
新型NISA(少額投資非課税制度)の口座数が大きく伸び、その売買高は株式市場に影響を及ぼす存在にまでなりつつある。日経平均株価が34年ぶりに新高値を更新したことなども幸いして、順調な滑り出しと言える。だが、新型NISAが一般の投資家にまで幅広く浸透しているかと言えば、まだまだ道は遠そうだ。やっと一部の個人がNISAに目覚めつつある、といった程度だろう。
新型NISAの加入者は、Z世代(おおよそ20~30代)を中心とした若い世代が多く、50代以上のシニア層には遠い存在と言っていい。ところが、現在の世界経済や金融マーケットを俯瞰すると、これまでのような預貯金だけの資産防衛ではとても家計を維持していけない状況が窺える。
定年退職を機に、それまでの投資運用を辞めて、預貯金だけに資産を集中させようとする人も少なくない。しかし、今後の平均余命を考えると20年から30年の期間があり、退職金だけで現在のインフレに対応できるかどうかが不安になっている人も多いはずだ。
そんな意味もあって、リタイア世代こそNISAを始めなければいけない状況にあると言っていいかもしれない。定年前後のシニア世代にとってNISAの活用がいかに重要であるのか考えてみたい。
資産は世界の大きな変化に直面する
新型NISAは、この1月以降、「つみたて投資枠」に年120万円、個別株などにも投資できる「成長投資枠」に年240万円が非課税枠として使える新しい制度だ。これまでのNISAに比べて投資額が大きく拡大され、しかも生涯の投資枠として最大1800万円、うち成長枠は1200万円まで利用できるようになった。
期限がなくなり生涯使えることになったため、シニア世代でも長期に亘って資産運用に活用できる。リタイアしたら、運用リスクのある投資からは卒業したい、と考える人も少なくないが、現在の時代の変化の前では通用しないかもしれない。ここ数年で、世界には大きな変化が起きつつある。いま世界で何が起こっているのか、具体的に5つのポイントにまとめてみよう。
(1) デフレからインフレの世界へ
新型コロナウイルスのパンデミックやロシアによるウクライナ侵攻によって、世界は大きくシステムを変えつつある。原油や食料品、肥料、金属といった資源価格が高騰し、世界は、インフレが恒常化する社会に転換してしまった。30年近くデフレ経済に苦しめられた日本も、あっけなくインフレへと転換した。リタイア世代にとっては、大きくシナリオが変わってしまい、現在の年金や預貯金だけでは長い老後生活を支えられないことが現実になりつつある。
(2) ドル本位制の崩壊?
最近の金価格高騰の背景には、米ドルを基軸通貨とする西側陣営に対峙するロシアや中国の存在があると言われている。とりわけロシアは、世界中から金融制裁を受けている関係で、ルーブル決済や中国の人民元決済などに代替することでドル離れを進めている。要するに、米ドルが将来的に「基軸通貨」のまま存在できるのか、時代の転換期にあると言って良い。
こんな状況では、20年後、30年後の未来がどうなるのか全く想像もつかない。金価格が天井知らずに上昇している背景には、中国やインドの投資家や政府が、米ドルに代替する金融資産として買っていると考えられる。最近は、ビットコインといった仮想通貨(暗号資産)などの「代替金融商品」の価格も急騰している。
(3) 日本円の下落が招く日本経済の凋落
日本のデフレがここに来て、やっとインフレにシフトしているが、その背景には日本円の凋落がある。ドル円は無論のこと、ユーロ円やポンド円、豪ドル円といったクロス円も安くなっている。日本円の預金だけで資産防衛をするには、どう考えても、無理があると言っていい。円安が進めば、海外依存度の高い食料やエネルギー資源価格もまた上昇していく。
実際に、外国人旅行者の羽振りの良さを見ると、日本はすでに先進国のグループにはいないのかもしれない。日本人が海外に出稼ぎに行く時代が、すでに現実のものになっている。日本円の下落は、日本経済の凋落であり、日本では稼げない時代になっているということだ。今後に老後を迎える人は海外に出稼ぎに行くか、海外の資産に投資して運用益を稼ぐしかない。
(4) 地政学リスク、気候変動リスクなど不透明な未来
最近の世界は、至るところで戦争が勃発し、予期しない気候変動のリスクにさらされている。日本も、米国に守られているとは言え、米国に対峙する中国や北朝鮮、ロシアと距離的に近い状況にあり、将来的に何が起こるかわからない。
ここでは非常事態、緊急事態時の生活設計も考えておく必要があるということだ。考えたくはないが、台中紛争やホルムズ海峡封鎖も身近なリスクとして存在する。平均余命までの人生を、どんな状況になっても生き抜く方法を考えなければいけないだろう。
(5) 延び続ける平均寿命、介護保険料で老人は困窮する?
