ロシアの電撃的なウクライナ領クリミア編入に至る政策決定の経緯はナゾだが、断片的な情報がメディアで報じられている。プーチン大統領を中心に、一握りのシロビキ(武闘派)による密室決定だった模様で、事実なら、1979年末の電撃的なソ連軍アフガニスタン侵攻を彷彿とさせる。
アフガン侵攻型
ニューヨーク・タイムズ紙(3月7日付)が当局者や専門家らの話として報じたところでは、クレムリンがクリミアへのロシア兵派遣を決断したのは、2月25日夜か26日未明。決定に関与したのは、プーチン大統領のほか、セルゲイ・イワノフ大統領府長官、パトルシェフ安保会議書記、ボルトニコフ連邦保安局(FSB)長官の4人という。いずれもサンクトペテルブルク派で、1970年代後半から80年代初期、KGB(ソ連国家保安委員会)レニングラード支部でプーチン氏の同僚だった。
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