「脱・アベノミクス」の気運は高まる、されど市場が岸田首相を信じない理由

執筆者:磯山友幸 2022年7月14日
エリア: アジア
「総理になりたかっただけなのでは」との声も漏れて来る(6月9日、自民党臨時総務会で発言する岸田文雄首相=左から3人目) (C)時事
安倍晋三元首相の死去と参院選大勝を受け、金融・経済政策の転換に注目が集まっている。実際、財政再建をめぐり自民党で生じた対立を考えれば、積極財政派の重鎮・安倍氏の「重石」が消えた意味は小さくない。しかし、岸田首相の「新しい資本主義」はもはや、アベノミクス以上にアベノミクス的になっている。

 安倍晋三元首相が亡くなった。8年8カ月に及ぶ憲政史上最長の期間、首相を務めた安倍氏は、外交で大きな成果を残したほか、アベノミクスに象徴される経済政策や、教育改革など様々な分野で足跡を残した。まだ67歳と若かったこと、自民党最大派閥の清和会を率いていたことから、今後の日本の政策の方向性にも大きな影響を与えると見られていただけに、突然の死去は岸田文雄内閣の政策運営、特に金融・経済政策に大きな影響を与えることは必至だ。

「安倍元総理の思いを受け継ぎ、特に情熱を傾けて来られた拉致問題や憲法改正など、ご自身の手で果たすことができなかった難題に取り組んで参ります」

 岸田首相は7月11日、参議院選挙の結果を受けて自民党総裁として記者会見し、安倍元首相に哀悼の意を捧げると共に、「思いを受け継ぐ」と語った。だが、具体的にあげた拉致問題や憲法改正はともかく、金融・経済政策については、安倍氏の「重石」が外れたことで、今後、大きく転換していく可能性が出てきた。というのも、自民党内は、金融・経済政策を巡って、深刻な対立が生じていたからだ。

「骨太の方針」から消えた「PB黒字化」の目標年限

 5月中旬。自民党の財政再建派を中心とする「財政健全化推進本部(以下、推進本部)」が、基礎的財政収支(プライマリー・バランス=PB)を黒字化する目標年限を定めようと動いていたことに、安倍元首相が猛烈に反発していた。その推進本部の事務局長を務める越智隆雄氏に安倍氏は自ら直接電話をかけ、「君はアベノミクスを批判するのか」と怒気をはらんだ声で問い質した、と報じられた。政府が毎年6月に閣議決定する「経済財政運営と改革の基本方針」いわゆる「骨太の方針」に、PB黒字化を明記する方向で動いていた推進本部に、安倍氏自らが怒鳴り込んだわけだ。

 岸田氏は財務省の影響力が強い「宏池会」の会長を務める。当然、財政健全化は財務省の悲願で、2021年秋にスタートした岸田内閣がPB黒字化に向けた歳出抑制や増税に動くとの見方が強かった。2021年12月に茂木敏充幹事長が岸田首相と相談し、総裁直属の「財政健全化推進本部」を設置。本部長に額賀福志郎氏、最高顧問に麻生太郎副総裁など財務相経験者が名を連ねた。アベノミクスで進めてきた「大胆な金融緩和」や「機動的な財政出動」にブレーキがかかる可能性があったわけだ。

 これに対して、安倍氏に近かった高市早苗政調会長は、自らが主導して「財政政策検討本部」の議論をスタートさせた。安倍氏も自ら最高顧問に座り、目を光らせた。この「検討本部」は、新型コロナウイルス蔓延による経済打撃から立ち直るためには、積極財政が必要だとする主張を展開。「推進本部」と真っ向から対立する格好になっていた。その「沸点」と言えたのが、前述の越智氏への電話だったわけだ。

 結局、閣議決定された骨太の方針には「PB黒字化」の年限は盛り込まれなかった。「財政健全化の『旗』を下ろさず、これまでの財政健全化目標に取り組む」としたものの、一方で、「危機に対する必要な財政支出は躊躇なく行い、万全を期す。経済あっての財政であり、順番を間違えてはならない」とまで書き込まれた。完全にアベノミクスの「継続」が明記されることになった。まさに安倍氏の完勝だった。

清和会が割れればアベノミクスを転換できるが…

 骨太の方針と同時に閣議決定された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」も当初、岸田氏が掲げた「新しい資本主義」とは似て非なるものになり、アベノミクス以上にアベノミクス的な内容になった。総裁就任時には、「新自由主義的政策は取らない」「分配重視の政策」と明言し、アベノミクスからの転換を窺わせたが、蓋を開ければ、「賃金の引き上げ」「人への投資」と、安倍氏が首相として強調していたことの繰り返しになった。

