非戦略核の軍事的合理性を再考する――石破総理「ハドソン論文」に見える核抑止論の検証(上)

執筆者:小木洋人 2024年11月5日
エリア: アジア
米中が戦略的安定にある場合、最も危険なのは通常戦力以下のレベルでの冒険的行動だと考えられる[中国の弾道ミサイルDF-26=2019年10月1日、中国・北京](C)EPA=時事
自民党総裁選の終盤に米ハドソン研究所サイトに掲載された石破茂氏による論文が大きな波紋を広げている。「アジア版NATO」創設の主張には特に疑問が集中したが、これと並んで重要なのは核抑止力強化をめぐるくだりだろう。「米国の当該地域への拡大抑止は機能しなくなっている」として、核共有や核持ち込みの検討を唱える論理は明確だとは言い難いが、ここにはしばしば核抑止論の盲点となる、非戦略核・低出力核の軍事的有効性についての再考を促す貴重な切り口が見つけられる。

 かつて日本には、米軍の核兵器が配備されていた。正確には、日本への返還前の沖縄に、である。1954~55年の第一次台湾海峡危機及び1958年の第二次危機を受けて中台の軍事的緊張が高まると、同盟国中華民国(台湾)への攻撃を抑止するため、米空軍は核を搭載したメースB戦術地対地巡航ミサイルを1961年から沖縄に配備した。良く知られるように沖縄返還交渉においては、この沖縄配備核兵器の取扱いが大きな論点となり、いわゆる「密約」の問題を孕みつつも佐藤栄作総理が「核抜き・本土並み」を決断し、1972年にこれが実現した。

 一方、あまり知られていないのが、「核抜き」でも軍事合理的に問題ないと考える専門家の影響力である。冷戦期の防衛政策に大きな影響を及ぼした内務・防衛官僚だった海原治は、国防会議事務局長を務めていたおそらく1967年頃、幹事長等を歴任した自民党の田中角栄を訪問した際、沖縄の核付き返還の是非を問われた。そこで海原は、「別に核は要らない」、「メースA、Bとありますが、古い方です。こんなものは役に立たないし、ポラリス潜水艦もできたことだし、沖縄に核は要らない」と応じた1。沖縄に配備された核は兵器として時代遅れであり、加えて核弾頭搭載の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)である「ポラリス」も運用されているのだから、不要だとしたのである。

 また、佐藤総理の諮問機関として若泉敬、高坂正堯ら民間有識者を集めて設置された「沖縄問題等懇談会」分科会の「沖縄基地問題研究会」も、佐藤の「核抜き」方針表明に影響を与えたとされる。1969年に同研究会は報告書を提出したが、そこで沖縄への核配備の重要性の低下を指摘したのである2。この結論を下支えしたのが、研究会を構成する有識者のほか、同研究会が開催した「沖縄及びアジアに関する日米京都会議」に出席した米国の核専門家であった。そこで米国核戦略の基礎を築いたアルバート・ウォルステッターは、脅威に対する核戦略上の近接基地の役割低下と東アジアにおける核アセットの必要以上の重複を理由として、返還後の沖縄米軍基地に対する、本土と同様の安保条約に基づく事前協議制の適用を主張した3。「核抜き」沖縄返還の背景にこうした戦略論の観点からの下支えがあったことが、その実現を確かなものとしたと言える。

 こうして考えると、核抑止の議論には軍事的有効性(military effectiveness)の裏付けが不可欠であることが分かる。しかし核抑止論は、核兵器も兵器である以上、戦場において軍事的効果を発揮するために用いられるという前提をしばしば忘れてしまう。石破茂総理が総理大臣選出直前に米国ハドソン研究所ウェブサイトに寄稿した、アジア地域での核共有や米国の核の展開を主張した論文も、その一つの例である。

 そこで本稿では、核兵器、中でも特に戦場等での使用が想定され得る非戦略核・低出力核の軍事的有効性について改めて考えてみたい。

石破論考の核抑止論を軍事効果から検証する

 石破論考で提言された内容のうち、国内外から最も多くの批判を招いたのがアジア版NATO創設であった。そして、これと並んで重要なのが、「アジア版NATO」によって目指すという、核共有や核持ち込みによる核抑止力強化をめぐる部分である。

 NATO(北大西洋条約機構)における核共有をそのまま「アジア版NATO」に移植する議論の粗さはさておき、石破論考の核抑止論で特に問題となるのが以下のくだりだろう。石破論考によると、「最近では、ロシアと北朝鮮は軍事同盟を結び、ロシアから北朝鮮への核技術の移転が進んでいる。北朝鮮は核・ミサイル能力を強化し、これに中国の戦略核が加われば米国の当該地域への拡大抑止は機能しなくなっている」とされる。

