「リッパナ キョウサンシュギシャニナッテ ニッポンニ カエッテクル」 川越史郎の友人である原後山治は終戦直後、シベリアの収容所に入っていた川越からカタカナで書いたこんな手紙を受け取った。 初年兵の川越は鹿児島の第七高等学校に入学して間もなく召集、旧満州で敗戦を迎え、ソ連に抑留された。二十歳だった。そこで日本人の民主化オルグに見いだされ、奥地の収容所から州都ハバロフスクの収容所に移され、社会主義教育を受けた。手紙は恐らくそのころ書かれたものだったろう。彼は帰国後日本の「民主化」、つまり日本を赤化するための先兵となることを心に期していたのである。しかし、結局はソ連に残って「日本民主化」の仕事をすることになる。

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