
実は「すぐ入院できる病院」が少ない東京
医療機関の経営環境が急速に悪化している。円安に伴う物価高、人件費上昇、そして6月から実施された診療報酬改定が主な原因だ。我が国の診療報酬は全国一律だから、コストが高い東京から医療は崩壊する。すでにその兆候は顕著だ。
東京には医師が大勢いて、病院も多いと考えられているが、状況は複雑だ。大学病院や大病院は多いが、肺炎や胃腸炎などですぐに入院できる中小病院は少ない。表1は、主要都市における中規模病院(200床未満)の人口1000人あたりの病床数を示す。文京区をはじめ、都内で不足しているのが一目瞭然だろう。
文京区には4つも大学病院があるが、小回りが効く200床未満の病院は2つしかない。このうち、急性期病院は1つだ。
大病院は国公立や日本赤十字や済生会などの特殊法人・社会福祉法人が経営するため、診療報酬が下がっても何とか経営を維持できる。病床数が19以下のクリニック(診療所。病床数20以上が医療法上の「病院」に該当する)は、日本医師会の政治力により、診療報酬が優遇(特定疾患療養管理料など)される。一方で、政治力がない民間経営が多い中小病院は、都内からすでに撤退を完了していると言っていい。
これが、コロナ禍に都内で入院難民が多発した理由だが、政府に問題意識はない。ますます医療費を抑制するようだ。高齢化が進み、財政難に喘ぐ現状では、「診療報酬は抑制するしかない」という訳だろう。このやり方を推し進めれば、生き残っている数少ない民間病院も撤退せざるを得なくなる。
財務省が主張する「医師過剰論」の矛盾
医療費抑制を強硬に進めるのは財務省だ。もちろん、彼らの立場は理解できる。問題は、現状に対する認識だ。
4月16日に財政審財政制度分科会に提出された資料が興味深い。その中で、ドイツとフランスをとりあげ、「日本と同様に公的医療保険制度をとる中で、診療科別、地域別の定員を設ける仕組みをとっている」と紹介している。具体的には、規制当局が「需要計画」を立て、「供給水準が一般比率の110%超」で「過剰供給」として新規開業を制限するそうだ。
私は、このような主張を聞いて呆れた。事実を無視した暴論だからだ。財務省は知的エリートの集団のはずだが、なぜ、誰も、この主張に疑問を挟まなかったのだろう。
もし、ドイツを始めとした欧州諸国が「需要計画」に基づく開業規制により、「過剰供給」を防いでいるのなら、なぜ、日独の医師数に大きな差があるのだろうか。2020年現在、ドイツの人口1000人あたりの医師数は約4.5人で、日本(2.6人)の1.7倍だ。
財務省は医師誘発需要仮説に立脚しているのだろう。医師が増えると、医療費が増えるという訳だ。この仮説の妥当性については専門家の間でも見解が分かれるが、もしそうなら、財務省がやるべきは医師の総数のコントロールで、開業規制ではない。開業規制をして喜ぶのは、ライバルが減る医師会と、開業の道が閉ざされるため勤務医を確保しやすくなる病院経営者だけだ。結果論だが、財務省は、このような既得権者の肩をもっていることになる。
8月21日、松本吉郎日本医師会会長が「医師偏在に対する日本医師会の考え方」を発表し、医師不足地域での開業支援や、医師マッチングの仕組みを創設するため、全額国費で1000億円の基金を創設することを求めた。これなど、典型的な「焼け太り」だ。
ちなみに、これを取りまとめたのは、日本医師会の事務局長を務める宮嵜雅則氏だ。宮嵜氏は、厚生労働省健康局長を務めた元医系技官である。厚労省の元高官が、日本医師会に天下り、厚労省の施策に合わせて補助金を求める。財務省は、この関係をどう考えているのだろうか。
財務省は、ドイツ国内の医師の配置を議論する前に、ドイツ全体の医師供給を参照すべきだ。そうすれば財務省にとって、ドイツは理想的なモデルではなくなるだろう。本気で医師数を抑制しようとしていないからだ。人口10万人当たりの医学部卒業生数は12.4人と日本(7.3人)の1.7倍である。
日本の人口あたりの医学部定員は、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中、イスラエル(6.8人)、韓国(7.3人)に次いで少ない。トップのラトビア(27.6人)の4分の1だ(図1)。最近、韓国は医学部定員を大幅に増員することを決めた。医師過剰を喧伝する日本とは対照的だ。
2006年に厚労省が発表した医師の需給に関する検討会報告書では、2022年には臨床医師数が必要とされる医師数と均衡すると推計していた。当時、この議論に参加した有識者や官僚たちは、現状をどう考えているのだろうか。
医師過剰論を喧伝してきた日本政府の言い分が正しいとすれば、ドイツの医師は多すぎる。医師の将来は絶望的であるはずだ。ところが、ドイツの若者はそうは思っていない。国内には43の医学部があり、約9500人の定員に約4万5000人が応募している。ドイツでは、いまでも医師の地位は高く、医学部が人気学部だ。
政府の議論に欠落している歴史的視点
