後に屋良朝苗は、71年について「私の主席、知事在任中の激動8年の中で最も困難、混乱に満ちた年であった」と回想している。
前述のように、70年末から71年にかけて、「コザ暴動」や毒ガス移送など、沖縄社会は激しく揺れ動いた。その中でも特に屋良を苦しめたのが、革新陣営からの批判である。
高まる革新陣営との摩擦
革新陣営内の不満は、復帰準備作業が沖縄の頭越しに日米両政府によって一方的に進められているのではないかという点にあった。
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