2つの「1989年」――天安門とブランデンブルク門(上)

執筆者:佐瀬昌盛 2019年10月14日
30年前、民主化を求めて天安門に集まった学生や労働者たち(C)AFP=時事
 

 絶好の人材がいたものである。1989年6月4日に北京の天安門広場で人民解放軍が群がる民衆に銃口を向けたとき、在中国・日本大使館には陸上自衛隊の笠原直樹が防衛駐在官として勤務していた。笠原は天安門事件の模様を克明に書き残していた。すでに4月なかばには、学生に人気のあった改革派指導者・胡耀邦が死去していた。それを契機に学生たちの胡追悼運動が始まり、天安門広場に学生たちが集結するようになっていた。

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執筆者プロフィール
佐瀬昌盛 防衛大学校名誉教授。1934年生れ。東京大学大学院修了。成蹊大学助教授、防衛大学校教授、拓殖大学海外事情研究所所長などを歴任。『NATO―21世紀からの世界戦略』(文春新書)、『集団的自衛権―論争のために』(PHP新書)など著書多数。
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