 岸田氏の「変節」は、例えば金融所得課税の強化について国会で発言するたびに株価が大きく下げる「岸田ショック」に見舞われるなど、市場の反発を浴びたことが大きいと見られてきた。岸田首相周辺は政権基盤を固めるために参議院選挙での勝利を「最優先課題」にしてきた。遂には5月5日にロンドンの金融関係者を前に「Invest in Kishida!(岸田に投資を)」とまで言って、市場関係に媚を売り、「資産所得倍増」を打ち出した。就任当初の、新自由主義的政策で開いた格差を埋めるために分配する、という姿勢とは真逆の政策になった。

 こうした方向転換の背景に、安倍氏の影があったのは間違いない。安倍氏が率いる清和会は最大派閥で、数の論理では宏池会は対抗できない。その総帥たる安倍氏が進めてきたアベノミクスを真正面から否定することは難しかったということだろう。

 その安倍氏が亡くなった。会長を失った清和会には、安倍氏に代わる強力なリーダーがいない。もちろん、安倍氏がいなくなっても清和会が最大派閥であることは変わらないが、安倍氏亡き後も、全員がアベノミクス堅持で一致団結するかどうかはまったく分からない。政治家の多くは政策に共鳴するからではなく、強いリーダーに付き従う人たちだ。安倍氏が将来に向けて力を持ち続けると見て、従っていた政治家も少なくない。彼らがどこまでアベノミクス的政策にこだわりを持っているかは心許ないのだ。

 8年にわたる安倍内閣では、財務省は不遇をかこってきた。役所の中の役所と言われ、官邸を牛耳るのも財務官僚だった時代が去り、経産官僚が大きな力を持った。当然、安倍氏が亡くなった今、財務官僚が政策の主導権を取り戻そうとする動きは強まるだろう。

だが、フリーハンドを得ても空虚?

 岸田首相周辺が「最優先課題」としてきた参議院選挙も、圧倒的な勝利に終わった。岸田首相にとって盤石の期間が当面は続くことになる。安倍氏という「重石」がいなくなった中で、岸田首相はどう動くのか。果たして、岸田首相は何がやりたいのか。何に優先的に取り組むのか。

 参院選でいわゆる「改憲勢力」が3分の2の議席を得たことで、憲法改正に動くのではないか、という見方が強い。岸田氏も会見で、安倍氏ができなかった憲法改正に取り組む、と明言している。だが、同時に挙げた拉致問題と共に、解決が難しい課題であることもまた事実。改憲容認の各党も思いは様々で、具体的な改憲項目になると話がまとまるには相当な時間を要する。

 同床異夢なのだ。自民党の中ですら一体ではない。これまでもそうだったが、改憲の作業は国会の憲法審査会が行うことになっており、直接、首相が力を振るう話ではない。逆に言えば、「タカ派」の安倍氏もその支持者も憲法改正には「本気」だったに違いないが、「ハト派」の岸田氏はそこまで憲法改正を本気で優先課題だと考えるのだろうか。

 かと言って、経済政策で本気で「分配」中心の政策を信念として実現したいと思っているのかどうかも不明だ。参院選翌日の11日に各メディアが行った市場関係者への調査では、当面、金融市場に変化はないとの見方が大方を占めた。

 結局、岸田氏が言う「新しい資本主義」で、岸田氏自身は日本をどんな国にしようと考えているのか誰もわかっていないのだ。参議院選挙前はあえてそれを語らないようにしているという解説もあったが、選挙勝利した今、「本音」を語り、本当にやりたい経済政策を打ち出すのか。

「安倍さんは総理になって、やりたい事があった政治家だったが、岸田さんはどうなのか。総理になりたかっただけなのではないか」と安倍氏に近かった安倍内閣の元閣僚は、安倍氏の早すぎた死を悔やんだ。

カテゴリ: 経済・ビジネス 政治
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執筆者プロフィール
磯山友幸 1962年生れ。早稲田大学政治経済学部卒。87年日本経済新聞社に入社し、大阪証券部、東京証券部、「日経ビジネス」などで記者。その後、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、東京証券部次長、「日経ビジネス」副編集長、編集委員などを務める。現在はフリーの経済ジャーナリスト活動とともに、千葉商科大学教授も務める。著書に『2022年、「働き方」はこうなる』 (PHPビジネス新書)、『国際会計基準戦争 完結編』、『ブランド王国スイスの秘密』(以上、日経BP社)、共著に『株主の反乱』(日本経済新聞社)、『破天荒弁護士クボリ伝』(日経BP社)、編著書に『ビジネス弁護士大全』(日経BP社)、『「理」と「情」の狭間――大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』(日経BP社)などがある。
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