医療崩壊 (93)

定期接種開始「帯状疱疹ワクチン」に期待される一部「認知症」への予防効果

執筆者:上昌広 2025年1月13日
タグ: 健康
帯状疱疹は80歳までに3人に1人が経験すると推定される(C)Sherry Young/stock.adobe.com
来年度から高齢者などを対象に定期接種が始まる帯状疱疹ワクチンは、認知症や脳卒中、心筋梗塞など慢性炎症が発症に関与する病気についても予防効果があるかもしれない。欧米の最新研究で示唆された、そのメカニズムと可能性。

 厚生労働省は、来年度から、65歳になった高齢者などを対象に帯状疱疹(ほうしん)ワクチンの定期接種を始めると発表した。現在は、50歳以上や、がん患者などハイリスクの人を対象に接種が行われているが、任意接種のため、約8000円~4万4000円の自己負担が必要となる。この負担が軽減されるのはありがたい。

 帯状疱疹ワクチンは、帯状疱疹自体を予防するだけでなく、認知症など様々な疾患を予防する可能性が指摘されている。最新の研究成果を踏まえ、このワクチンについて解説したい。

「お岩さん」も帯状疱疹?

 まずは、帯状疱疹の原因である水痘・帯状疱疹ウイルス(Varicella-Zoster virus, VZV)について説明しよう。水痘ウイルスは、ヘルペスウイルス科に属し、水痘(水ぼうそう)と帯状疱疹を引き起こす。飛沫や接触で広がり、初感染時には水痘を発症する。その後、ウイルスは神経節に潜伏し、免疫力低下時に増殖(再活性化)して帯状疱疹を引き起こす。

 帯状疱疹は、一旦、発症すると長期にわたり痛みが続く。私にとって、最もなりたくない病気の一つだ。

 初発症状は知覚神経の走行に一致した違和感だ。数日間続いた後に赤色の丘疹、紅斑、さらに水疱が出現する。痒みや軽い痛みを伴うことが多い。帯状疱疹の特徴は、身体の左右どちらか一方の神経に沿って発疹を生じることだ。

 時に顔面に生じ、角膜炎・結膜炎や難聴、顔面神経麻痺を引き起こす。四谷怪談に登場するお岩さんの容貌は、顔面の帯状疱疹がモデルとも言われている。

 水痘ウイルスには、アシクロビルやバラシクロビルなどの抗ウイルス剤が効く。服用すれば、ウイルスを完全に殺すことはできないが、増殖を抑制し、自らの免疫でコントロールできるレベルまでには回復できる。帯状疱疹が厄介なのは、皮疹が消失したあとも長期間にわたり痛みが続くことだ。これを帯状疱疹後疼痛と呼ぶ。

 帯状疱疹後疼痛は、水痘ウイルス感染が神経を傷害するために起こる。患者は「針に刺されたような痛みがいつまでも消えない」と訴える。早期にペインクリニックを受診し、神経ブロックを行うことが推奨されているが、それでも完全にはコントロール出来ない。

英グラクソ・スミスクライン「シングリックス」の劇的効果

 帯状疱疹を如何にして予防するか、世界の製薬企業は鎬を削ってきた。リードしたのは米国のメルクだ。1990年代末から臨床開発に着手した。用いたのは高力価の水痘ワクチンだ。平均2万4600PFU(プラーク・フォーミング・ユニット、ワクチンの力価の単位)で、米国で利用されている乳幼児用ワクチンの約14倍だ。

 水痘ウイルスは成人に慢性感染しており、宿主の免疫を逃れるメカニズムが存在する。メルクは力価を強めることで、この問題を克復しようとした。

 この臨床研究では、60歳以上の3万8564人を水痘ワクチンとプラセボに無作為に振り分けたところ、ワクチン接種群では帯状疱疹が61%、帯状疱疹後疼痛が67%減少していた。このワクチンはゾスタバックスと命名され、2006年に米国、欧州連合(EU)、カナダ、オーストラリアで認可を得た。