かくの如く、ドイツをモデルとする財務省の言い分は破綻している。実は、このような主張は財務省に限った話ではない。
厚労省もドイツが大好きだ。2015年度には「諸外国の医師配置等に関する研究」という厚労科研(代表:小林廉毅東大教授)が始まり、武田裕子順天堂大学教授が「ドイツの医師配置等に関する研究」を分担した。
このような議論に欠落しているのは、歴史的視点だ。他国の医療制度を参照するなら、その国の歴史や文化的背景を考慮しなければならない。ドイツも例外ではない。
ドイツで、組織的な医学教育が始まったのは、1388年のハイデルベルク大学とされている。同大学は教皇ウルバヌス6世の指示により、プファルツ選帝侯ルプレヒト1世によって設立された。他の欧州の名門大学と同じく神学校、医学校、法学校から始まっている。
ちなみに、この時期に高等教育が発展したのは、欧州に限った話ではない。1549年に来日したフランシスコ・ザビエルは、日本には10余りの大学やアカデミーがあり、「日本国中最も大にして最も有名な大学」として足利学校を紹介した。足利学校は、儒学や兵学などの他に医学を教えている。
足利学校の起源については諸説あるが、その発展には、領主上杉氏や仏教勢力が貢献した。このあたりの状況は、ハイデルベルク大学と酷似する。残念なのは、足利学校に限らず、高野山や比叡山などの中世の日本の「大学」の多くが江戸時代の宗教統制によって没落したことだ。
話をドイツに戻そう。ドイツでは、ハイデルベルク大学などの卒業生に医師免許が与えられた。『米国医師会誌(JAMA)』の1935年3月30日号に掲載された「医師免許の歴史」という論文には、「医師免許は、特定の機関での訓練を終えたことを証明するものである。このようなしきたりは中世に始まった」という主旨の記載がある。医学教育が、大学と密接に関連するのは、中世以来の歴史的経緯があるからだ。
医師免許をとっても医師は一人前ではない。卒後教育も重要だ。大学を卒業した医師は、先輩医師の下で「徒弟制」の訓練を受けた。このような医師の集まりが、医師会の雛形となった。
注目すべきは、大学や医師会の在り方が、近代国民国家が誕生する前に確立していたことだ。中世以降、大学や医師会は、世俗および宗教権力との軋轢を経験し、学問の自治や、医師としての職業規範を確立していった。明治維新で欧米の大学をモデルに官立の東京大学を設立し、その卒業生が主導する形で、医師を育成していった日本とは対照的だ。
このような歴史は、現在にも影響している。日本では、中央政府が医療を統制する。財務省や厚労省が医師の偏在を問題視し、様々な規制を設けるが、ドイツで医師の開業を許可するのは、地域の医師会だ。日本では、ドイツの医療統制の短所として、「様々な規制のため、自分が希望する地域で必ずしも開業できない」ことが挙げられるが、これは必ずしも正しくない。そもそも日本こそ、医師の開業にあたっては、過当競争を避けたいという地域医師会のエゴが反映されることも珍しくないからだ。
ドイツでは、医療は基本的に医師の自律に委ねられている。政府が医師数から診療報酬、初期研修まで決める日本とは全く違う。
では、どのようにして医師のエゴを抑止しているのか。医師の職業規範であるヒポクラテスの誓いは言うまでもないが、ドイツ固有のものとして、私は二つの歴史的イベントに注目している。
一つは、プロイセン王国、ドイツ帝国時代の栄光だ。プロイセン王国は、普墺戦争、普仏戦争などで勝利し、1871年にドイツ諸邦を統一した(ドイツ帝国)。ビスマルク宰相が力をいれたのが、社会保障政策だ。彼らがつくった老齢年金、障害保険、医療保険、失業保険の雛形が世界に拡散する。ドイツの医師たちは、自国が近代福祉国家の発展に大きな貢献を果たしたことを知っている。
もう一つはナチスの戦争犯罪だ。ニュルンベルク裁判では、人体実験などに関わった医師ら23人が起訴(うち医師は20名)され、16人が有罪となり、7人が処刑されている。1947年、ドイツ医師会は戦争犯罪に関わった医師への問責を決議し、その後も繰り返し、反省や犠牲者への追悼を表明している。現代にいたるまで、この問題は繰り返し主要医学誌でも取り上げられており、ドイツ人医師が忘れることはない。必然的に醸成される贖罪意識が、その行動に自己規律をもたらしているのではなかろうか。
第二次世界大戦後、米国を中心とした戦勝国が主導する形で、西ドイツは連邦制度の枠組が強化された。バイエルン州ミュンヘンの地域政党だったナチスの暴走を許したワイマール共和国への反省があるのだろう。こうやって、地域をベースにしながら、中央政府が全体的な方針について方向性を示す現在のドイツ医療が確立した。
近代以前の歴史をもたず、旧内務省衛生局、社会局の流れを汲む厚労省が、全国一律に統制する我が国の医療制度は、ドイツとは全く違う。政府は、どのような思いで、財政審でドイツ医療を賛美してきたのだろうか。歴史的経緯を知らなければ余りにも無学だし、知っていながら曲解したのなら悪質だ。医療制度の議論には歴史観が必要だ。