
【前回まで】台湾の潜水艦事故当日。北京を訪れた都倉は、恩師を偲ぶ会の最中に、旧知の華首相に別室に呼ばれた。日中の平和維持で合意した二人だが、そこに事故の一報が入る。
Episode5 四面楚歌
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幹事がマイクを手にした。ようやく閉会の時間になったようだ。
「最後に、我らの同窓であり、恩先生の愛弟子である華希宝首相から、ご挨拶を賜ります」
華は、恩師との出会い、そして、共に学んだ同窓との貴重な時間を懐かしんでから、予断を許さぬ時勢を乗り越えるために、今こそ恩師の教えが重要だと訴えた。
「時に厳しく、時に慈愛に満ちた恩先生は、かつて、こうおっしゃいました。
もし、我が中国が眠れる獅子ならば、我々は目覚めてはならない。なぜならば、獅子が目覚める時は、暴力が言葉を、軍事力が政治を、凌駕する時だからだ。我々学究の徒は、いついかなる時も政治に中立であり、平和を希求する姿勢を忘れてはならない――と。
先生のご冥福を祈りながら、その教えを改めて心に刻もうではありませんか」
最後に、華は都倉を見つめて言い放った。
それを都倉は、自身への、いや日本へのメッセージなのだと受け取った。
「皆さん、引き上げられました」
野添が小声で報告した。
「あなたは、なぜいるの。親台派のあなたは、ここにいてはいけないわ」
「ご心配なく。親台派である前に、私は日本人です」
思わず野添の方を向いてしまった。
「では、私のそばを絶対に離れないように」
先程、都倉を案内した小柄な男が、再び声を掛けてきたので、黙って後に続いた。彼は、野添の同行には干渉しなかった。
華の方を見ると、同窓生に囲まれて談笑し、都倉には気づいていないようだ。
早足で前を歩く男は、エレベーターに乗り込むと、地下2階の駐車場に降りた。
そこに1台のセダンが停まっていた。男は、都倉と野添を乗り込ませると、自身は助手席に陣取った。
「どこに行くのですか」
野添が尋ねても、男は反応しない。
失礼な態度というより、何も話してはならない、と背中が警告している。
車が発進すると、急にアルコールが巡ってきたようで、都倉は体をシートにもたせかけて目を閉じた。
毒を食らわば皿までも――だ。
華が、改めて都倉と面談するつもりだという意思表示は受け止めた。
問題は、その意図だ。
台湾軍の潜水艦を、中国軍が拿捕するという信じられない事態が起きた。だが、自衛隊と海上保安庁は、何ら関わっていない。つまり、衝撃的な事件ではあるが、日中首脳が交渉する点はない。
日本にできることといえば、せいぜいが、中国に対して「このような蛮行はおやめなさい」と諫める程度だ。なのに、中国側が積極的に都倉に対話を求めている。
――いったい何を企んでいるの? 華希宝。
車はあえて街灯の少ない道を走っているようで、自分たちがどこに連れて行かれようとしているのかが、分からなかった。……

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