アイヌ女性と沖縄戦――「未帰還遺骨」が照らし出す大日本帝国の暗部(前編)

執筆者:浜田律子
執筆者:浜田哲二
2023年4月16日
タグ: 人権問題 日本
エリア: アジア

春雄さんが戦った壕の入り口でアイヌ式の祈りを捧げる多原良子さん。左は長男・順也さん=糸満市で ©浜田哲二
沖縄で戦没者の遺骨収集を続けるジャーナリスト夫婦のもとを、ある兵士の遺族が訪ねてきた。彼女は北海道在住で、アイヌの血を引いているという。南の島で散って戻らぬ戦死者たちと、先祖の骨を標本として持ち去られたアイヌ民族。偶然に重なり合った二つの「遺骨問題」が、日本近代史の暗部を照射する。

 

小中学校の裏山に眠っていた8体の遺骨

「キーンコーンカーンコーン」

 お昼休みを知らせるチャイムを合図に、軽快な琉球歌謡が校内放送で流れ始めた。そして、賑やかな生徒たちの話し声や笑いさざめきが、隣接する丘に広がる亜熱帯の森に響いてくる。

 しかし、そこで私たちが手にしていたのは、褐色の土の色に染まった人骨。何人分あるのだろうか。それを一人ひとり仕分けながら、表面についた土の汚れを柔らかな刷毛で落としてやる。

 ここは沖縄本島南部の糸満市にある小高い丘陵地。2021年2月、隣接する小学校と中学校のすぐ裏にある壕から、8人分の遺骨が出土した。成人が6人と、子供とみられる小さな遺骨が2人分。いくつかの骨の部位は内部が炭化している。表面は綺麗なので、壕内が高温になり、蒸し焼きのようになったのかもしれない。

2021年に掘り出した8人の戦没者の遺骨。右端には子供二人分の遺骨がある=糸満市で ©浜田哲二

 私たちは、夫が元朝日新聞カメラマンで、妻が元読売新聞記者のジャーナリスト夫婦。沖縄で遺骨収集のボランティアを始めて、もう20年以上が過ぎた。が、この年のように辛く、悲しいギャップに遭遇するのは初めてだ。この小さな遺骨は七十数年間も埋もれたまま、すぐ近くから聞こえる、楽しげなざわめきや校内放送を聞いていたのだろう。

 それが、あまりにも不憫で、胸が締め付けられる。特にこの小さな顎の骨は、永久歯がようやく萌芽し始めている。こんな幼子が、戦禍の犠牲になるなんて……。軽くなってしまった遺骨を手にしたとき、「長い間お迎えに来なくて、ごめんなさい」と思わず呟いていた。白い納骨袋に、一人ずつ分けて収容する。そのなかでも、小さな袋があまりにも軽く、抱き上げると涙が流れてきて、抑えようがない。

 収容した8人の遺骨は、しかるべき手続きを踏んだあと、県の戦没者遺骨収集情報センターに仮納骨した。そして、それぞれの身元を判明させるため、厚生労働省へDNA鑑定を依頼。同時に、遺族側の情報を得るため、当時この場所で戦っていた部隊も調べ始める。

 壕がある丘は、糸満港や市内が一望できる見晴らしで、海から侵攻してくる敵を狙い撃てる好条件が揃っている。私たちが長年取材対象として追いかけている、第24師団歩兵第32連隊第一大隊もこの付近に陣を構えていたので、同大隊長が遺した資料も繙いてみた。

 すると、同大隊の第一機関銃中隊に所属していた、北海道浦河町出身の笹島繁勝さん(享年99)の証言と一致する点が多いことに気づいた。笹島さんは2020年に逝去されているが、それまでに重ねた4回の聴き取りで、この丘の上の陣地から進撃してくる米軍兵士を重機関銃で迎え撃ったと話していた。米側の記録にも、近くを流れる川を渡河した後、丘の上から機関銃で狙い撃たれたと残されているのだ。

 ゆえに、この壕は同大隊の第一機関銃中隊が使っていた可能性が高いと見て、隊に所属した兵士の遺族へDNA鑑定の申請を呼び掛けることにした。

 その結果、35人の遺族が申し出て下さった。そのすべての遺族のもとを直接訪ねて状況を説明。厚労省が指定する書式に則って、DNA鑑定申請書を作り、同省の担当部署へ送付した。

 そして昨年5月、「今回見つかった方々の遺骨はすべて戦没者である。引き続きDNAの抽出が可能かどうかを探る」との鑑定報告が同省から届いた。もし、申し出た遺族と遺骨のDNAが一致すれば、2021年に北海道の遺族へ返還した遺骨についで、新たな成果に繋がる可能性も。今は、遺族の皆さまと心を同じくして、固唾をのんで結果を待ち続けている。

 そんな最中、この機関銃中隊に所属して戦没した兵士の遺族が、沖縄を訪ねてきた。今回は、その物語をお伝えする。

連絡をくれた遺族はアイヌ女性

多原春雄・伍長 ©浜田哲二

 多原春雄・元伍長(享年25)。前述した歩兵第32連隊第一大隊の第一機関銃中隊に所属した北海道札幌市出身の兵士で、妻子はなく、独身だった。春雄さんには兄がおり、同じく出征して中国で戦ったが無事に復員している。

 札幌市内にある春雄さんの遺族宅を訪ねたのは、2021年4月。所属した第一大隊長の伊東孝一・元大尉(享年99)のもとへ、終戦の翌年に遺族から356通の手紙が届いている。そのなかに、春雄さんの母・サヨさん(享年87)が綴った一通があった。それを現代の遺族へ返還する活動のために伺ったのだ。

 しかし、最初に接触した、春雄さんの姪とは意思の疎通がうまく図れず、手紙の返還を一旦はあきらめかけた。その時、春雄さんの甥の妻・多原良子さん(72)が、「私が受け取ります」と連絡をくれたのだ。

 良子さんは、北海道むかわ町出身のアイヌ民族。春雄さんと直接の血縁はないが、2018年に亡くなった夫・順俊さん(享年70)の妻として、義祖母・サヨさんや春雄さんらの位牌や遺影などを守り続けている。

 そうさせるのは、順俊さんとの間に生まれた3人の子供たちの影響だ。良子さんは、「この子たちにはアイヌだけでなく、和人の血も流れている。ゆえに、お互いの先祖を敬い、大切にしてほしい」との思いを持っていた。

体に纏うように義父の形見の日章旗を広げる良子さん=札幌市で ©浜田哲二

 民族の違いを超えた「家族の絆」を、良子さんにより強く意識させる出来事があった。

カテゴリ: 社会 カルチャー
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執筆者プロフィール
浜田律子(はまだりつこ) 元読売新聞記者。1964年生まれ 奈良女子大学理学部生物学科・修士課程修了。
執筆者プロフィール
浜田哲二(はまだてつじ) 元朝日新聞カメラマン。1962年生まれ。2010年に退職後、青森県の白神山地の麓にある深浦町へ移住し、フリーランスで活動中。沖縄県で20年以上、遺骨収集を続けている。日本写真家協会(JPS)会員。
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