EUの来た道(中)19世紀から続く悪戦苦闘

 19世紀初頭、各国とも保護主義的措置に固執していた中で、1818年のプロシアの関税法は当時としては画期的なものであった。それは、原料の無関税、工業製品への課税を10%とする自由主義的なもので、有害な関税の廃止、行政制度の合理化を狙ったものであった。1834年にはプロシアとバイエルンの関税同盟に中規模諸邦の中部ブロックが加わり、いわゆるドイツ関税同盟が成立した。18の諸領邦国家を擁する域内自由貿易地域が形成され、こうした関税同盟を契機としてドイツの統一が達成されるに至った。

関税同盟から通貨統合へ

 国家間の関税協力は、一時期盛んに行われた。1842年にフランスとベルギーとの関税同盟が締結され、60年の英仏通商条約はフランスの輸入・イギリスの輸出に関するすべての禁止措置を廃止し、フランスの輸入関税率を大幅に引き下げた。フランスはその後、ベルギー、プロシア、イタリア、スウェーデン、ノルウェー、ハンザ同盟、スペイン、オランダ、オーストリア、ポルトガルと次々と同種の条約を締結したが、それは最恵国条項を伴っていた。イギリスもベルギー、ドイツ関税同盟、イタリア、オーストリアと同様の条約を締結した。超国家的な関税同盟結成の動きは、1880年代後半の仏独関税同盟の試み、「中部ヨーロッパ経済連合」やノルウェー・スウェーデンの関税同盟の結成に見られた。しかし、60年代以後のこの自由化の波は79年の保護主義的なドイツ関税法の成立以後各国が保護主義に転換したため、わずか20年間続いただけであった。
 1865年のラテン貨幣同盟の創設は、ひとつの通貨統合の萌芽であった。1832年、ベルギーはベルギー・フランの基礎をフランス・フランに置いた。スイス、イタリアもこれに倣った。60年代初期にイタリアとスイスが低質の銀貨を発行したため混乱が生じ、65年に開催された会議で、これら4カ国によるラテン貨幣同盟が結成された(後にギリシャも参加)。フランス・フランは1848年に事実上銀本位制から金本位制へと転換しており、この金フランを基礎としたのは、オーストリア=ハンガリー、スペイン、ブルガリア、フィンランド、セルビアなどで、この同盟は1914年まで存続した。
 そして第1次世界大戦を帝国主義列強の戦争だとするならば、それはまさに資本主義が発展した末に行きついた先が、世界の破滅だったということになる。

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執筆者プロフィール
渡邊啓貴(わたなべひろたか) 帝京大学法学部教授。東京外国語大学名誉教授。1954年生れ。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程・パリ第一大学大学院博士課程修了、パリ高等研究大学院・リヨン高等師範大学校・ボルドー政治学院客員教授、シグール研究センター(ジョージ・ワシントン大学)客員教授、外交専門誌『外交』・仏語誌『Cahiers du Japon』編集委員長、在仏日本大使館広報文化担当公使(2008-10)を経て現在に至る。著書に『ミッテラン時代のフランス』(芦書房)、『フランス現代史』(中公新書)、『ポスト帝国』(駿河台出版社)、『米欧同盟の協調と対立』『ヨーロッパ国際関係史』(ともに有斐閣)『シャルル・ドゴ-ル』(慶應義塾大学出版会)『フランス文化外交戦略に学ぶ』(大修館書店)『現代フランス 「栄光の時代」の終焉 欧州への活路』(岩波書店)など。最新刊に『アメリカとヨーロッパ-揺れる同盟の80年』(中公新書)がある。
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