韓国の李在明(イ・ジェミョン)大統領が、本格的な外交に乗り出し始めた。8月下旬に東京とワシントンを相次いで訪問し、日米との連携を重視する「国益重視の実用外交」路線を強調した。日米にくすぶる「韓国の進歩派は北朝鮮や中国に融和的なのでは」という不安の解消に焦点を当てた両国への連続訪問を、日本外務省幹部は「好循環だ」と歓迎した。ただ李氏の支持基盤である進歩派には、日米韓の行き過ぎた連携強化は北朝鮮を中露の側に追いやってしまうという懸念がある。南北融和を最優先にした文在寅(ムン・ジェイン)政権の流れをくむ勢力をなだめつつ、現実的な外交路線を維持するという難しいかじ取りが求められている。
米韓首脳会談に「二つの驚き」
8月25日の米韓首脳会談について、東京の韓国大使館関係者は「二つの点で驚いた」と話す。一つはテレビカメラの前で李在明が見せた緊張ぶりだ。ドナルド・トランプ米大統領と対話する間はずっと、椅子に浅く腰掛け、背筋を伸ばし続けていた。もう一つは「共に民主党の大統領なのに、米国を相手に低姿勢に徹していた」ことだ1。民主党の支持基盤である「86世代(80年代に学生運動をした60年代生まれ)」には米国への反感を持つ人がおり、特にトランプの強圧的な態度は嫌われているから心配したけれど、杞憂だったというのだ。どちらも、李在明政権下で初の米韓首脳会談を見つめた韓国政府関係者の思いを代表する感想だろう。
今回の外遊では、同盟国である米国を訪れる前に日本へ立ち寄る日程が組まれた。異例の日程ではあったが、韓国での関心はそんなところにはなかった。直前にソウルを訪れた筆者が聞いたのは「日韓で驚くような結果が出ることはない。それより米韓が心配だ」という声ばかりだった。米国大使館関係者は「韓国政府関係者と会うと、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領や南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領のような悲劇だけは避けなければという話ばかりだ」と苦笑していた。2月の訪米時にトランプと激しい口論になったゼレンスキーや、5月に訪米してトランプから「白人迫害の証拠」だという動画を見せられたラマポーザのようなことになったら、と心配していたのだ。ラマポーザの場合、南ア以外で撮影された無関係の動画で難詰されただけに、どんな言いがかりを付けられるかわかったものではない、という気持ちだったようだ。
そうした懸念には伏線があった。ホワイトハウスは6月3日の大統領選で李在明が当選した際、韓国メディアの求めに応じて出した「ホワイトハウス当局者」名義の書面メッセージで「米韓同盟は完璧に維持される。韓国は自由で公正な選挙を進めたが、米国は全世界の民主主義国家に対する中国の介入と影響力行使に対して依然として憂慮し、反対している」と表明したのだ2。マルコ・ルビオ米国務長官は「当選を祝福する」という公式声明を出していたのだが、韓国ではホワイトハウスのメッセージへの当惑が広がった。ピート・ヘグセス米国防長官が5月31日にシンガポールでの演説で、米国の同盟国による経済面での対中依存を問題視していた3からなおさらだ。
会談直前に、さらに心配なニュースが飛び込んできた。トランプがSNSに「韓国では何が起きているんだ? まるで粛清か革命のようだ。そんなところで我々はビジネスをすることはできない」と投稿したのである4。韓国には現在も尹錫悦(ユン・ソンニョル)前大統領による昨年の非常戒厳宣布を擁護し、大統領罷免を不当だと反発する人々がいる。「極右」と呼ばれるようになったこの勢力は、米国の保守派、その中でもMAGA派とつながっているとされる。進歩派である『京郷新聞』は事後の社説で、李在明を「反米親中」と決め付ける韓国の極右的主張がトランプの耳に入っていたのではないかという疑念を表明した5。
文在寅の「運転者論」と対照的なパフォーマンス
米韓首脳会談の終了後、共に民主党の国会議員に感想を聞くと、安堵した様子で「おおむね良かった。乗り切ったね」と返してきた。これが、韓国人の最大公約数的な感想だったのではないかと思われる。普段は李在明に厳しい保守系紙の『朝鮮日報』も社説で「会談直前まで、ハラハラする瞬間が続いた」としつつ、「トランプ支持層から反米・親中ではないかと疑いを持たれていた李在明大統領としては、予測不能なトランプ大統領との初の会談を無難にこなしたと評価されてしかるべきだ。大きな難関をうまく乗り越えた」と評価した6。
李在明はホワイトハウスの大統領執務室「オーバルオフィス」での会談冒頭、トランプの好みで金ピカに改装されたばかりの内装を「米国の新しい繁栄の象徴だ」と絶賛した。さらに「新たに平和を作るピースメーカーだ。世界のさまざまな戦争が大統領によって休戦に至り、平和が訪れた」とトランプを持ち上げつつ、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)総書記とも会談して朝鮮半島に平和をもたらしてほしいと持ちかけた。上機嫌になったトランプが金正恩との信頼関係について話しながら「あなたは今まで会った韓国のどの指導者よりも北朝鮮問題を解決する意思を持っている」と返すと、李在明は「私が南北関係を好転させるのは簡単ではない。現在の状況を打開できる唯一の人物はあなただ。大統領がピースメーカーになるのなら、私はペースメーカーとして一生懸命に支える」と答えて笑いを取った。
トランプのご機嫌取りにもなるし、支持層である進歩派にも受けは悪くない。同じ党に属した大統領ながら、韓国の主導的役割にこだわる「運転者論」に固執した文在寅には難しかったパフォーマンスだろう。ただ一部の進歩派から聞こえてくる「現在は文在寅の時のような対話ムードではないから」という解説は眉唾である。文在寅が「運転者論」を言い出したのは2017年5月の大統領選中で、当時は第1次トランプ政権の強圧的姿勢もあって「第2の朝鮮戦争」などと語られるような状況だった。文在寅は、周囲の状況がどうであろうと「運転者論」を唱えた理念派だったということでしかない。
トランプが金正恩との対話に前のめりというのは以前からわかっていた話だが、南北関係改善を望む李在明の支持層には歓迎された。韓国では10月末からアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開かれるため、これに合わせて米朝首脳会談をお膳立てできるのではないか、という期待を口にする人も出た。だが8月末にKBSテレビのインタビューで実現可能性を聞かれた趙顕(チョ・ヒョン)外相は「今のところ、その可能性はとても低いと言わざるをえない」とあっさり切り捨てた7。大統領室の外交司令塔である魏聖洛(ウィ・ソンラク)国家安保室長も別のインタビューに「北朝鮮が、我々はもちろん米国とも対話しようという意思を示していない状況ではないか。対話の可能性について期待を高めすぎない方がいい」と答えている8。2人の考えもまた、極めて現実的と言えるだろう。
対中経済では「避けられない関係の管理」を強調
訪米中に最も目を引いたのは、安保は米韓同盟重視だが経済は中国重視という「安米経中」路線を否定した発言だ。
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