インドネシアはロシアに接近しているのか?

執筆者:川村晃一 2025年7月15日
エリア: アジア
「ユーラシア経済連合(EAEU)」との自由貿易協定締結に向けた交渉も進んでいる[国際経済フォーラムで握手を交わすプラボウォ大統領とプーチン大統領=2025年6月19日、ロシア・サンクトペテルブルク](C)EPA=時事
プラボウォ大統領は招待されていたG7サミットではなく、国際経済フォーラムに出席するためロシアを訪れプーチン大統領と会談した。昨年11月にはロシア海軍と初の二国間軍事演習が実施され、今年1月にはBRICS加盟というサプライズもあった。原子力開発でも関係強化が進んでいる。インドネシアは西側陣営を見限ったのだろうか。

 

ロシア訪問を選んだプラボウォ大統領

 インドネシアのプラボウォ・スビアント大統領は、6月18日から20日にかけてロシアを訪問した。その直前までカナダのカナナスキスで開催されていた主要7カ国首脳会議(G7サミット)に招待されていたにもかかわらず、プラボウォ大統領は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領との会談と、サンクトペテルブルクで開催される国際経済フォーラムに出席する方を選んだのである。

 今年1月には、インドネシアは、ブラジル、ロシア、インド、中国が原加盟国であるBRICSにも正式メンバーとして加入している。プラボウォ大統領が前大統領の方針を翻して加盟を申請したのが就任式直後の2024年10月だったが、そのわずか2カ月後には申請が承認されたのである。こうした一連の動きを重ね合わせて、インドネシアは西側陣営を離れ、ロシアや中国の陣営に加わることを選んだのではないか、との見方が囁かれるようになった。そうした見方は正しいのだろうか。プラボウォ外交は何を目指しているのだろうか。

有用性の低下したG7

 なぜ、プラボウォ大統領はG7サミットへの参加ではなく、ロシア訪問を選択したのだろうか。

 この点が外交筋やメディアで取り上げられることを意識して、プラボウォ大統領は国際経済フォーラムでの演説でわざわざ次のように言い訳をしている。「私はG7を尊重していないわけではない。以前からフォーラムに招待されており、その約束を果たしただけだ」。もちろんこれは建前ではあるだろう。ただし、G7を見限ったわけではない、とわざわざ言及しているところに、プラボウォなりの配慮がみられる。

 インドネシアにとってG7の有用性が低下しているのは確かである。アメリカのドナルド・トランプ大統領の登場で、G7の結束力と影響力が低下しているのはサミット開催前から明らかであった。実際に、トランプ大統領は1日目でサミットを去り、首脳宣言もまとめることはできなかった。ブラジル、インド、メキシコ、南アフリカなどグローバルサウス諸国の首脳も招待されて出席したが、トランプ大統領と関税交渉をするという各国の目論見は外れた。

 インドネシアもトランプ関税の対象にはなっている。アメリカ政府がインドネシアに対して設定した関税率は32%で、ASEAN(東南アジア諸国連合)内では対象となった9カ国中で5番目である。フィリピン(4月に「相互関税」が発表された当初は17%、7月9日に20%へ引き上げられた)やマレーシア(同じく24%から25%へ引き上げ)に比べれば高いが、カンボジア、ラオス、ミャンマーよりは低い。ベトナムも7月2日に米国と合意するまでは、46%を課されていた。

 しかし、インドネシアの輸出総額に占める対米輸出の割合は10%で、対中輸出(24%)やASEAN域内輸出(20%)に比べると特段大きいわけではない。そもそも、インドネシアは内需主導型の経済で、輸出額の対GDP(国内総生産)比は2割ほどと、近隣の輸出主導経済の国と比べるとかなり低い。プラボウォ大統領は4月から経済閣僚をトランプ政権との交渉にあたらせているが、トランプ関税の影響をそれほど深刻に捉えてはいない。

 さらには、世界最大のムスリム人口を抱え、常にパレスチナを支持してきたインドネシアの立場からすれば、戦争が激化しているこの時期に、中東情勢をめぐってイスラエル寄りの立場をとるG7サミットに出席することは内外に示しがつかないということもある。実際に、G7サミットに招待されたサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)といった中東諸国も参加を見送っている。

 内部に混乱を抱え、有用性を欠き、トランプとの交渉もままならないG7サミットに参加するよりも、ロシアとの関係強化を図る方が国益に適うというプラボウォ大統領の計算は、今となっては合理的だったといえる。

進むロシアとの関係強化

 インドネシアとロシアは、旧ソ連時代から数えると、2025年に国交樹立75周年の記念の年を迎えている。ソ連がインドネシアの対オランダ独立闘争を支持してくれたことや、初代スカルノ大統領が容共的姿勢をとったこともあり、1950年代から1960年代半ばにかけての両国関係はきわめて緊密だった。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
川村晃一(かわむらこういち) 独立行政法人日本貿易振興機構アジア経済研究所 海外調査員(インドネシア・ジャカルタ)。1970年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、ジョージ・ワシントン大学大学院国際関係学研究科修了。1996年アジア経済研究所入所。2002年から04年までインドネシア国立ガジャマダ大学アジア太平洋研究センター客員研究員。2024年からインドネシア国家研究イノベーション庁(BRIN)客員研究員。主な著作に、『教養の東南アジア現代史』(ミネルヴァ書房、共編著)、『2019年インドネシアの選挙-深まる社会の分断とジョコウィの再選』(アジア経済研究所、編著)、『新興民主主義大国インドネシア-ユドヨノ政権の10年とジョコウィ大統領の誕生』(アジア経済研究所、編著)などがある。
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