戦争と「戦う」ウクライナのサッカーファミリーを思う

執筆者:高橋杉雄 2024年2月23日
タグ: ウクライナ
エリア: ヨーロッパ
ウクライナの強豪シャフタール・ドネツクは、2014年を最後に本拠地での試合を行っていない[ウクライナ復興支援チャリティーマッチで来日したシャフタール・ドネツクと対戦相手アビスパ福岡の選手たち。左手前は上川陽子外相=2023年12月18日、東京・国立競技場](C)時事

 戦争は人々から「当たり前の日常」を奪ってしまった。たとえば、週末にひいきのサッカーチームを応援する楽しみ。「ウクライナプレミアリーグ(UPL)」は欧州チャンピオンズリーグ出場のシャフタール・ドネツクはじめ国際的な強豪チームも所属するが、チームが本拠地を置く都市も、そこでの選手やサポーターの日常も、戦火に脅かされ続けている。ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まって2年、そしてJリーグ開幕とUPLのウインターブレイク明けが重なるこの機会に、国際政治にもてあそばれながらも幾度も復活を遂げるウクライナサッカーの姿を防衛研究所の高橋杉雄氏が執筆した。

 ロシアがウクライナに侵攻してから2年が過ぎた。この戦争で、ウクライナは国土の2割近くをロシアに占領されながらも、頑強に戦い続けている。しかし、2023年6月に国土奪還を期して始められたウクライナの反転攻勢は、ロシアの強固な防御陣地を突破できず、大きな成果を挙げられなかった。一方で、ロシアもウクライナに決定的な打撃を与えられていない。2024年2月現在、前線では激しい戦闘が継続しつつも、戦況は膠着し、消耗戦の様相を呈している。

 戦火が日常を浸食し、ウクライナの人々は戦争と日常生活とを両立させながら生き抜いている。戦時下にも日々の生活がある。空襲警報に脅かされながらも、大人は働き、子どもたちは学校に行く。みな日々の買い物をし、食事を作り、夜は寝て、翌日に備える。

 人間が生活するからには娯楽も必要である。日々の時間をすべて戦いに塗り込めてしまうのではなく、娯楽を含めた日常生活を送ることそれ自体が、ロシアの侵略に対する抵抗の表れという考え方もある。サッカーもまた、いまのウクライナにおける貴重な娯楽の1つとなっているのである。

戦火の中のサッカー

 ウクライナのプロサッカーリーグは「ウクライナプレミアリーグ(UPL)」と呼ばれており、ディナモ・キーウやシャフタール・ドネツクが強豪として国際的にも知られている。シーズンは、夏の終わりに開幕し、春の終わりに閉幕する、いわゆる「秋春制」だ。

 2022年2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始したとき、UPLは2021-2022シーズンのまっただ中だった。言うまでもなく、開戦に伴い、直ちにシーズンは中止となった。試合どころか、本拠地が占領されたために活動停止に追い込まれたチームもある。

 しかし、ウクライナのサッカーは死ななかった。開戦して半年後の2022年8月23日に、サッカーが戻ってきた。この日に行われたシャフタール・ドネツク対メタリスト・ハルキウなど4試合をもって、2022-2023シーズンを開始したのである。

 2022年の8月下旬は、ちょうどウクライナがヘルソン方面で反攻に出た時期でもあった。約10日後の9月上旬には、ハルキウ周辺の北部戦線で歴史的な大勝利を挙げ、ウクライナは多くの国土を取り戻した。人々の希望としてのサッカーが再開したタイミングで、戦場から明るいニュースが伝わってきたということでもある。

 しかし、再開されたとはいえ、平和な日常としてのサッカーではなかった。スタジアムがロシアのミサイル攻撃の標的になる可能性があることから、すべてが無観客試合であり、空襲警報発令時には試合は中断されてしまう。文字通りの戦時下でのサッカーであった。

 幸い、2022-23シーズンは予定通りに日程を消化することができ、2023年6月4日に閉幕した。優勝したのはシャフタール・ドネツクである。シャフタール・ドネツクの本拠地は、その名の通りウクライナ東部のドネツク州ドネツク市にある。しかし、2014年を最後に、シャフタール・ドネツクはホームスタジアムのドンバスアリーナで試合を行っていない。ドネツク市がウクライナから切り離されてしまったからだ。現在は国内リーグでは、ポーランド国境に近いリヴィウを主要な拠点として活動している。

 シーズン2位はドニプロ市を本拠とするドニプロ1。ドニプロ市は現在激しい戦闘が行われているザポリージャ州に近く、しばしばミサイル攻撃を受けている。3位となったのは、ゾリア・ルハンシクである。本拠地のルハンシク市は、ドネツク州と同様にロシアに制圧されているウクライナ東部のルハンシク州にあり、シャフタール・ドネツク同様に、2014年以降は本拠地であるアヴァンハルトスタジアムを離れての活動を余儀なくされている。

