総裁選出馬に黄色信号 麻生副総裁の「岸田切り」に現実味

執筆者:永田象山 2024年6月18日
エリア: アジア
麻生副総裁の「禍根」発言後、岸田総理は手打ちのための会食を打診しているが……[地元福岡の自民党県連の会合で挨拶する麻生氏=2024年6月8日](C)時事
これまで岸田総理に対して表立った批判を避けてきた麻生副総裁が、政治資金規正法の改正をめぐり公然と批判に転じたことは、自民党内に大きな波紋を広げている。今国会での解散は「可能性としてほぼゼロ」という状況に追い込まれ、自民党の地方議員からも“岸田降ろし”を求める声が公然と上がり始めた。

 今月12日、岸田文雄総理はイタリア南部のプーリアで開かれるG7サミット=主要7カ国首脳会合に出席するため総理官邸を後にした。会合にはウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領も招待された。

岸田「ゼレンスキー大統領との会談を通じて、永続的な平和の実現に向けたウクライナの取り組みを国際社会として支持をする。こうした姿勢を示す機会としたい」

 出発に際してそう意欲を示した岸田だが、心中はおだやかではなかったはずだ。

自民関係者「岸田さんはイタリアへ出発する前に麻生さんと会食をするべく、段取りを進めていました。例の政治資金規正法改正案で公明党や維新の要求を丸呑みしたことで、麻生(太郎)さんがお冠だったことを気にしていたのです」

「麻生さんは本当に怒っている」

 この後半国会の最大の焦点である政治資金規正法改正案の与野党協議で、岸田は公明党が求めるパーティ券の購入者公開基準を「5万円以上」とすることを決めた。

 自民党は「10万円以上」を求めていたことから大幅譲歩となる。また使途が不明朗等とこれまで批判されてきた「政策活動費」については、日本維新の会の求めを受け入れて10年後に公開することを決めた。いまやお家芸と言っても良い岸田の“独り決め”がまた行われた格好だ。

 公明党案を岸田が受け入れようとした先月末、自民党副総裁の麻生は茂木敏充幹事長を伴い、岸田と都内のホテルにある日本料理店で会食し、公明党に譲歩しないように求めたという。

 しかし、いったんは逡巡したものの岸田は、麻生・茂木の進言を受け入れず公明だけでなく維新の求めにも応じることを決めた。

自民関係者「麻生さんからすれば、1月の岸田さんの派閥解散表明からずっとコケにされているわけですから、心中はおだやかではないはずです」

 公明、維新案の丸呑みを決めた直後、永田町では“麻生が本当に岸田に怒っている”という話が広がった。そして麻生本人が強烈なメッセージを岸田に放った。

麻生「政治資金の透明性を図ることは当然だが、同時に将来に禍根を残すような改革を我々は断固避けなければならない」

 今月8日、麻生は地元福岡で一連の政治資金規正法の与野党の協議について“将来に禍根を残す”と釘を刺した。上川陽子外務大臣への“おばさん”発言など失言が目立つ麻生だが、これまで自分の上司にあたる総理=自民党総裁への批判は一切控えてきた。その麻生が公然と岸田の対応を批判したのだ。この麻生発言の直後、岸田は水面下で麻生との手打ちのための会食を打診した。

 日程はイタリアに旅立つ前日の11日が有力視されていたが、実現しなかった。関係者への取材によれば麻生サイドが“いま岸田とメシを食っても何も進展しない”としてやんわりと断ったと言うことだ。麻生との距離が生じたことは9月の自民党総裁選挙で再選を目指す岸田にとっては深刻な問題だ。

 岸田にとって麻生との良好な関係を維持することが政権運営のため必須条件だった。党内の第4派閥の会長に過ぎなかった岸田は、第2派閥の領袖・麻生と、麻生との連携をポスト岸田への近道とする第3派閥の茂木幹事長を含めた三頭政治を構築することで、政権の安定的な運営が可能となっていた。

 しかし1月の突然の派閥解散宣言で三頭の1人の茂木が離れ、公然と総裁選に向けた動きを見せる中、岸田としては何とか麻生を自分の側に止めておく必要があったのだ。

 麻生周辺は「麻生さんは、今回は本当に怒っている」と語る。岸田にとっては厳しい課題を突きつけられたことになる。

地方から上がり始めた「岸田降ろし」の声

 今月23日に通常国会は会期末を迎えるが、国会開会中に岸田が解散に踏み切ることは「ほぼ可能性としてゼロ」(自民関係者)と見られている。

 4月の衆院補選、5月の静岡県知事選、東京都議補選などでの相次ぐ敗北を受け、公明党を含む与党内には「岸田では絶対選挙は戦えない」という空気が充満している。

 そして通常国会終了後にはいよいよ、“岸田降ろし”が始まるという見方が広がっている。

自民関係者「すでに地方からは岸田総理に対して公然と責任を問う声や、退陣を求める声が上がっている。総理が解散できずに国会を終えれば、“総裁選前の解散はない”となり一気に“ポスト岸田”に向けた動きが加速する」

 自民党の横浜市連や青森県連などからは岸田への退陣要求が吹き出しているが、この勢いは今後も続くと見られている。

 およそ四半世紀昔のことだが、2001年に支持率低迷に悩んだ森喜朗総理が退陣に追い込まれたきっかけは、自民党宮城県連からの退陣要求だった。その後、退陣を求める声は燎原の火のごとく全国へと広がっていった。

「地方の不満はかなり根深い。地方選挙での連戦連敗がかなり危機感をあおっている」と与党関係者は指摘する。

 麻生との関係修復の道筋が見えない中、岸田はイタリアでのG7サミットを終え、同行した報道陣への取材に応じた。記者から「衆議院の解散や、幹事長を含む人事に踏み切る考えは」と問われた岸田は「政治資金規正法改正案の成立などにおいて結果を出す。このこと以外いまは考えていない」と短く答えた。

 20日にはいよいよ東京都知事選挙が告示され17日間の戦いが始まる。自民党は小池百合子都知事を全面支援する方針だが、小池サイドは自民党カラーを極力抑えたい意向を滲ませている。このため自民の推薦や支援などは受け付けず、選挙期間中に一定の活動ができる「確認団体」を設立し、そこに自民や公明の議員が個人として参加する案などが検討されている。いずれにせよ小池vs.蓮舫の事実上の一騎打ちとなる知事選に岸田の影は全く窺えない。

 麻生に見放され、自民党内で孤立し、次の打つ手が見いだせない。「レームダック(死に体)」という言葉が現実味を帯びてきた。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
永田象山(ながたしょうざん) 政治ジャーナリスト
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