なぜWBC栗山監督は大谷翔平の心をつかめたのか――今すぐ見習いたい「栗山流マネジメント」

執筆者:津田勇次 2023年3月26日
エリア: アジア 北米
第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝・日本-アメリカ。優勝を喜ぶ栗山英樹監督(中央右)、大谷翔平(同左)ら日本代表=21日、アメリカ・フロリダ州マイアミ(C)時事

 史上最高のチームワークと謳われたWBC「侍ジャパン」を率いた栗山英樹監督は、なぜ「名将」たりえたのか。その令和時代にフィットしたマネジメント力の秘訣とは?

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 今年の「理想の上司ランキング」1位は決まったも同然だろう。

 侍ジャパンを世界一に導いた監督・栗山英樹のことだ。メジャーリーガーの大谷翔平投手、ダルビッシュ有投手、吉田正尚外野手、L・ヌートバー外野手や、国内組の村上宗隆内野手、岡本和真内野手、山本由伸投手らのストロングポイントを引き出す絶妙なマネジメント力で、見事に頂点の座へと上り詰めた。

 過去のWBC日本代表監督と比較すれば、現役時代の成績はどうしても見劣りしてしまう。第1回大会の王貞治、第2回大会の原辰徳、第3回大会の山本浩二、第4回大会の小久保裕紀はいずれもアマチュア時代から名を馳せ、プロ入り後も一時代を築いたスーパースターだった。

 それに比べて栗山は、国立大の東京学芸大からドラフト外でヤクルト入りした文字通りの「雑草」。プロ3年目のシーズン後半から外野のレギュラーに定着し、1989年にはゴールデン・グラブ賞のタイトルも獲得した守備の名手だったが、プロ2年目に発症したメニエール病に苦しみ、選手生活はわずか7年。29歳で現役引退を決断した。

 しかし、第二の人生で仕事に一切手を抜かなかったからこそ、今の座がある。根底にあるのは野球に対する愛情と、人間学への旺盛な好奇心だ。「熱闘甲子園」のキャスターとしては現場にこだわり、強豪私学から普通の県立校まで自らの足で取材を重ね、球界の未来に思いを馳せた。

 母校・東京学芸大の「現代スポーツ論」で教壇に立ち、白鴎大経営学部の教授を務めるなど、学び続けることを自らに課した。明朗で謙虚で勉強熱心。その姿をしっかりと見ていたのは北海道日本ハムファイターズの上層部だった。

 2012年、監督就任。いきなりリーグ優勝を成し遂げる。そしてそのオフのドラフト1位で入団したのが、一度は進路をメジャー1本に絞っていた花巻東の大谷翔平だった。

 二人は出会うべくして出会ったと言えよう。

メジャー志望だった大谷を説得中に……

 栗山のリーダーとしての姿勢は、若年層離職といった若手社員のマネジメントに苦悩する管理職にとって、学ぶことだらけだ。その極意を吸収して、新年度に備えてみてはいかがだろうか。

 使えそうな「栗山流」を大きく3点にまとめてみた。

【1】部下の名前はファーストネームやニックネームで

 大谷は「翔平」。村上は「ムネ」。しかし、いざやってみるとちょっと恥ずかしい……。いやいや。それでは若手との距離を縮めることなんてできっこない。

 栗山のファーストネームへのこだわりは尋常ならざるものがある。あるスポーツ紙の元日本ハム担当記者(ハム番と呼ぶ)はこんな証言をしてくれた。

 「今は巨人軍のスカウトをしている木佐貫洋さんが日本ハムに在籍していた頃の話です。試合前の囲み取材で栗山監督が盛んに『ヒロシがさ』『ヒロシはね』と話していたんです。『ヒロシって誰?』と思いながら聞いていたら、木佐貫さんのことでした。『木佐貫』というオンリーワンの名字をもってしても、『ヒロシ』というよくある名前で呼ぶという(笑)。栗山さんのこの姿勢は筋金入りだなって感銘を受けましたよ」