2014年のドンバス紛争でホームスタジアムを追われたサッカークラブ

 彼らの苦難は、国際安全保障環境の大きな変化によってもたらされた。それを見るために、何十年か時計の針を戻してみよう。

 第2次世界大戦後から1980年代末まで続いた冷戦期において、ウクライナは、ロシアと同じく、ソ連を構成する1つの共和国だった。冷戦期には、アメリカ、西ヨーロッパ諸国、日本からなる西側陣営と、ソ連、東ヨーロッパ諸国などからなる東側陣営は、数万発もの核兵器をお互いに突きつけながら激しく対立していた。

 しかし、経済的にも技術的にも東側は西側に大きく後れを取り、東側が解体する形で冷戦は終結した。1991年12月にはロシアもウクライナもソ連から離脱、それぞれロシア連邦とウクライナとして独立国となり、ソ連は消滅した。この冷戦後の時代、かつて東側としてソ連と同盟を結んでいた東ヨーロッパ諸国は、「ヨーロッパの一員」となることを目指し、ロシアの影響下から脱して、経済においては市場経済化、政治においては民主化、安全保障においては北大西洋条約機構(NATO)への加盟を進めていく。

 一方ロシアは、エネルギー資源の開発に成功して経済的に安定したこともあり、米欧と距離を取り、旧ソ連圏における主導的地位を維持強化することで自らの勢力圏構築を図った。こうした中、旧ソ連の一員でありながらもロシアとは複雑な歴史を持つウクライナは、親ロシア的な政策と「ヨーロッパの一員」となることを目指す政策といずれを追求するかで国内が二分された。そして最終的には2013~14年に「マイダン革命」と呼ばれる政変があり、親ロシア派政権が倒れ、米欧に接近していく方向を取っていくこととなった。

 シャフタール・ドネツクとゾリア・ルハンシクの運命が大きく変わったのはこの時だった。「マイダン革命」直後の2014年春、ソ連時代からウクライナ共和国の領土とされていたクリミア半島に、ロシア軍とみられる部隊が展開した。そして、国際社会の反対を無視して「住民投票」が強行され、最終的にクリミア半島そのものをロシアが併合した。さらに、ドンバス地方と呼ばれるウクライナ東部で、ロシア軍の支援を受けたとみられる親ロシア派武装勢力が、ドンバス地方のウクライナからの分離独立を目的として戦闘を開始した。

 ウクライナ軍は劣勢に立たされ、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」として、ドネツク州の一部とルハンシク州(ウクライナ語読みで「ルハンシク」、ロシア語読みで「ルガンスク」となる)の一部がウクライナから切り離されてしまった。この、切り離された部分に、シャフタール・ドネツクの本拠地であるドネツク市と、ゾリア・ルハンシクの本拠地であるルハンシク市が含まれていた。そのために両チームともホームスタジアムを追われてしまったのである。

Jリーグとウクライナが交差した日

 日本のサッカー界は、ウクライナのサッカーとの縁が薄い。管見の限り、Jリーグの主要なチームでプレーしたウクライナ人選手は、1994~95年にガンバ大阪に在籍したオレグ・プロタソフ選手のみで、彼とても選手キャリアのほとんどはウクライナ独立以前の旧ソ連時代のものである。UPLでプレーしたウクライナ人選手がJリーグのクラブに在籍したことも、日本人選手がUPLのクラブに在籍したこともほとんどない。2022~23年に京都サンガに在籍していたパウリーニョ(ブラジル出身。2005~2009年に京都サンガに在籍したパウリーニョとは別人)が、メタリスト・ハルキウからのレンタルだったのが、2つのリーグに在籍した希有な事例である。 

 ただし、本田圭佑がCSKAモスクワに在籍していたように、ロシアリーグでは何人かの日本人選手がプレーしたことがある。2022年2月24日の開戦時も、FC東京出身の橋本拳人がFCロストフに在籍していた。本拠地はアゾフ海にほど近いロストフ・ナ・ドヌー。激戦が繰り広げられている現在の最前線から約200km離れた要衝である。2023年6月に、ロシアの傭兵組織「ワグネル」の創設者であるエフゲニー・プリゴジンが反乱を起こした街でもある。

 ロシアのウクライナ侵攻に伴い、FIFA(国際サッカー連盟)が、ロシアのクラブに所属する外国人選手の契約の中断を認めたため、橋本はFCロストフを離脱し、戦争が始まってしばらくの間はJリーグのヴィッセル神戸でプレーした(現在はスペインのウエスカに所属)。彼はFC東京で育った選手だから、FC東京のサポーターは複雑な心情だっただろうが、2022年4月6日のヴィッセル神戸対FC東京戦では、FC東京のサポーターが「無事でよかった! 頑張れ拳人!」というメッセージを張り出し、戦場近くの街から無事に戻ってきた橋本を暖かく迎える一幕もあった。