日本の平均寿命は、相変わらず世界のトップクラスと言っていい。60歳の平均余命を見ると、男性で23.59年、女性では28.84年(2023年、厚生労働省)。まさに20~30年は生き続けなければいけない状況にある。しかも、要介護状態になってしまえば、莫大なお金が消えていくことになる。頼りの介護保険も、この4月からの介護保険料基準額の全国平均は「月額6225円」となっている。最高額は大阪市の9249円だった。
今後も確実に介護保険料の負担は増えていくことになり、健康保険料もここ何年も増額されている。要するに死ぬまで働かなければ食べていけない人がどんどん増えてくることになる。働けるうちはいいが、そのうち働くこともできなくなってくる。そんな時に「運用スキル」を身に付けていればひょっとしたら何とかなるかもしれない。加えて、AI(人工知能)の発達で、これまでのキャリアが全く通用しなくなる日も近いかもしれない。近未来はまさに不透明なのだ。
年3%のインフレで10年後の資産はどうなるか
シニア世代、もしくはリタイア世代と言われる年齢層の人にとって、資産運用は怖い、リスクがつきまとう、といったイメージを持つ人が多いだろう。確かに株価の暴落もあれば、為替変動もある。資産運用に価格変動リスクはつきものだ。しかし、預貯金にもインフレという大きなリスクがあることを忘れてはいけない。しかも、今後はそのリスクが現実のものになる。
現在のような年3%程度のインフレ率が続いていけば、単純な複利計算なら10年後には34%程度の資産が目減りする。総務省の家計調査によると、世帯主が65歳以上の無職世帯の金融資産は、平均で2504万円となっている。このうち預貯金は1600万円。6割超が預貯金に偏っているわけだが、インフレが続けばそれが10年間で実質1200万円以下になってしまうことになる。
日本銀行がマイナス金利を解除して、今後は金利のある社会になりつつあると言われているが、日本銀行や日本政府が抱える「利息を支払わなくてはならない借金(債務)」の額を考えると、とても金利を大きく上げられるような環境ではない。日本銀行は、「1.8%」まで金利を上げると債務不履行に陥るというシミュレーションもある。つまり、預貯金が利子で増えることは期待できない。
20~30年の老後生活を、これまでのように何もせず、預貯金を取り崩しながら年金だけで暮らしていく、という生活スタイルは通用しないかもしれない。
では、具体的にどんな資産運用法があるのか。新型NISAはつみたて投資枠と成長投資枠の2種類だが、年間120万円、月額10万円のつみたて投資枠を使ってリスクを分散させる方法が注目されている。成長投資枠で個別株などに投資すると、株価暴落などのリスクが大きいが、つみたて投資であれば、ある程度の価格変動リスクを吸収することができるかもしれない。
期限が無期限になったために、NISAでも長期投資が可能となり、リスクを分散できる。退職金をそのまま預貯金にして放置しておくのではなく、仮に月額1万円でもいいから、とりあえずは投資スキルを身に付ける意味でスタートさせる。そんな方法でも構わない。
新NISAで商品投資の選択肢も
問題はどんな金融商品に投資するかだが、一般的には日本を含めた全世界の株式市場に投資する「オールカントリー」と、米国株の代表的な株価指数である「S&P500」に連動することを目指す投資信託の人気が高いと報道されている。この選択肢で良いのかどうかは、5年先、10年先にならないとわからないものの、日本以外の資産に投資するのは分散投資という意味で良い選択だろう。
日銀の金利引き上げが近いと報道されているが、日米の金利差が縮小することで、ドル円やクロス円も含めて、為替市場がやや円高に振れるかもしれない。そんなときは新型NISAで運用をスタートさせるチャンスと言ってもいいだろう。
もっとも、世界中の株式市場は価格が高くなりすぎて運用初心者としては怖い、という人もいるだろう。株式に投資するのではなく、たとえば金のような貴金属や原油のような資源関連に投資したいという人もいるはずだ。最近は高齢化する世界に対して運用対象を世界で最も安全な資産と言われる米国債から、金にシフトさせた方がいい、と指摘する債券の専門家の提言などが報道されている。(米ブルームバーグ「高齢化する世界、資産運用者に迫る変化と決断」2024年5月22日配信)。既存の投資セオリーが通用しない時代なのかもしれない。
金投資などには、NISAは使えないと思われがちだが、そうではない。新NISAで上場投資信託(ETF)を購入することも可能であり、その投資収益にかかる税金を非課税にできる方法もある。原油なども含めて株式市場で商品に投資できるETFが複数本上場されている(ただし、外国籍ETFの配当金や分配金には、外国で収益に課税される)。
運用経験者も、初心者も長い老後を運用せずに過ごそうとするのは、あまりにもリスクが高い時代であることを認識すべきだろう。
◎岩崎博充(いわさき・ひろみつ)
経済ジャーナリスト 1952年、長野県生まれ。武蔵大学経済学部卒。雑誌編集者を経て、独立。経済、金融に特化したライター集団「ライトルーム」を設立。著書に『日本人が知らなかったリスクマネー入門』(翔泳社)、『「老後プア」から身をかわす 50歳でも間に合う 女の老後サバイバルマネープラン!』(主婦の友インフォス情報社)、『老後破綻 改訂版』(廣済堂新書)など多数。