5月19-21日の広島サミット(主要7カ国=G7首脳会議)に向けて、日本外交が盛り上がっている。主要議題はロシア・ウクライナ戦争であり、岸田文雄首相は1月、サミットに向けたメッセージで、一方的な現状変更や核兵器による威嚇を拒否し、国際秩序を守り抜くと強調。「G7議長として議論を牽引し、こうしたG7の強い意志を、歴史に残る重みを持って、力強く世界に示したい」と抱負を述べた。
各紙の社説も、「広島が地元の首相はとりわけ『核兵器のない世界』への思いが強い。サミットではその実現への道筋を示し、国際世論を喚起する力強いメッセージを聞きたい」(日本経済新聞、4月19日)などと注目している。
国際社会でプレゼンスの小さい日本は、サミットが1975年に始まって以来、アジア唯一の参加国としてサミットを特別視し、新聞も大々的に報じてきた。これに対し、欧米諸国のメディアの扱いは、日本に比べて驚くほど小さい。
日本は自国開催のたびに、首相が加盟国を歴訪して事前準備し、岸田首相も欧米5カ国を歴訪した。しかし、米国の大統領が本国開催前、事前準備で加盟国を訪れることはない。
主要先進国の首脳が一堂に会するサミットの重要性を否定するものではないが、筆者自身の取材経験では、過度なサミット特別視に伴う日本外交の陥穽も少なくなかった。
痛恨のミュンヘン・サミット
日本の「サミット絶対主義」が裏目に出た最大の事例は、1992年のミュンヘン・サミットだろう。
冷戦終結後初めて、新生ロシアのボリス・エリツィン大統領も出席したサミットで、日本政府は政治宣言に「北方領土問題の解決」を盛り込むことを最優先した。領土問題の存在を欧米諸国に理解させ、ロシアへの国際的圧力にする狙いだった。
当時の宮澤喜一首相は事前に関係国を訪れて根回しし、難色を示したフランソワ・ミッテラン仏大統領に対しては、アフリカの旧仏植民地諸国への経済支援を約束して説得。政治宣言に初めて「領土問題の解決を通じた日ロ関係の完全な正常化」を求める一節が盛り込まれた。サミット終了後、一部日本側代表団は目標達成を祝い、シャンペンで祝杯を上げていた。
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