深層レポート 日本の政治
深層レポート 日本の政治 (213)

「菅政権」が直面する「外交」「派閥闘争」いばらの道

2020年9月5日
エリア: アジア
出馬宣言時点ですでに勝負はついたかのようだが……(C)EPA=時事
 

 安倍晋三首相が電撃的に辞任表明した。後任を決める自民党総裁選は、党内7派中5派の支持を固めた菅義偉官房長官が圧倒的な優位に立っている。

 ただ、約7年8カ月に及んだ安倍政権は、功罪双方で歴代にないほど大きな足跡を残しており、後継の首相となる菅氏は否応なく比較される試練が待っている。党内では、菅氏選出の流れをいち早く作った二階俊博幹事長と各派領袖との溝も大きくなっており、菅氏の前途が洋々とは言えない。

ストレスに起因するホルモンの値が

「食欲もなく、うまく眠ることができない。とても疲れやすくなっている。これから大事な予算編成もあるし、国政に一刻の猶予も許されない」

 8月28日午前10時半過ぎ。安倍首相は麻生太郎副総理と首相執務室で向き合い、不退転の決意で職を辞する考えを伝えた。

 伏線は1カ月以上前からあった。

 首相は、新型コロナウイルスの感染拡大に対応するため、1月26日から147日間連続で官邸に出勤。関係者によると、血液中でストレスに起因するホルモンの値が異常に高くなり、新薬「アサコール」で抑えてきた持病の潰瘍性大腸炎が再発する兆候が出たという。

 7月にはトイレに行く回数が頻繁になり、食欲も低下した。

 麻生氏は当時、首相から体調の不安を訴えられた際、

「短期間入院し、また戻ってくればいい。その間は私が臨時代理を務める」

 などと説得し、辞任を思いとどまるよう求めたという。

 首相の側近は、辞任に至るまでの様子をこう明かす。

「首相も一時期は、後継と位置付けてきた岸田文雄政調会長の求心力が上がらないことを見据え、体調をコントロールしながら続投しようと考えた。しかし、8月に入って症状が進み、6日の『広島原爆の日』に合わせて広島市を訪れた際には立っているだけでめまいがするような状況に陥った。首相は同月27日夕の帰宅後から携帯電話の電源を切り、最終的に1人で辞任を決断した」

 麻生氏は辞任を伝えられた28日午前も、「1カ月休んでもいい」

 などと語りながら留意したというが、首相は、

「政治空白を作ってはならない。もう決めた」

 と聞く耳を持たなかったという。

トランプ大統領との盟友関係

 麻生氏が首相の続投を望んだのは、岸田氏のふがいなさだけが理由ではない。

 新型コロナの影響で内外の政情が不安定になるなか、今の日本の政治には首相の政治力と指導力が不可欠だと考えたからだ。

 外務省幹部は、

「クセのある世界の首脳とこれだけ濃密な関係を築いた首相は過去にいない」

 と舌を巻く。

 外交での成功は、首相の個人的なキャラクターに支えられた面が大きい。

 象徴的なのが、ドナルド・トランプ米大統領との関係だ。トランプ氏が米大統領選に勝利した直後の2016年11月10日には、先進国の中でいち早く電話会談を実現し、18日朝には米ニューヨークのトランプタワーでの直接会談にこぎつけた。

 首相は会談で、トランプ氏が「親しい友人としかプレーしない」とするゴルフに引っ掛け、日本製のドライバーを持参した。そして相好を崩したトランプ氏には、おもむろにこう語りかけた。

「あなたと私には共通点が多い。あることないことをメディアに書かれ、叩かれている」

 トランプ氏は大統領選で、『CNN』や3大ネットワークと呼ばれる民間テレビ局、『ニューヨーク・タイムズ』などの大手紙と対峙してきた。一方、安倍首相も、国内で『朝日新聞』や一部民放局から激しい政権批判を受けた。「似た者同士」と冗談を飛ばす首相に、トランプ氏は「俺はこれからG7(先進国)首脳とどう向き合えばいいのか」と、心を開きながら相談を持ち掛けてきたという。

 以後、両首脳は往来を繰り返し、そのたびにゴルフを楽しみながら内外の情勢を語り合う盟友関係を築いた。

 トランプ大統領と向き合った首相の手腕について、外務省幹部は、

「米国第一を唱える猛獣に寄り添いつつ、『ここから先に出ると危険だ』と巧妙に境界線を教え、自然な形で導いた。こんなことできた世界の首脳はいない」

 と語る。

 安倍首相は、ドイツのアンゲラ・メルケル首相から「トランプ大統領とどう付き合えばいいのか」と相談を受けるほど、他のG7首脳からも頼りにされる存在となった。

 今年11月の米大統領選では、続投を目指すトランプ大統領の劣勢が伝えられているが、4年前は泡沫扱いされていたトランプ氏が逆転勝利を収めただけに、「勝敗の行方は分からない」(日本政府関係者)と見る向きも少なくない。

 仮に民主党のジョー・バイデン前副大統領が勝利したとしても、安倍首相は、歴代大統領で初めて被爆地・広島を訪れたバラク・オバマ前大統領や、バイデン氏と太いパイプを持つキャロライン・ケネディ元駐日大使らと個人的な関係を持つだけに、堅実な外交を展開しただろう。