 さらに、2010年10月には、50歳代の成人を対象とした臨床試験の結果が発表された。この試験では、帯状疱疹の発症率が70%低下した。この結果を受け、2011年3月には50~59歳への使用も米国で承認された。帯状疱疹の予防の世界的な基準は50歳以上となった。

 ゾスタバックスには、ほどなくライバルが現れる。英グラクソ・スミスクライン社(GSK)が開発したシングリックスだ。

 GSKはワクチンの免疫活性化能力を高めるため、米アジェナス社が開発した「QS-21スティミュロン」という化合物を添加した。このようなワクチンの危険を高める物質はアジュバントと呼ばれ、しばしば用いられる。

 シングリックスは2017年10月に米国で承認された。その効果は劇的だった。50歳以上の成人1万6160人が参加した臨床試験で、帯状疱疹の発症頻度を97%も低下させた。ワクチンの効果が期待しにくい高齢者にも有効だった。70歳以上の高齢者に限定して解析しても、90%もリスクを減らしていた。

 2018年1月には米疾病管理センター(CDC)は免疫が正常な50歳以上への2回接種を推奨した。ゾスタバックスの接種歴がある人にも接種を推奨し、今後はゾスタバックスよりシングリックスを接種するように勧めた。

 免疫を活性化させるアジュバンドが含まれたシングリックスは、いわば無理矢理強い炎症を引き起こさせる。このため、接種部の腫れや疼痛はゾスタバックスより強いが、重大な副作用は少なかった。GSKが実施した市販後調査では約320万回の接種で入院を要するような重篤な有害事象は10万回あたり4件だけだった。

 このような研究を受けて、シングリックスの使用は急増した。発売からわずか5カ月で、米国での帯状疱疹ワクチン市場の90%以上のシェアを確保し、発売初年度の売上は10億ドルを超えた。

 我が国では、ゾスタバックスは未承認だが、シングリックスは2018年に50歳以上の成人を対象として承認された。その後、2023年には18歳以上の免疫力が低下した成人に対して適応が拡大された。

注目される認知症発症抑制のメカニズム

 シングリックスは、現在、世界中で利用されている。GSKによると、2023年には世界40カ国で販売され、世界での売上は34億ポンド(前年比17%増)である。

 大多数の市場では浸透率(接種対象者での接種率)は4%未満だが、米国では、1億2000万人の接種推奨対象のうち35%が既に接種を終えている。GSKは、これまでの接種で、全世界で7000万人が帯状疱疹から保護されていると発表している。2023年には、中国での販売を強化するため、重慶智飛生物製品有限公司(Zhifei)と独占契約を締結し、全世界での接種者数1億人を目指すとしている。

 帯状疱疹ワクチンの接種数が増えるにつれて、様々なことがわかってきた。その一つが、冒頭にご紹介した認知症の予防だ。既に幾つかの研究結果が発表されている。

 昨年7月に英オックスフォード大学のチームが英『ネイチャー・メディスン』誌に発表した研究では、米医療データプラットフォームTriNetXに登録された20万人強のデータに基づく解析において、2017年から使用されるようになったシングリックス接種者は、ゾスタバックス接種者に比べて、認知症の発症率が17%低かったという。ゾスタバックスは接種せず、インフルエンザワクチンなど他のワクチンを接種している人と比べた場合、2~3割ほど低かった。

 英国でも同様の研究結果が報告されている。ウェールズで帯状疱疹ワクチンの接種が始まった時、対象となったのは1933年9月2日以降に生まれた人だった。米スタンフォード大学を中心とした国際共同研究チームが、この前後に生まれた約30万人の7年間の認知症発症率を調べたところ、ゾスタバックス非接種群と比べ、ゾスタバックス接種群で19.9%発症が減っていたという。この結果は、2023年5月にmedRxivにプレプリント(査読前の発表のこと)として発表されている。

 この国際共同研究チームの論文は、世界の医学界に衝撃を与えた。翌6月、英『ネイチャー』誌は、「帯状疱疹ワクチンは認知症のリスクを減らすか。大規模研究が、その関連を示唆している」というニュース記事を掲載した。