 そして、こう続けるのだった。

「最も印象深いのは、メジャー志望を公言する大谷君を1位で強行指名して、入団に向けて説得している間も『翔平は』とファーストネームで呼んでいたこと。確かに『熱闘甲子園』で取材していたから面識はあったと思うんですけど、ハム番はみんな『まだ入団してないよ!』『“ウチの子”になってから呼べよ!』と心の中で突っ込んでいました(笑)。でもそんな親しみやすさで大谷君を入団へ翻意させちゃったんだから、やっぱりファーストネームで呼ぶことは効果的だったと思うんですよね」

【2】失敗の責任を部下に押しつけない

「敗軍の将、兵を語らず」とは言うけれど、実際のところ指示通りに動いてくれたら失敗しなかったのに――という局面、ビジネスの現場では日常茶飯事だろう。

 でも、公の場での叱責はもってのほか。「公開説教」してやる気やプライドを損ねては、かえって逆効果だ。叱るなら別室でマンツーマンの時が大原則。栗山はどうか。選手への小言を言いたい場面でも、報道陣の前ではこのセリフを貫くのだった。

 「全部俺が悪い」

 もはや思考停止とも言えるレベルで繰り返される談話。かつての名将・野村克也は敗戦後、ミスした選手を糾弾して記者に書かせることで、翌朝の紙面を見て発奮することを狙ったと伝えられている。でも、今の選手だったらブンむくれ間違いなし。そういう意味では、「全部俺が悪い」は今の時代に合った、ある種の潔さを感じさせるコメントと言えなくもない。

 むしろ、「そう言わせちゃった俺、ダメじゃん。もっと頑張らなきゃ」と思わせればしめたもの。職場にそんな殊勝な部下がいるかどうかは未知数だが……試しにプロジェクトが暗礁に乗り上げた時、「全部俺が悪い」と言ってみる価値はある。「まさにその通り」と言われるリスクも覚悟の上だ。

【3】結果の出ない選手でも、信じて待つ

 今大会、栗山は不振で苦しんだ村上を当初の4番から5番に下げながらも、スタメンで起用し続けた。準決勝のメキシコ戦、1点ビハインドで迎えた9回無死1、2塁のチャンス。村上はここまで4打数無安打3三振だった。

 SNS上では「代打で送りバントも手では」との意見も散見される中、栗山は城石コーチを通じて、村上にこう伝えた。 「ムネに任せた。思い切っていってこい!」

 結果は左中間フェンス直撃の2点タイムリー。侍ジャパンは逆転サヨナラ勝ちで決勝進出を果たす。そして再生した村上は米国との決勝戦で1点を先制された直後の2回裏先頭、ライトスタンドの上段へ反撃の同点アーチを放つのだった。

 できないから見捨てるではなく、託すことで村上を一回り大きく成長させた。ここにあるべき新時代のリーダーとしての姿を見る。

令和の時代だからこそ注目される「栗山流マネジメント」

 以上の3つを踏まえて思うのは、社会が大きく変化したことで、求められるリーダー像もまた変わりつつあるという事実だ。

 長年、野球界では「俺についてこい」という星野仙一型、あるいは権威と知識で統率していく野村克也型が求められてきた。

 しかし栗山はそのどちらでもない。むしろモチベーターとして、部下のやる気を引き出し、チームが快活に機能するための環境作りに努める…その結果、侍の一人ひとりが気分良くグラウンドに立てたからこそ、世界の頂点に上り詰めることができたとも言えるだろう。

 牽引型、統率型よりも融和型。

 令和時代にフィットした「栗山流マネジメント」の神髄である。しかしそれも、大谷やダルビッシュといった超一流どころが揃う組織だからこそ実現できたのかもしれない。

 ウチにも大谷クラスの部下が欲しい――ついついそう嘆きたくもなる今日この頃。まずはファーストネームで呼ぶあたりから栗山流、始めてみてはいかがだろうか。

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