 2023年12月18日、これまでほとんど接点のなかったJリーグとUPLが交差した。親善試合のため、シャフタール・ドネツクが来日したのである。

 ウクライナでは、2023年7月28日から、戦時下では2シーズン目となる2023-2024シーズンが行われている。UPLは2023年12月12日から2024年2月22日まで冬のためにシーズンを中断しており(ウインターブレイクと呼ばれる)、現時点で首位に立っているのがクリフバス・クリヴィーリフ(クリヴィーリフはヴォロディミル・ゼレンスキー大統領の出身地)、2位がドニプロ1、3位がポリッシア・ジトーミルで、シャフタール・ドネツクは首位と勝ち点3差の4位につけている。

 なお、ヨーロッパには、各国の上位のチームが戦う「UEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)」という国際大会があり、シャフタール・ドネツクは、ウクライナからこの大会に出場している。国内リーグがウインターブレイクに入ったばかりの12月13日には、このチャンピオンズリーグでポルトガルの強豪ポルトと戦い、5-3の撃ち合いで敗れ、決勝トーナメントへの進出を逃しており、その直後の来日でもあった。なお、世界的強豪のFCバルセロナとも同じグループだったが、11月7日の試合では1-0で勝利している。それだけの力を持つ強豪だということだ。

 対戦相手となったのはアビスパ福岡である。アビスパ福岡は、J1に定着しているとは言いがたい、いわゆる「エレベータークラブ」であり、J2には4回降格している。しかし、2021年には8位となり、2023年にはリーグ戦7位に加え、ルヴァンカップで優勝し、クラブとして初のタイトルを手にして、J1での地歩を固めつつある。つまり、シャフタール・ドネツクとアビスパ福岡の試合は、ウクライナの強豪クラブを、Jリーグのカップ戦優勝チームが迎え撃つ図式でもあった。

 試合会場は国立競技場。試合開始は19時。真冬のナイターという厳しい環境だったが、招待を含め約1万8000人が詰めかけた。

 アジアにも、ヨーロッパのチャンピオンズリーグ同様、各国の上位のチームが戦うアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)という大会がある。2023年シーズンでは、ACLに出場したヴァンフォーレ甲府のホームスタジアムが大会規定を満たさず、国立競技場でホームゲームを戦わなければならなくなった。そして、筆者を含む多くの首都圏のJリーグサポーターが、ホームタウンである山梨県から遠く離れたスタジアムで戦うヴァンフォーレ甲府を応援するために国立競技場に集った。

 こうして国立競技場で行われたヴァンフォーレ甲府の3試合の観客はだいたい1万~1万6000人弱だった。繰り返すが、福岡をホームタウンとするアビスパ福岡が、ウクライナのシャフタール・ドネツクを迎え撃ったこの日の観客は1万8000人。ヴァンフォーレ甲府のACLの試合を上回る数の人々が国立競技場に集まったことになる。招待も含むとはいえ、ウクライナにそれだけの関心をまだ多くの人々が持ち続けていることを示す数字であると言える。

 現代サッカーの基本原則に「ポジショナルプレー」というものがある。一言で言えば、相手が守りにくい立ち位置にポジションを取り、ボールを動かしながらゴールに向かっていくものだが、シャフタール・ドネツクは、いかにもヨーロッパの強豪クラブというべき、ポジショナルプレーの原則に基づいてアビスパのディフェンスの隙を突くロジカルな攻撃を展開し、「止める、蹴る」というサッカーの基本スキルの高さを見せつけながら、ゴールに迫った。一方、アビスパ福岡も、引かずに守り、強度の高いディフェンスという持ち味を見せながら、隙を見て鋭いカウンターを繰り出した。この試合を見守った約1万8000人の観客を飽きさせない点の取り合いになり、最終的には両軍2点ずつを奪っての引き分けとなった。

開戦2年に思うこと

 SHISHAMOというバンドの「明日も」という歌に「月火水木金 働いた ダメでも 毎日頑張るしかなくて だけど金曜日が終われば大丈夫 週末は僕のヒーローに会いに行く」という歌詞がある。これはJリーグのサポーターの心情を表現したものと言われている。

 Jリーグだけではない。週末に自分のひいきチームを応援するのは、世界のサッカーファンにとって「当たり前の日常」である。ホームゲームであればスタジアムに行きたいし、場合によっては遠征してアウェイゲームも応援する。代表戦になれば他のクラブのサポーターと一緒にナショナルチームを応援する。

