「障害者だから――」と“決めつけ”たことのある人にこそできるイノベーティブな福祉

『異彩を、放て。 「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』(松田文登・崇弥著、新潮社)

執筆者:小国士朗 2022年12月27日
タグ: 日本
エリア: アジア
知的障害のある人の作品に正当な芸術価値を認めて権利を管理し、企業とのコラボを手がけた対価を作者に還元する「ヘラルボニー」。数々の作品が、JR釜石線のラッピング車両や老舗洋品店のネクタイなどさまざまなプロダクトに結実している。

 ハンバーグを頼んだのに餃子が出てくることもある、認知症の方々がホールスタッフを務める「注文をまちがえる料理店」。

 知的障害のある作家の作品をプロダクト化して対価を還元しつつ、自社利益も上げる株式会社ヘラルボニー

 福祉に一石を投じた両者のリーダーは、実は旧知の仲。前者の代表・小国氏が後者の代表・松田両氏による著書『異彩を、放て。 「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』を踏まえて考えた、「社会の『あちら側』と『こちら側』」「一人ひとりの違いを尊重し合える世界」とは。

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 書評を頼まれた。あの「ヘラルボニー」の創業者・双子の松田文登/崇弥兄弟が書いた、初めての著作の書評だ。光栄だ。素直に嬉しい。ヘラルボニーが掲げるミッション「異彩を、放て。」を本のタイトルにしているのもステキじゃないか。「喜んで書かせて頂きます!」と二つ返事で引き受けた。

 そうしたら、編集部から「『注文をまちがえる料理店』が前から気になっていました! 単なる書評にとどまらず、本書をメインに絡めて小国さんの考える「福祉のあり方」のような読み物にしていただけませんでしょうか」とメールが届いた。すごい後だしジャンケンがきた。新潮社編集部よ、ジャンケンのルールを知らんのか。

 でも、いいのだ。書こうじゃないか。作家でもない、福祉の専門家でもない僕に対して、書評にとどまらず「福祉のあり方」まで書かせようという、新潮社編集部の無茶ぶりを甘んじて受けようじゃないか。そう思わせるだけの魅力が、ヘラルボニーや松田兄弟にはある。

 いま、ヘラルボニーの勢いはすごい。JR東日本、丸井、コーセー、パナソニック、そしてあのディズニーも。知的障害のある作家の作品を、ハンカチや洋傘、シャツにネクタイ、さらにはクッションや食器など、ライフスタイルを彩る様々なプロダクトとしてプロデュースしていくヘラルボニーには、企業からのコラボの依頼が引きも切らない。

 もちろん松田兄弟もすごい。Forbes JAPANの30 UNDER 30(世界を変える30歳未満の30人)に選ばれるなど、起業家としての評価もすこぶる高い。

 そういえば、ヘラルボニーの勢いを痛感した出来事があった。僕の講演会でのことだ(僕も時々講演会をするのだ)。その日僕は全力で話をし、ありがたいことに大きな拍手も頂いた。講演会の後、名刺交換をさせて欲しいと20代くらいの女性がやってきた。うん、ありがたいじゃないか。

 すると彼女は、僕をまじまじと見て「あの……今着ていらっしゃるその服、ヘラルボニーさんのですよね?」と聞いてきた。えぇ、たしかにそうですが、それがなにか? 「私、すごい大ファンで(ヘラルボニーの)。ほんとうにかっこよくて(ヘラルボニーが)。どうやったらこんな素敵なことができるのか(ヘラルボニーがね……)っていつも思っていて。小国さんは、どう思います?」。えーと、それはね……って、いや知らんがな。今日の、今この一瞬くらいは僕の話をしてくれてもいいんじゃないか?っていうか、本を読め、ぜんぶ本に書いとるわ。

人を馬鹿にする言葉を使ったことがあるからこそ

 というわけで、本の話である(シャツの裾で涙をぬぐいながら)。『異彩を、放て。 「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』(新潮社)には、彼らの生い立ちから始まり、ヘラルボニーがどうやって生まれたのか、どんな思いでここまで走ってきたのか。彼らの言葉で丁寧に、赤裸々に書き綴られている。

 ちなみに、僕とヘラルボニーのお付き合いはずいぶんと前にさかのぼる。まだ創業前のことだ。共通の知人を介して食事をした。その時彼らは「MUKU」というブランドを立ち上げていて、製品化されたばかりのボールペンをプレゼントしてくれた。とてもおしゃれで、ステキだと思った。そしてその後、ヘラルボニーは破竹の勢いで成長をしていく。

