2004年暮れ、ウクライナ大統領選の不正解明を叫ぶ群衆が首都キエフの中心街を埋め、親欧米派のユーシェンコ政権を誕生させた。その「オレンジ革命」から9年あまり。やはりキエフの中心街を群衆が埋め、親ロ派大統領ヤヌコビッチの退陣を迫った。しかし、今回は様相が異なった。流血の事態となり、キエフの一部は無政府状態といえるほど治安が悪化し、国内諸都市にも混乱が広がった。
前回と今回で何が違ったのか。その背景を探ると、ソ連崩壊から20年以上を経てなお、社会主義体制から民主主義への移行に苦しむウクライナの姿が見えてくる。
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