「軍需と経済効果」で忘れてはいけない「クラウディングアウトの罠」:独ラインメタルの中東欧進出は地域経済にプラスなのか

執筆者:土田陽介 2025年10月8日
タグ: ドイツ ロシア
エリア: ヨーロッパ

「独軍を欧州最強にする」と宣言するメルツ首相[施政方針演説を行うメルツ首相=2025年5月14日、ドイツ・ベルリン](C) EPA=時事

ドイツの軍需産業が中東欧に生産拠点を拡げている。対ロシア防衛に緩衝地帯を組み込む戦略としては有意義だが、経済の起爆効果も期待するのは妥当だろうか。この現代版「東方への衝動」は、地域に必ずしも経済的プラス効果をもたらすとは限らない。中長期的には軍事支出が民需を圧迫する構図は、日本にも当てはまる意外に語られない盲点だ。

 ドイツの軍需産業が中東欧での生産を増やす方向にある。最大手の企業ラインメタルは7月以降、ブルガリアとルーマニア、ラトビアのそれぞれの政府との間で、軍需品の現地生産に関する協定を結んでいる。火薬や砲弾のみならず歩兵戦闘車やミサイルといった大型の軍需品も現地生産を行う。いずれもロシアを念頭に置いた取り組みだ。

 またラインメタルは、ウクライナでも弾薬の現地生産を行うようだ。これはウクライナ側の要請に応えたもので、ロシアのドローン(無人機)による攻撃に関する防空システムの開発についても協議中だという。

 ここで、歴史の紐を解いてみたい。ドイツにはその時々の地政学的な事情を反映した造語があるが、19世紀に造られた言葉として「東方への衝動」(Drang nach Osten)というものがある。中東欧への進出によって植民を試みてきた歴史を持つドイツであるが、それが1871年のドイツ帝国の成立でさらに先鋭化し、この言葉が生まれた。

 今のドイツの軍需産業の動きからは、現代版の「東方への衝動」が生じているようにも見受けられる。もちろんかつてと異なり、ドイツに中東欧に対する領土的な野心はない。反面、ドイツにとっては中東欧がロシアとの間の緩衝地帯であるから、ロシアによる侵攻リスクを踏まえ中東欧の防衛をどう固めていくかは戦略的課題となっている。

 言い換えると、現代版の「東方への衝動」は、ロシアを念頭に置いたドイツがその生存権の確保のために中東欧をいかに抱え込んでいくか、という視点に基づいているように見受けられる。こうしたドイツの防衛体制の展開が経済に与える影響を考えると、やはりカギとなる概念は古典的な「クラウディングアウト」ということになるだろう。

中東欧に広がるクラウディングアウト圧力

 ヒト・モノ・カネといった生産要素は有限だ。一方で、経済対策などで公需向けのモノやサービスの生産が優先され、それに当てるヒト・モノ・カネの量が増えれば、民需向けのモノやサービスの生産に当てられるヒト・モノ・カネの量は減る。このように、公需の膨張で民需が圧迫され高インフレとなることをクラウディングアウトという。

 軍需は基本的に、クラウディングアウト効果が強い公需である。そのため、軍需による景気浮揚効果(軍事ケインズ効果)は時限的であるし、ある時点からは物価高進と景気低迷が併存する事態(軍事スタグフレーション)を招くことになる。今のロシア経済は軍事ケインズ効果が一服し、軍事スタグフレーションに転じていると言えよう。

 もちろんこれは程度の問題であるため、日本が戦後、朝鮮特需を謳歌したように、直接戦火に見舞われていない国の場合、軍事ケインズ効果が強く出ることがある。ただし、こうした特需が生じれば、ヒト・モノ・カネが軍需産業に寄ってしまうため、民需が強く圧迫される。同時に、特需後の反動により景気が急激に悪化することになる。

 今の欧州にとって、ロシアを念頭に置いた防衛体制の構築は超長期にわたるテーマだ。言い換えれば、ドイツ発の軍需の圧力が長期にわたり中東欧の民需を圧迫する可能性がある。ただでさえ中東欧でも労働力が不足しているのに、ドイツの軍需産業に労働力が吸収されれば、民需向けのモノやサービスの生産に対する下押し圧力が強まる。

 もちろん、ロシアの軍事侵攻リスクが大きいのは中東欧であるし、その先にあるドイツと中東欧の運命は一蓮托生だ。実際に、ドイツの企業が中東欧で軍需品を生産することは、最終的には中東欧の防衛体制の強化にもつながる。ただしその対価として、中東欧は、ドイツ発の軍需による民需の圧迫という犠牲を払い続けることになるわけだ。

ドイツ経済に生じる軍事ケインズ効果は限定的

 他方で、ドイツの軍需産業が中東欧で積極的に生産を行うならば、それが果たしてドイツ経済の停滞の打破に貢献するのかという疑問も出てくる。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
土田陽介(つちだようすけ) 三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部主任研究員。1981年生まれ。一橋大学経済学部卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学(経済学修士)。欧州およびその周辺諸国の政治・経済・金融分析を専門とする。著書に『基軸通貨 ドルと円のゆくえを問いなおす』(筑摩選書)、『ドル化とは何か 日本で米ドルが使われる日』(ちくま新書)、『「稼ぐ小国」の戦略 世界で沈む日本が成功した6つの国に学べること』(共著、光文社新書)など。
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