 でも、僕はボールペンを手にしたあの時から今まで、ずっと変わらずヘラルボニーを不思議な会社だと思い続けてきた。なんというか、つかみどころがないのだ。魅力的なのは間違いないのだが、正直なにが魅力なのかが今一つわからない。一言で言い表せない。なんとももどかしい存在、それがヘラルボニーだった。

 そもそも知的障害のある作家の作品をプロダクトにしていく、というビジネスモデル自体は目新しいものではない。ビジネスモデルの革新性で熱狂を生み出す企業もあるが、ヘラルボニーはその類ではない。いや、もちろん彼らのつくるプロダクトはステキだ。ハイセンスで、ハイクオリティで、一切の妥協がない。福祉×アート×ビジネスを成立させるうえで、プロダクトのクオリティの高さは極めて重要だろう。しかし、それがヘラルボニーの快進撃の理由だと言われても、何かが足りない気がする。

 その“足りない何か”の正体をつかみたくて、僕は彼らの本を手に取った。そして、ページをめくっていると、突如、強烈な文章が飛び込んできた。

 こともあろうに、いつしか僕らは「スぺ」という言葉を使う側になった。「スぺじゃん!」とからかっても、兄のことを言っているわけではないから関係ない。兄を馬鹿にしているわけじゃない。そうやって感覚を“麻痺”させて、いじめのターゲットになることから逃れた。(『異彩を、放て。「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』P.26)

 「スぺ」とは自閉症スペクトラムを略した言葉だ。双子の松田兄弟が中学に入ると、学校には「人と違う」ことを馬鹿にする空気が蔓延していたという。勉強ができない人、スポーツが苦手な人だけでなく、人を笑わせようと変顔しただけでも「スぺじゃん!」「おまえ、スぺの教室(特別支援学級)行けよ」と言って、ゲラゲラ笑う。しかし、松田兄弟は笑えなかった。なぜなら、彼らの4歳年上の兄の翔太は、重度の知的障害を伴う自閉症スペクトラムだったからだ。

 そして、いつからか松田兄弟は、兄の翔太のことをさんざんいじられるようになった。兄の言動を真似され、「翔太イム(ショータイム)!」と何度も何度もののしられた。二人はその時のことを「地獄だった」と回想している。本当に、地獄だったのだろうと思う。いつもあたりまえのようにそばにいる、大好きな兄のことを馬鹿にされ続けるのだ。そして、二人は「スぺ」という言葉を“使う側”に回った。

 その言葉を二人が使った時、どれほど辛く、苦しく、哀しかったことだろう。僕は、本の中で淡々と語られる彼らの“告白”に、胸が押しつぶされる思いだった。しかしそれと同時に、ここにこそ、僕がヘラルボニーに惹かれる理由があるのではないかと思った。

 彼らには、嘘がないのである。びっくりするくらいまっすぐでピュアなのだ。先の告白。彼らは本の中でそのことを書かなくてもよかった。知的障害のある兄を持つ若き起業家として、福祉の概念を変える旗手として、美しい理想と熱い思いをつづるだけでもよかった。でも、彼らは正直に書いた。

 彼らは知っているのだ。「スぺ」という言葉を使って人を馬鹿にする者たちに対して、激しい怒りを覚えていた自分たちでさえ、“あちら側”に回ってしまうことだってある――。

 その恐怖や哀しさに自覚的だからこそ、彼らの生み出すプロダクトはどこまでも誠実に作られているのではないか。彼らの告白を読んでいて、僕はふとそう思った。

 ヘラルボニーは、ビジネス的にはどれだけ非効率だとしても、一人ひとりの作家の思いをくみ取るプロセスをとても大切にする。何カ月も、時には1年以上も作家に伴走し、その意志に向き合う。

 こうしたヘラルボニーの姿勢に大きな影響を与えたのが、岩手県花巻市にある「るんびにい美術館」のアートディレクター、板垣崇志さんだったという。MUKU誕生のきっかけも作った板垣さん。本の中に出てくる、板垣さんの言葉が胸に刺さる。

