アジアの極東地域は長年にわたり、ロシアと中国の激しい角逐の舞台だった。
レーニンによる共産党革命が吹き荒れる前の19世紀半ば、帝政ロシアは衰亡の道をたどっていた清朝に不平等条約を受け入れさせ、極東の地域を次々と自国に組み入れていった。1969年にソ連指導部と毛沢東の対立が頂点に達すると、中ソ両軍は極東の国境で衝突、それから20年にわたる敵対関係が続いた。
中ソが和解にこぎ着けたのが、鄧小平とゴルバチョフによる89年の会談だった。それから中露は良好な関係を誇示してきたが、いま、この因縁の極東を震源地にして、両国に再び、すきま風が吹きつつあるようにみえる。

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