 その後も、この研究チームは分析を続けた。イングランドを併せて9年間のデータをさらに分析したところ、ゾスタバックス接種群は、ゾスタバックス非接種群と比べて、認知症の発症だけでなく、認知症による死亡リスクを4.8%減らしていたという。この傾向は男性より、女性で顕著であった。このゾスタバックスが認知症の発症を抑制することをさらに裏付けるような結果は、2023年9月にmedRxivにプレプリントとして発表されている。

 なぜ、帯状疱疹ワクチンが、認知症の発症を抑制するのだろうか。その正確な機序はわかっていない。ただ、認知症の発症には脳内での慢性炎症が関わっているようだ。

 水痘ウイルスは神経節に潜伏感染し、免疫が低下した際に再活性化する。この過程で炎症性サイトカインの放出が増加し、脳内の慢性的な神経炎症を引き起こす。このような炎症がアルツハイマー病をはじめとした認知症を引き起こすのかもしれない。

 最近の研究は、水痘ウイルスと単純ヘルペスウイルス1型(HSV-1)が一緒に神経細胞に感染することが重要な要因となり得ることを示唆している。2022年に米タフツ大学と英オックスフォード大学の研究チームが、『アルツハイマー病誌』に発表した研究では、ヘルペスウイルス1型が潜伏感染している培養神経細胞に水痘ウイルスを感染させると、ヘルペスウイルス1型が活性化され、アルツハイマー病に特徴的なアミロイドβ(Aβ)やリン酸化タウの蓄積を引き起こした。一方、ヘルペスウイルス1型が感染していない培養神経細胞は、水痘ウイルスを感染させても、このような変化は確認されなかったという。

慢性炎症が発症に関与する病気に応用できる可能性も

 脳卒中や心筋梗塞も、慢性炎症が発症に関与することが医学的なコンセンサスとなっている。帯状疱疹ワクチンによって、その発症が予防できるかもしれない。この点についても、研究結果が出始めている。

 その一つが、昨年11月に米クレイトン大学の研究チームが、『米国予防医学雑誌』誌に発表したものだ。彼らは、メルクが販売するゾスタバックスを接種した米国の成人2万7093人と、背景をマッチさせた、その5倍の非接種成人を比較したレトロスペクティブ(後ろ向き)な解析を実施した。5年間の観察期間での心筋梗塞と脳卒中の発生率は、それぞれ29%、27%減少していた。

 この研究は後ろ向きの解析で、バイアスの関与が否定できず、別のグループによる追試が必要だが、興味深い結果だ。また、ゾスタバックスより予防効果が強いシングリックスについての研究結果も知りたいところだ。今後の研究成果に期待したい。

 以上が、世界の研究の最先端だ。

 医学研究の進歩により、様々な病気の発症メカニズムが解明された。帯状疱疹ワクチンに関連して注目されているのは、慢性感染による炎症の持続、典型的には、ピロリ菌感染による胃がんや、ヒトパピローマウイルス(HPV)による子宮頸がんだ。このような病気は、抗生剤による除菌やワクチン投与により、発症を予防できる。そうであれば、認知症の一部も、帯状疱疹ワクチンにより感染を抑制することで、発症を予防できるかもしれない。これは高齢化が進む先進国にとって朗報だ。

 日本の問題は、マスコミが、このような医学研究を紹介しないことだ。世界では相手にされないようなレベルの研究でも、厚労省の研究班の発表であれば紙面を割くのに、『ネイチャー』など一流科学誌が紹介しても、報じることはない。厚労省が承認していない「適応外使用」を宣伝することになると考えているのか、あるいは単なる不勉強なのか私にはわからない。ただ、これでは国民はたまらない。

 私は、両親や祖父母に認知症患者がいる50歳代以上の人に対しては、外来診療の際に、帯状疱疹ワクチンについて説明するようにしている。ほぼ全員が「認知症を予防できる可能性があるなら、是非やりたい」というが、実際に打つのは3分の1程度だ。ハードルは接種費用である。今回の法定接種化は、彼らの負担を軽減する。帯状疱疹の予防だけでなく、認知症に悩む高齢者にとっても大きな福音である。

カテゴリ: 医療・サイエンス
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top