 花巻まで(ヘラルボニーの)法人化を知らせに来てくれた(松田)文登さんに、念押ししたことがありました。

 それは、「作者本人としっかりコミュニケーションしてほしい」「製品化決定までのプロセスに、作者の同意が不可欠となる手続きを組み入れてほしい」ということでした。

 多くの施設、多くの作者さんが、作品を商品化し流通させることに対して、おそらく素直に喜ぶ場合が多いでしょう。これは成果物が完成する前からある程度予想がつくことです。けれども、その予断こそが危険だと思うのです。最初から作者さんが喜ぶものと決めつけて進めるべきではない。本当に喜ぶのか、作者さんが最終的にやってよかったと本当に思えるのか、一人一人、一つ一つの企画について確認していくべきだということをお話ししました。
​(『異彩を、放て。「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』P.161、※()内は小国が加筆)

 そうなのだ、僕たちは油断をするとつい「決めつけ」てしまうのである。

 作品がプロダクトになれば嬉しいに違いないという決めつけ。作品さえ売れれば喜ぶに違いないという決めつけ。さらには、障害者だからできないという決めつけ。あるいは、障害者なのにすごいねという決めつけ。僕たちはたくさんの「決めつけ」にのみ込まれて、いつしか一人ひとりの表情や意志がまったく見えなくなっている。

 この瞬間、僕たちは間違いなく“あちら側”に立っている。つい先ほどまでは“こちら側”に立ち、「障害者」とひとくくりにカテゴライズするべきじゃないと主張していた自分が、気が付けばあっさりと“あちら側”に回っている。

 僕には、今でも思い出すとずくずくと胸が痛む苦い記憶がある。かつてNHKで番組制作のディレクターをやっていた時に、認知症患者の施設で介護のプロフェッショナルである和田行男さんを取材した。取材をはじめて一週間もたたないうちに、僕は和田さんに呼び出された。

 そしてこう言われた。「小国さんは、認知症の●●さんって見てるの? ●●さんは認知症って見てるの?」。最初、その問いの意味が分からなかった。しかし、すぐにハッとした。僕は施設に暮らすおじいさん、おばあさんたちを一緒くたに「認知症の●●さん」と見ていたのだった。

 だから、ある人が施設の扉を開けて外に出た時、僕は「徘徊がはじまった」と思っていた。それは、散歩かもしれないのに、僕は認知症の状態にある人が外に出たら、徘徊と決めつけていた。そして、和田さんはとてもやさしい表情で「小国さんな、認知症である前に、人間なんだよな」と言った。僕は頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。本当にそうだ。

 あっけないくらいに“あちら側”にいってしまう僕は、和田さんのこの言葉を決して忘れてはいけないと思った。そして、これは認知症に限った話ではないと気づいた。認知症の●●さんも、がんの●●さんも、LGBTQの●●さんも存在しない。いるのはただ一人の人間だけだ。

 本を閉じて、こんな僕だから、僕はヘラルボニーの思想や姿勢に心惹かれてしまうのかもしれないなと思った。

 かつて“あちら側”にいったことのある二人。板垣さんの言葉を受けて、愚直に一人ひとりの思いに向き合い続けたヘラルボニー。だから、僕は松田兄弟の、ヘラルボニーの作るプロダクトを信頼するし、彼らの発言や行動を支持するのだ。

 松田崇弥さんによれば、現在進行中のヘラルボニーの事業は、自分たちのやろうとしていることの1%に過ぎないという。障害があっても、ありのままでいられて、当たり前に肯定される世界。一人ひとりの違いを「異彩」として、尊重し合える世界。「異彩を、放て。」を掲げるヘラルボニーの物語はこれから先も続く。

 それを僕らはワクワクしながら見守ろう。いや、グッと踏み込んで、ともに歩んでみてもいいかもしれない。ヘラルボニーの物語は、かつての、今の、あるいは未来の、僕やあなた自身の物語になるかもしれないのだから。

『異彩を、放て。 「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』(松田文登・崇弥著、新潮社)
カテゴリ: カルチャー 社会
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執筆者プロフィール
小国士朗(おぐにしろう) 2003年NHKに入局。ドキュメンタリー番組を制作するかたわら、150万ダウンロードを記録したスマホアプリ「プロフェッショナル 私の流儀」の企画立案や世界150か国に配信された、認知症の人がホールスタッフをつとめる「注文をまちがえる料理店」などをてがける。2018年6月をもってNHKを退局し、現職。“にわかファン”という言葉を生んだ、ラグビーW杯のスポンサー企業アクティベーション「丸の内15丁目Project.」やみんなの力で、がんを治せる病気にするプロジェクト「deleteC」など、幅広いテーマで活動を展開している。
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