 戦争は、こんな「当たり前の日常」を奪う。来日したシャフタール・ドネツクの主要選手の経歴を調べても、戦争が強く影を落としていることがすぐにわかる。

 チャンピオンズリーグのバルサ戦で決勝ゴールを決め、アビスパ戦でも先制ゴールを上げたストライカーのダニーロ・シカンは、戦争直前の2021年までFCマリウポリにレンタルされていた。当時は連日報道されたのでご記憶の方もいるかもしれないが、マリウポリという街は、2022年3月から5月まで熾烈な市街戦が戦われ、街全体が廃墟となった。FCマリウポリは、スタジアムが破壊され、ホームタウンそのものがロシアに制圧されたため、活動停止を余儀なくされた。

 センターバックのミコラ・マトビエンコの出身地はクリミア半島のサキ。2014年以来ロシアに占領されている街だ。この街にはロシア海軍の航空基地があり、2022年8月には大きな爆発が起こった。ロシアの航空戦力に打撃を与えようとしたウクライナのドローン攻撃によるものだと推測されている。

 中盤の要を務める主将のタラス・ステパネンコはドネツク州のヴェリカ・ノボシルカの出身。この小さな町は2023年6月に始まったウクライナの反転攻勢の1つの攻勢軸の中心にある。つまり、故郷が文字通りの激戦地となったのである。

 繰り返すが、彼らのプレーするシャフタール・ドネツクは、ホームスタジアムのドンバスアリーナで約10年試合ができていない。シャフタール・ドネツクのサポーターも、もう10年にわたって、自分たちのスタジアムで応援できていないということでもある。

 筆者は川崎フロンターレのサポーターだが、ホームゲームはほぼすべて行くし、諸事情が許せば遠征にも行く。こうした生活を送っている人々は世界中にいる。しかし、同じくサッカーファンであるという意味で仲間と言えるウクライナのサッカーファンからは、この「当たり前の日常」が奪われてしまった。事実上消滅に追い込まれたFCマリウポリは言うに及ばず、シャフタール・ドネツク、ゾリア・ルハンシクはホームスタジアムを奪われた。戦争によって、週末のサッカー観戦どころか、スタジアムを、あるいはクラブそのものを失ったサポーターたちの悲しみを思うと、同じサポーターとしていたたまれなくなる。

 ロシアの侵攻開始から約1年後の2023年2月23日に、141カ国の賛成のもとで採択された国連総会決議は、国際的にロシアに対し、進行中の侵略を止め、国際的に認められたウクライナの領域全体から即時、完全かつ無条件にすべての軍事力を撤退させることを求めた。ロシアはそれを無視したが、これが実現しない限り、ウクライナのサッカークラブとファンにとっての「当たり前の日常」は帰ってこない。

 ロシアが国連総会決議を無視し続ける限り、ドネツク市をウクライナ軍が奪回するまで、シャフタール・ドネツクはドンバスアリーナに戻れない。そしてその日まで、サポーターたちも、自分たちのスタジアムで自分たちのチームを応援することができない。しかし、現在の戦況を見る限り、近い将来にウクライナ軍がドネツク市を奪回する見込みは極めて低い。これは、ウクライナのサッカーファンにとって、当たり前のはずだった日常がしばらく帰ってこないということを意味している。

 日本でも、Jリーグのクラブが消滅したことがある。横浜フリューゲルスだ。しかし、戦争で「Jリーグのある日常」が奪われたことはない。この平和な日本で、2月23日、奇しくもロシアの侵攻からちょうど2年が過ぎようとする中で、Jリーグの2024年シーズンが開幕する。同じ日にUPLのウインターブレイクが明ける。Jリーグのスタジアムには多数の観客が集う。しかしUPLは無観客試合で、ウクライナのサポーターたちはスタジアムで応援することができない。

 この日、サッカーファンに限らず、Jリーグ開幕のニュースを見る人々には、世界の中に、戦火によって理不尽に「サッカーのある日常」を奪われたサッカーファミリーがいることを、少しでも考えてもらえればと思う。筆者も、1人のサッカーファンとして、平和の大切さを噛みしめながら、そしてウクライナのサッカーファンの悲しみと怒りを分かち合いながら、この日を迎えたい。

カテゴリ: スポーツ 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
高橋杉雄(たかはしすぎお) 1972年生まれ。防衛省防衛研究所防衛政策研究室長。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、ジョージワシントン大学コロンビアンスクール修士課程修了。専門は現代軍事戦略論、日米関係。著書に『現代戦略論―大国間競争時代の安全保障』(並木書房)、『日本人が知っておくべき 自衛隊と国防のこと』(辰巳出版)、『日本で軍事を語るということ 軍事分析入門』(中央公論新社)、共著に『「核の忘却」の終わり: 核兵器復権の時代』(勁草書房)、『新たなミサイル軍拡競争と日本の防衛』(並木書房)、『ウクライナ戦争と激変する国際秩序』(並木書房)、『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか デジタル時代の総力戦』(文春新書)など。
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