ロックダウンの功罪――法的強制力のない日本の「緊急事態宣言」は有効だったか

執筆者:松本哲哉 2024年8月14日
エリア: ヨーロッパ
2020年3月23日、ジョンソン英首相(当時)はテレビ演説でロックダウンの開始を国民に伝え、不要不急の商業施設やサービスの閉鎖と2人以上の集会の禁止に踏み切った(C)AFP=時事
欧州各国はロックダウンで人々の行動を強制的に制限した。人と人の接触を極力減らすことは感染症対策として重要であり、ロックダウンはその点で有効だが、一方で都合3回を実施したイギリスは日本を上回る死者を出している。国民生活が受けるストレスやリスクを正確に踏まえた政治判断など、行動制限と関連する要素も総合的に視野に入れて、これまでの対策を検証する必要がある。

 2024年7月上旬、ある機会を得てイギリスの医療機関および政府の感染症対策に関わる各種の団体を訪問することができた。イギリスは新型コロナウイルス感染症に関する様々な疫学的解析や遺伝子解析を当初から積極的に実施し、それらによって得られた情報は諸外国に抜きんでていた。しかし、パンデミックが始まった当初、多くの感染者が出て、高齢者を中心に死者数も多く報告されていた。

 そこで、実際にイギリスではどのような対応を取ったのか、特にロックダウンという感染対策は本当に有効だったのかなどについて、そのやりとりを含めて感じたことを報告したい。

イギリスでは何が起こっていたか

 日本では法律上の建て付けにより、強制力を持って外出などを禁止するようなロックダウンは実施できない。しかし、英国をはじめ欧州各国の多くはロックダウンを実施した。当時の状況は日本でも報道され、人影が消えてまるでゴーストタウンになったかのような街中の風景が映し出された。テレビ局の特派員は、特別な許可がないと仕事に行けず、薬を受け取ったり生活必需品の買い物をする以外は、外出は許されないといった状況を説明していた。

 当時、「イギリスは大変だな」という感想を持たれた方は多かったと思うが、それがどれほどの深刻さなのかは伝わらなかった。そこで、一般の市民はロックダウンの際にどう過ごしたのか聞いてみると、予想以上に厳しかったようである。

 イギリスはこれまで3度のロックダウンを行ってきた(1回目は20年3月23日~5月上旬、2回目は20年11月5日~12月2日、3回目は21年1月上旬~夏)。最も厳しい対策がとられた時期には外出は必要最小限に抑えられ、警察官が街中で監視していて、外出の要件を満たしていない場合は逮捕されるケースも少なく無かったという。さらに人々にとって耐え難かったのは、葬儀への参列が制限され、家族が新型コロナで死亡しても満足に死者を見送れないことであった。

 まさにイギリスの国民にとって、ロックダウンはトラウマになっていた。

カテゴリ: 医療・サイエンス
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執筆者プロフィール
松本哲哉(まつもとてつや) 国際医療福祉大学医学部感染症学講座代表教授、国際医療福祉大学成田病院感染制御部部長 1987年長崎大学医学部を卒業後、同第二内科に入局。米国ハーバード大学留学後、東邦大学講師、東京医科大学主任教授を経て、2018年から現職。日本化学療法学会理事長、日本臨床微生物学会理事長、日本環境感染学会COVID-19対策委員長。日本感染症学会専門医・指導医。PMDA委員、AMEDプログラムスーパーバイザー、東京都iCDC専門家ボード感染制御チームリーダー等も兼務。主な著書に『新型コロナウイルス 「オミクロン株」完全対策BOOK』(宝島社、監修)、『福祉現場のための感染症対策入門』(中央法規出版、監修)、『これだけは知っておきたい日常診療で遭遇する耐性菌ESBL産生菌』(医薬ジャーナル社)、『介護スタッフのための 高齢者施設の感染対策』(ヴァンメディカル)など。
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