底流にあったのは、ミケルソンと家族との関わりだ。ミケルソンを愛する家族がそこにいて、ミケルソン自身もこよなく家族を愛している。

 もしもミケルソンの物語にそんな家族が登場していなかったら、彼の最年長優勝は達成されていなかったのではないか。

 大観衆が18番のフェアウェイになだれ込み、狂喜しながら闊歩した祭りの後の余韻にひたりながら、私は今、そんなことを考えている。

母の心配

 まだミケルソンがメジャー未勝利だった1999年の「全米オープン」開幕前、ミケルソンの愛妻エイミーは初産を控えていた。

「もしもエイミーに何かあったら、たとえ最終日の終盤に首位で走っていても、僕は試合を棄権し、エイミーのもとへ駆けつける」

 そんな発言をしたときから、ミケルソンの家族愛の物語が始まった。

 その後、次々に子宝に恵まれたミケルソン夫妻の仲睦まじさと幸せな家族生活は、ことあるごとに米メディアによって報じられた。

 72ホール目のグリーンでミケルソンがウイニングパットを沈めると、そこには必ず妻と子どもたちが待っていて、「ダディ!」と言いながら父親に駆け寄り、ミケルソンが愛おしそうに抱き上げる。そして、一歩遅れてやってきた愛妻エイミーと熱いキス。それは、ミケルソンが勝つ際の「お決まりのシーン」だった。

 そのエイミーとミケルソンの実母メアリーが相次いで乳がんと診断されたのは2009年5月だった。

「僕は試合を休んでエイミーとメアリーの傍にいる」

 そう語ったミケルソンは無期限の出場休止を申し出て、戦線から離脱。ゴルファーである以前に、1人の人間であり、家族の一員であることを、そうやって彼はいつも行動で示した。

 戦線復帰後の2010年、3回目の「マスターズ」制覇を成し遂げ、弱々しい姿で18番グリーン奥に立っていたエイミーを優しく抱き寄せてキスした場面は、今でも鮮明に思い出される。

 愛する家族がいるからこそ頑張れる。家族を愛しているからこそ、頑張りたい。ミケルソンの物語に家族の存在は不可欠なのだ。

 それは、言い換えれば、ゴルフ界のレジェンドと呼ばれるミケルソンも家族の一員として生きるフツーの人間だということでもある。

 全米プロ最終日の朝、単独首位でスタートするミケルソンがそのまま走り抜いて勝利できるかどうかを誰よりも心配していたのは、彼の母親メアリーだった。コロナ禍ゆえに試合会場には行かず、自宅でテレビ観戦していたメアリーは、居ても立ってもいられず、ミケルソンの妹である娘のティナにテキストメールを送った。

「ティナ、フィリップに伝えてちょうだい。すごいことをしようとしなくていいから、パーでいいのよって。お母さんが電話しても聞かないだろうから、早くフィルにメールして。急いでね!」

 娘のティナは、すぐさま母に返信した。

「ティムにメールするわ。フィルが耳を貸すのはティムだから」

 ミケルソンを「フィリップ」と呼ぶところが母親らしい。娘のティナがメールすると言った「ティム」は、ミケルソンの弟であり、ミケルソンのバッグを担いでいる相棒キャディでもある。

 晴れ舞台で戦う長男をハラハラしながら心配する母親と、そんな母親を懸命になだめる妹。偉大な長男の傍らには、その弟。

 ある意味、フツーの家族の「ちょっとした事件簿」みたいな場面だが、メジャー最年長優勝というゴルフ界の偉業が達成されるまでの道程は、決してフツーではなかったはずだ。

兄弟の二人三脚

 ミケルソンの弟ティムが兄のキャディになったのは、2017年からだった。

 ティムは2011年から6年間、アリゾナ州立大学ゴルフ部コーチを務めていたが、退任後は米ツアー選手のジョン・ラーム(26)のエージェントとして働き始めた。

 しかし、2017年にミケルソンが25年間もともに歩んできた相棒キャディのジム・“ボーンズ”・マッケイと決別。兄の窮地を弟は看過できず、その時からミケルソン兄弟の二人三脚が始まった。

 息の合った兄弟は、次々に米ツアー3勝を挙げ、ミケルソンが50歳になるやいなや、シニアのチャンピオンズでも早々に2勝を挙げたが、言うまでもなく全米プロ制覇とメジャー最年長優勝達成は「最大最高の喜びだ」と兄弟は口を揃える。

「今年、兄も僕も、サンデー・アフタヌーンに優勝争いをする日、優勝する日は近いと感じていた。50歳でメジャーを制覇することをフィルは心底望んでいた。そして、ファンより誰より、弟の僕が一番望んでいた。フィルは誰よりも努力してきた。家にいるときだって欠かさず毎日プレーし、努力を怠らなかった。そんな姿を僕は間近で見てきた。

 ずっと望んでいれば、願いは叶うものだ。でも、望んでいるだけでは結果は得られない。正しいプロセスを経ることが必要。大事なのは結果より経過だ」

ターニング・ポイント

 弟ティムのそんな考え方と姿勢が、兄であるミケルソンの大きな支えになっていることは明らかだった。

 全米プロ2日目も3日目も、マイクを向けられたミケルソンは「ティムがいい仕事をしてくれている」と言い続けていた。

 ヤーデージ、風の読み、ラインの読みのみならず、クラブ選択や攻め方、心の持ちように至るまで、弟は兄が感じている迷いや不安を即座に感じ取り、上手に取り除いていった。

 最終日。ボギー発進となったミケルソンは、2番でバーディーを奪ったものの、3番は再びボギーを喫した。5番はバンカーからチップインさせてバーディーを得たが、6番は右ラフにつかまり、この日3つ目のボギーを叩いた。

「そのときティムが僕に言ったんだ。『優勝するためには、きっちりスイングしない限り勝てない』ってね。僕はハッと我に返り、僕には結果はコントロールできないけど、自分のスイングは自分でコントロールできるのだから、きっちりスイングしなければいけないと思った」

 それが7番、10番のバーディーにつながった。

「今、思えば、あれがターニング・ポイントだった」

 

 ミケルソン兄弟は、どちらもスポーツ心理学者のマイケル・ラードン博士からメンタル・トレーニングの手法を学び、大きな影響を受けた。その話は、かつてラードン博士が著し、私が翻訳した『ゴルフ メンタルゲームに勝つ方法』(実業之日本社)に記されているが、ラードン博士とミケルソンを引き合わせたのは弟ティムだったことを、私は久しぶりに思い出した。

 ミケルソンのバッグを担ぎ始めて4年半。ティムは「優勝して初めて泣いた」。

 72ホール目。ウイニングパットを沈めて抱き合った兄と弟にキアワ・アイランドの大観衆は温かい拍手を送った。あのハグは、これまでで一番長く熱い「兄弟愛のハグ」だった。

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執筆者プロフィール
舩越園子 ゴルフジャーナリスト、2019年4月より武蔵丘短期大学客員教授。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。最新刊に『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)がある。
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