行き先のない旅 (27)

ドイツ・ロマン派の時代

執筆者:大野ゆり子 2005年8月号
エリア: ヨーロッパ

「氷海」(一八二三―四)と題されたこの絵の風景は、見る者を安易に寄せつけない。自然が鋭角的に削り、折り重ねてしまった氷の壁は、突き刺さるように空を向く。荒涼とした風景には、生命の気配がない。画面右にやっとのことで氷以外のものを見つけた人は、それが難破船の船尾と知って、いっそう突き放された気持ちになるだろう。「叶わなかった希望」という別の絵のタイトルが、間違って二世紀近くも流布してしまったのも、寒々としたこの絵の印象を考えると頷ける。 この絵を描いたカスパール・ダヴィッド・フリードリッヒ(一七七四―一八四〇)は、ドイツ・ロマン派を代表する画家である。「日本におけるドイツ年」にあたって今年、東京、神戸で開催された「ベルリンの至宝展」では、ドイツ・ロマン派の作品が意外な人気を呼んでいると聞く。ロマンティック街道などの美しい古城やメルヘンの編纂から思い浮かぶ夢見るようなのどかなイメージとは裏腹に、この「ロマン派」の時代は経済的には産業革命、政治的にはフランス革命によって、それまでの価値観が根底から揺さぶられた混沌の時代であった。

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執筆者プロフィール
大野ゆり子(おおのゆりこ) エッセイスト。上智大学卒業。独カールスルーエ大学で修士号取得(美術史、ドイツ現代史)。読売新聞記者、新潮社編集者として「フォーサイト」創刊に立ち会ったのち、指揮者大野和士氏と結婚。クロアチア、イタリア、ドイツ、ベルギー、フランスの各国で生活し、現在、ブリュッセルとバルセロナに拠点を置く。
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