 就任前とはいえ現職となる日本の総理大臣が米国の拡大抑止に疑問を呈したまま、何らの政策的手当ても施されない状態はあまり健全とは言えない。米国の拡大抑止への疑念の背景にある論理は石破氏自身が明確に示すべきであり、この不明瞭な一文はその役割を果たしているとは言えない。

 だが、その上で、あえて石破氏の論理を探れば、次の二通りが考えられる。

▼第一の解釈は、核開発を進める北朝鮮に核保有国であるロシアが援助を行うとともに、中国が戦略核のレベルで米国を抑止すれば、非戦略核以下のレベルにおける北朝鮮の軍事行動を抑止することができない、という主張である。いわば中朝、ロ朝の二つの同盟による抑止力がもたらす「安定・不安定パラドクス」(戦略核レベルでの安定性がそれ以下のレベルでのエスカレーションを招くという逆説)とでも言うべきものだろう。

▼第二の解釈は、よりシンプルに、北朝鮮と中国が核戦力を強化することにより、それぞれとの間で安定・不安定パラドクスが生じるという主張であろう。

 これらに対処するための手段が、おそらく非戦略核を念頭に置いた地域への米核戦力の導入ということになる。

 石破氏がどちらの立場をとっているのかは判然としないが、いずれの論理にも問題がある。

▼第一に、北朝鮮が非脆弱な戦略核戦力を構築していない以上、戦略核のレベルにおいて米国の北朝鮮を対象とした拡大抑止が機能していないというのは言い過ぎだろう。

▼第二に、北朝鮮が戦略核レベルの対米抑止を「核同盟」に依存し、非戦略核や通常戦力レベルにおいて韓国や日本への冒険的行動に打って出るとの前提は、思考実験としては面白いが必ずしも強い説得力は持たない。特に、自らが達成していない戦略抑止力を同盟国に依存せざるを得ない構造の中で、戦略レベルにエスカレートする可能性のある非戦略核の投入に打って出るほどの楽観的な戦略観を金正恩が有しているとは思えない(そうであるがゆえに、北朝鮮はICBM=大陸間弾道ミサイル=の開発・能力向上に注力しているのだろう)。

▼第三に、中国単体との関係における安定・不安定パラドクス対処についても、非戦略核の強化が最も優先させるべき課題だとの主張は疑わしい。確かに米国防省の見積りどおり、中国が核弾頭を1000発以上にまで増加させるとともに、ICBMの多弾頭化(DF-41等)やサイロ化、米本土まで到達し得るSLBM(JL-3)の運用を進めれば、将来米国との間で戦略的な安定性を獲得する可能性はある4。そして、それが非戦略レベルでの中国の冒険的行動を促進するかもしれない。しかし、かかる冒険的行動が通常戦力レベルで頻発し得ても、非戦略核のレベルで起こる可能性が高いとまでは言えない5。中国が日米などに対して通常戦力において深刻な劣勢にあるわけではないからだ。

 冷戦期、米国アイゼンハワー政権の下で採用された大量報復戦略により、東側の大規模通常戦力を抑止するため欧州に大量の戦術核が導入された。そこではNATO側の通常戦力における劣勢を補完するため、敵地上兵力に対する戦術核の投射が想定されていた。

 一方、現在の西太平洋地域において、単純な量的比較では、中国が日本や前方展開する米軍を凌駕する兵力を有している6。また、地続きの欧州とは異なり海上・航空領域が主体となるインド太平洋正面においては、分散する地上兵力を面制圧するために核を使用するといった誘因が小さい。海上・航空領域では、基本的に戦闘は艦艇、航空機といったプラットフォームを中心に行われるが、陸上と異なりそれらを無数に分散して運用することはできないからである。

 したがって、敵の艦艇、航空機を撃破するためには通常弾頭を搭載した精密誘導火力を用いれば足りるのであり、非戦略核の方がより高い軍事効果を得られるような戦闘様相は、あまり考えられない(これは日米側にとっても同様だろう)。

 例外の一つは、艦艇、航空機が港湾や基地に所在する場合に、これらを一網打尽にすることだろう。しかしこの方法は、緒戦で奇襲的に非戦略核を用いる場合には使えても、徐々にエスカレーションラダーを上げる中で用いる場合には、艦艇、航空機が機動・分散展開している可能性を踏まえると現実的な有用性に疑問が生じる。

 もう一つの例外は、海上・航空戦闘において多数の無人機が投入される場合である。米海軍は、分散型海洋作戦(DMO)構想により、無人水上艇(USV)・水中艇(UUV)と有人艦艇を組み合わせて大規模艦隊を分散的に運用する戦い方の導入に注力している。仮に将来このような態勢が構築されれば、海上作戦が地上作戦に類似した戦い方、すなわち広範囲にプラットフォームが分散した戦い方となる可能性があり、これを無力化するため非戦略核の有用性が向上するかもしれない。ただし、将来の戦い方に備える必要性は論を俟たないものの、これが喫緊の課題であるとまでは言えないだろう。

