文在寅が回顧録で「残念」と語った「金正恩・トランプ会談」交渉決裂の舞台裏

執筆者:礒﨑敦仁 2024年6月17日
エリア: アジア
本の中で、金正恩との間に交わした親書は38通にのぼることが明らかにされた[ソウルの書店で陳列された文元大統領の回顧録『辺境から中心へ』=2024年5月21日](C)AFP=時事
韓国で文在寅前大統領の回顧録がベストセラーとなった。北朝鮮の金正恩国務委員長を「とても礼儀正しい」と評し、38通もの親書の往復があったことを明かす一方、決裂に終わった米朝交渉について溜息を吐くかのように何度も「残念」だと振り返る。その失敗の原因としてボルトン米大統領補佐官とともに日本の安倍総理(ともに当時)に言及するなど、日本への不信感も露わにしている。

 2018年に金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長との首脳会談を3回(4月、5月、9月)実現させた文在寅(ムン・ジェイン)前大統領の回顧録『辺境から中心へ』が韓国で出版され、ベストセラーとなった。金正恩と対面した時の印象を、「とても礼儀正しいものでした。年長者に対する尊重が身にしみついたような行動でした」と述べたのみならず、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の政策を批判しているため、韓国の保守層から反発を招くのは当然であった。

 文在寅自身は回顧録のなかで、韓国社会では朝鮮半島の分断を「政治的目的に利用しながら敵対的共生を追求する勢力」と「どうにかして克服しなければならない、統一が最高の形だが統一できなくとも少なくとも平和を成し遂げ、互いに往来して交流して協力しなくてはならない」とする勢力があると述べている。韓国国内における保守と進歩の対立、いわゆる「南南葛藤」を表現したものだが、韓国の主要メディアもその色彩の違いが明確である。

 しかも韓国メディアでは、金正恩が「自分にも娘がいるが、娘の世代まで核を頭に載せて暮らしたくはない」といった言い回しで非核化の意思を文在寅に対して説明したこと、「いつか延坪(ヨンピョン)島を訪問して、(2010年11月の)延坪島砲撃事件で苦痛を経験した住民たちを慰労したい」と述べたりしたことなど、事実とはいえ同じ個所ばかりが引用されているのも気になる点である。ただ、金正恩の「愛するお子さま」が初めて表舞台に登場したのは2021年11月であるため、金正恩が2018年の時点で「子供」や「息子」ではなく「娘」に言及したことは注目に値する。

 ここでは、計656ページ、全13章の回顧録でハイライトとなっている南北関係、北朝鮮情勢の部分に焦点を置いてレビューする。具体的には、時系列で述べられた第3章「平和オリンピックの夢を成し遂げる」、第4章「そして板門店」、第5章「決断の電撃会談」、第6章「ついに米朝首脳が対面する」、第7章「平壌、綾羅島、白頭山」、第8章「ああ!ハノイ」が主対象となる。

中国から「仕方なく」飛行機を借りた金正恩

 全体としては、「残念」という心情の吐露がやたらと目についた。同じページに3度も出てくることがあり、溜息のようである。せっかく米朝首脳会談のお膳立てをしたにもかかわらず、大きな成果に結実しなかったことが率直に「残念」なのだろう。

 裏を返せばそれはつまり、米朝関係や南北関係、「非核化」の進展について文在寅が相当な自信と期待感を持っていたことを示している。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
礒﨑敦仁(いそざきあつひと) 慶應義塾大学教授。専門は北朝鮮政治。1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。韓国・ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員、外務省第三国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、米国・ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロー・ウィルソンセンター客員研究員など歴任。著書に『北朝鮮と観光』(毎日新聞出版)、共著に『最新版北朝鮮入門』(東洋経済新報社)など。
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