堤義明――消え始めた「スポーツの大君」の威光

執筆者:安西巧 2004年11月号
エリア: アジア

あたかも「スポーツ界の天皇」のごとく振る舞い続けた人物。アテネ五輪の脚光が“最後の花火”だったかのように、影響力に陰りがみえ出した。「選手たちの活躍は国民に夢と希望、深い感銘を与えた」 九月一日、日本オリンピック委員会(JOC)が東京都港区の高輪プリンスホテルで開いたアテネ五輪日本代表選手団の解団式。まず、こう言って選手や関係者の労をねぎらったのは、名誉会長の堤義明だった。金メダル十六個という輝かしい成績を反映して多くの取材陣が詰めかけたが、式典の様子にクビをかしげる向きが少なくなかった。組織の長であるはずの会長の竹田恒和は、堤の挨拶の後に登場して大会報告を淡々と行なう役回り。その後、主将の井上康生と旗手を務めた浜口京子が竹田に選手団旗を返還したが、竹田を経て団旗は重々しく堤に手渡された。この時、一連のセレモニーの主が堤であることを誰もが理解した。

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執筆者プロフィール
安西巧(あんざいたくみ) ジャーナリスト 1959年福岡県北九州市生まれ。1983年早稲田大学政治経済学部政治学科卒、日本経済新聞社入社。主に企業取材の第一線で記者活動。広島支局長、編集委員などを歴任し、2024年フリーに。フォーサイトでは「杜耕次」のペンネームでも執筆。著書に『経団連 落日の財界総本山』『広島はすごい』『マツダとカープ 松田ファミリーの100年史』(以上、新潮社)、『さらば国策産業 電力改革450日の迷走』『ソニー&松下 失われたDNA』『西武争奪 資産2兆円をめぐる攻防』『歴史に学ぶ プロ野球16球団拡大構想』(以上、日本経済新聞出版)など。
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