▼第四に、中国の非戦略核戦力の運用は、通常戦力と統合されていない。確かに米国防省の中国軍事力報告書は、中国の戦略家の議論を紹介しつつ、中国が低出力核に一定の役割を見出していることを指摘する7。しかしそこで論じられているのは、紛争抑止あるいは米国の非戦略核に対する均衡的手段としての保持であり、使用する場合の具体的用途が明確化されていないことに注意を払う必要がある。そのためなのか、2016年に発足した中国の5大統合戦区は、DF-21やDF-26といったロケット軍所属の長射程ミサイル部隊への戦時指揮権は有しておらず、それらを含め、核戦力部隊への指揮権は中央軍事委員会に留保されている8。このことを踏まえれば、中国は非戦略核(米本土に到達しない射程の核)であっても、専ら地域における戦略目標への用途を考えており、戦場での使用を念頭に置いた体制は現時点においてとれていないと捉えるのが穏当だと思われる。

 これらの問題を踏まえると、中国が米国との関係で戦略的安定を確立した場合、最も危険なのは通常戦力以下のレベルにおける冒険的行動であろう。だからこそ、その可能性に備える意味でも、日本は通常戦力を強化しなければならない。実際に使用された場合の有効性を考えない核抑止論は、資源投下の優先順位を誤る危険を孕んでいる。 (続く)

 

1 『C.O.Eオーラル・政策研究プロジェクト 海原治オーラルヒストリー(下巻)』政策研究大学院大学、2001年、187頁。

2 沖縄基地問題研究会「沖縄基地問題研究会報告」1969年3月8日、ジャパン デジタル アーカイブズセンター『オンライン版楠田實資料』https://j-dac.jp/KUSUDA/index.html

3 日米京都会議実行委員会「日米京都会議報告書資料 開会挨拶・問題提起・議長報告」1969年1月31日『楠田實資料』;小伊藤優子「佐藤政権期における基地対策の体系化:ふたつの有識者研究会の考察を中心に」河野康子及び渡邉昭夫編『安全保障政策と戦後日本1972~1994:記憶と記録の中の日米安保』千倉書房、2016年、47-74頁。

4 神保謙「中国:「最小限抑止」から「確証報復」への転換」秋山信将及び高橋杉雄編『「核の忘却」の終わり:核兵器復権の時代』勁草書房、2019年、第3章。

5 後瀉桂太郎「欧州とアジアにおける「核の閾値」―非戦略核をめぐる思考実験」岩間陽子編『核共有の現実:NATOの経験と日本』信山社、2023年、199頁。

6 もっとも、米軍の兵力は西太平洋の前方展開兵力だけではなく、ハワイ、本土西海岸など米国内の増援兵力も踏まえて評価することが必要である。いずれにせよ、少なくとも中国は自らの通常戦力が大幅に劣勢にあるとまでは考えていないだろう。

7 Office of the Secretary of Defense (OSD), US Department of Defense, “Military and Security Developments Involving the People’s Republic of China (CMPR) 2023” (October 2023), 111-112.

8 杉浦康之『中国安全保障レポート2022:統合作戦能力の深化を目指す中国人民解放軍』防衛研究所、2021年、47、54頁;Wu Riqiang, “Assessing China-U.S. Inadvertent Nuclear Escalation”, International Security 46, no. 3 (Winter 2021/22), 155.

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
小木洋人(おぎひろひと) アジア・パシフィック・イニシアティブ/地経学研究所国際安全保障秩序グループ 主任研究員。防衛省で総合職事務系職員として16年間勤務し、2022年9月から現職。2007年防衛省入省。2009年から防衛政策局国際政策課で米国以外の国では初となる日豪物品役務相互提供協定(ACSA)の国内担保法を立案。2014年から2016年まで外務省国際法局国際法課課長補佐として、平和安全法制の立案や武力行使に関する国際法の解釈を実施。2016年から2019年まで防衛装備庁装備政策課戦略・制度班長として、防衛装備品の海外移転の促進、ウクライナへの装備支援でも活用された外国軍隊への自衛隊の中古装備品の供与を可能とする自衛隊法規定の立案、防衛産業政策などを主導。2019年から2021年まで整備計画局防衛計画課業務計画第1班長として、陸上自衛隊の防衛戦略・防衛力整備、防衛装備品の調達を統括。2021年から2022年まで防衛政策局調査課戦略情報分析室先任部員(室次席)として、ロシアのウクライナ侵略、中国の軍事動向を含む国際軍事情勢分析を統括。2007年東京大学教養学部卒、2012年米国コロンビア大学国際関係公共政策大学院(SIPA)修士課程修了。
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