 新型コロナの流行はなお収まらず、世界経済への深刻な影響は広がる一方だ。その間隙を縫うように、中国は軍事・経済双方で影響力を強めようとしている。

 安倍首相は、中国との関係改善も進め、習近平国家主席の国賓来日を今年初めまで模索した経験もあるだけに、外務省の局長は、

「米中の間に立ってバランスのいい外交を行える安倍首相が、この段階で表舞台から去るのは痛い」

 と肩を落とす。

菅氏に募る懸念 

 果たして後継となる菅氏は、どれだけの外交手腕を持っているのだろうか。

 自民党内で菅氏への支持が高まると同時に、密かに多くの政府関係者が懸念を募らせているという。

 菅氏は官房長官として、携帯電話料金の値下げや訪日外国人観光客(インバウンド)の拡大などに手腕を発揮したが、外交や安保では、沖縄の米軍基地返還交渉に力を注いだことが注目される程度に過ぎない。

「私は日米の電話会談にすべて同席している。両首脳のような信頼関係を築くのは極めて時間がかかると思うが、トランプ大統領を支える閣僚やペンス副大統領とは、私もかなり昵懇にさせていただいている」

 菅氏は9月2日、正式に出馬表明した記者会見で、首相が築いた日米関係はしっかり引き継ぐことができると胸を張ってみせた。

 菅氏は昨年5月に官房長官としては異例の訪米を果たし、マイク・ペンス副大統領ら米政府の要人と立て続けに会談した。

 政府関係者は、

「菅氏の外遊には外務省と防衛省、経済産業省の局長級がぞろぞろと同行し、菅氏に恥をかかせない態勢を作った」

 と振り返る。

 米側も、各国の首脳級以外でペンス副大統領が直接面会する異例の対応をとり、将来の次期首相候補としてパイプ作りを進めた。

 ただ、政府筋は、

「菅氏は訪米中、対中包囲網の構築方法や東アジア情勢など、安全保障に関する積極的な発言はあまりできなかった」

 と声を潜めて語る。

 そもそも、菅氏がトランプ大統領の「米国第一主義」をどう受け止めているかや、中国にどう向き合うのか、基本的な考えはよく分からない。安倍首相の外交手腕と比べられ、各国の首脳の目も厳しくなるのは避けられない。

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と安倍首相との関係にも象徴されるように、個人的な人柄が大きく左右するのが首脳外交だ。安倍首相や米ロ両首脳のような「強烈なリーダーシップ」ではなく、本来の菅氏は調整型。その性格で、自国の利害を露骨にぶつけあう、現代の外交にどう挑むのか。明確な方向性は分からぬままだ。

顕在化する二階氏と主要3派のさや当て

 菅氏は出馬表明の段階で、自民党所属議員のうち7割近くを固めた計算になるが、支持基盤にはもろさも隠れている。

 党内では、いち早く「菅首相」の流れを作った二階氏に対する怨嗟が渦巻き、党内の主要3派とのさや当てが顕在化しているのだ。

「なぜそんな会見をするのか。一切聞いていない。菅の評判を落とすだけだ!」

 菅氏が出馬表明をした2日朝、二階派の幹部はこう憤った。菅氏が出馬会見を開く2日夕に、党内最大派閥の細田派会長の細田博之元幹事長と麻生派会長の麻生副総理、竹下派会長の竹下亘元総務会長の3氏が並んで記者会見を開く、と報道関係者から聞いたからだ。二階派には一切知らされていなかったという。

 二階氏は、菅氏と6月中旬から個別の会食を繰り返して盟友関係を築いていた。

 首相が辞任表明した翌29日には、東京・赤坂の議員宿舎で個別に菅氏と面会し、出馬の内諾を得た。これを受け、同派の林幹雄幹事長代理らが一斉にメディアに、

「菅氏は出馬する。二階派が最初に支持を打ち出す」

 と触れ回り、流れを作った。

 面白くないと感じたのが党内の主要3派だ。麻生氏は3会長による会見で「主導権なんか争ってない」と釈明したが、菅政権の屋台骨を支えるのは3派とアピールする目的があったのは明らかである。

 菅氏は無派閥で、もともと党内には「菅グループ」と呼ばれる中堅・若手ら30人程度しか支持基盤がない。首相の座を射止めるには大派閥の支持が不可欠なのは明らかで、菅氏の側近は、

「主要3派の会見がかなりプレッシャーになった」

 と打ち明ける。

 焦点となる菅内閣の組閣と自民党役員人事では、立役者となった二階氏の幹事長続投が濃厚とされる。ただ、主要3派には、

「これ以上、二階氏が党のカネと公認権を一手に握る状態が続くのは好ましくない」

 との認識も広がるだけに、「菅・二階体制」の党運営が安定するかどうかは不透明だ。

 とりわけ、麻生氏は安倍政権下でも、消費税率引き上げに伴う軽減税率の導入や衆院解散の時期などについて、ことごとく菅氏と対立してきた。

 麻生派の関係者によると、麻生氏は8月の中旬まで岸田氏の支援ができないか模索していたという。もともと菅氏や二階氏の党内基盤は強固ではないだけに、最大派閥の「数」をバックにしてきた安倍首相のような政権運営ができる保障はない。

 9月上旬の『朝日新聞』の世論調査では、総裁選に出馬した3候補のうち、菅氏が支持率でトップに立った。これを聞いた菅氏は、周囲に「当然だ」と語ったという。

 安倍首相のもとで謙虚な女房役だったからこそ、内外の信用を集めていた菅氏。身の丈を見失った途端、目の前に現れるのはいばらの道に違いない。

カテゴリ: 政治
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