堤義明――消え始めた「スポーツの大君」の威光

執筆者:杜耕次 2004年11月号
エリア: アジア

あたかも「スポーツ界の天皇」のごとく振る舞い続けた人物。アテネ五輪の脚光が“最後の花火”だったかのように、影響力に陰りがみえ出した。「選手たちの活躍は国民に夢と希望、深い感銘を与えた」 九月一日、日本オリンピック委員会(JOC)が東京都港区の高輪プリンスホテルで開いたアテネ五輪日本代表選手団の解団式。まず、こう言って選手や関係者の労をねぎらったのは、名誉会長の堤義明だった。金メダル十六個という輝かしい成績を反映して多くの取材陣が詰めかけたが、式典の様子にクビをかしげる向きが少なくなかった。組織の長であるはずの会長の竹田恒和は、堤の挨拶の後に登場して大会報告を淡々と行なう役回り。その後、主将の井上康生と旗手を務めた浜口京子が竹田に選手団旗を返還したが、竹田を経て団旗は重々しく堤に手渡された。この時、一連のセレモニーの主が堤であることを誰もが理解した。

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