インテリジェンス・ナウ

中露に「米国分断」のチャンス:トランプ前大統領起訴で前代未聞の大統領選挙に

執筆者:春名幹男 2023年6月26日
エリア: 北米 ヨーロッパ
来年の大統領選挙に向けて、混沌とした状態は続く(Photo AC)
2024年の選挙で大統領返り咲きを目指すトランプ氏。機密文書隠匿で起訴されたことで米国民の分断化が進むが、そこにロシアと中国が情報工作を仕掛ける可能性がある。

 ドナルド・トランプ前米大統領が、国家機密文書をフロリダ州の自宅などに隠匿していた事件で起訴された。

 米国法の専門家によると、この種の事件は「機密情報手続き法(CIPA)」に従って審理を進めるため時間がかかり、裁判は長期化し、来年2024年11月5日の大統領選挙投票日の前に決着する可能性は小さい。弁護側も証拠調べで、「セキュリティ・クリアランス(機密文書取り扱い資格)」を持つ弁護士が1人以上必要だというのだ。

 前大統領は、ジョー・バイデン政権が「司法を武器化している」などと非難して支持を集め、逆にリベラル派市民は、トランプ氏は大統領には「不適格」と反発、米国民の間で分断が拡大しつつある。

 このため、共和党の大統領候補指名争いに関する世論調査でただ1人50%以上の支持を得て断然リードする「トランプ被告」が選挙の最大の「争点」となり、米国の歴史上初めての特異な大統領選になる可能性が大きい。

ウクライナ支援継続阻止へトランプ支持

 他方、米国のリーダーシップに挑戦するロシアと中国には、絶好のチャンスが到来する。前々回の2016年大統領選でトランプ氏を支援する秘密工作で成功したロシアは、前回2020年もトランプ氏を支援したが失敗した。

 今回は、敵国ウクライナの最大の支援国である米国の大統領選に介入する必要性が、さらに高まっている。ウクライナ支援の継続を明言しないトランプ氏に対する、ロシア側の期待は大きいはずだ。果たして、今回は米国のウクライナ支援阻止に向けて、どのような「秘密工作」に踏み切るのか、注目される。

 中国は前回も米大統領選に介入せず、「トランプ嫌い」の方向を示したとみられるが、今回は米国社会の「分断拡大」に向け、情報工作に乗り出す可能性がある。

 以下、事件の深層を追及すると同時に、米露情報戦争の行方も探っていきたい。

乱雑に文書を扱う前大統領

 今回の事件をホワイトハウスで前大統領と身近に接した元高官らはどう受け止めているのだろうか。

 ジョン・ケリー元大統領首席補佐官(元海兵隊大将)は「まったく驚かない」と『ワシントン・ポスト』に語っている。トランプ氏は在任中から機密文書の管理がずさんで、補佐官らは苦労させられたというのだ。

 またジョン・ボルトン元補佐官(国家安全保障問題担当)によると、トランプ氏はインテリジェンス関係の大統領ブリーフィングの後で、自分が気に入った関係文書を「キープしておきたい」と要求することがあった。外国指導者との電話会談録やインテリジェンス関係の写真、チャートなども好きで、それらをホワイトハウス内の大統領一家居住区に持ち込むこともあったという。

 特に気に入ったのは、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)党委員長から届いた書簡で、訪問客に見せられるよう、常に手が届く場所に置かせた。記者会見でもその手紙を見せたことがある。

 そんな印象が強かったためか、ホワイトハウスに残された文書を調べた担当局の国立公文書記録管理局(NARA)の係官が「金正恩氏の手紙がない」と気が付き、本格調査を開始するきっかけとなった。

 そもそもトランプ氏は「大統領記録法」などの法律を拒否し、機密文書も破いてゴミ箱に捨てたり、シュレッダーにかけたりするほど乱雑な大統領だった。いずれも同法に違反する行為で、スタッフはちぎれた紙切れを拾い集め、テープで貼り付けて文書の体裁を整え、保管する作業に追われたという。

退任前のホワイトハウスは大混乱

 ただ、米国大統領は在任中だと、起訴状に明記された37件の犯罪行為はいずれも、大統領特権で刑事訴追されることはない。

 元軍人のケリー元首席補佐官は、機密文書管理で厳格な規則の順守をトランプ前大統領に求めた。2017年7月末に着任後、大統領執務室での文書受領から大統領読了後の記録管理室での保管に至るまで、秘書部長と首席補佐官が確認する文書管理の指針を徹底した。

 ところが、ケリー氏は大統領に嫌われて2019年1月に更迭。その後2020年3月から2021年1月20日の大統領任期末まで首席補佐官を務めたマーク・メドウズ元下院議員は、大統領に対して「ノー」を言えない性格で、文書管理は大統領の意のままにしていたようだ。

 特に2020年11月の大統領選挙でのトランプ敗北後は荷物や文書の整理は大幅に遅れ、文書のリストや大統領への贈り物リストも行方不明になるなど大混乱に陥ったという。任期切れとなる翌年1月20日まで、スタッフらはただトランプ氏の指示に従うのみだった。

なぜ再三、文書箱を移動させたのか

 実は、ホワイトハウスの法律顧問は、トランプ前大統領の離任に際して、大統領文書をNARAに送付するよう決めていた。しかしスタッフはトランプ前大統領の指示に従い、フロリダ州マールアラーゴのトランプ氏所有施設に送付した。

 この施設は数百人のメンバーから成るクラブ組織となっており、従業員は約150人。その中にトランプ氏の自宅もある。文書は最終的に、こことニュージャージー州ベドミンスターのゴルフクラブに隣接する自宅に送付されたが、いずれも安全な機密文書保管設備などまったくない。文書を入れた箱はなぜか、次のように繰り返し移動していた。

 2021年1月から3月にかけて、フロリダ州の施設で数十箱がホールのステージ上に置かれたが、同3月から4月、一部をビジネスセンターやトイレ、浴室に移動。

 5月に、NARAからトランプ氏側に重要文書が行方不明との通知があったが、無視。

 6月、約80箱がトランプ氏の指示で倉庫へ移され、別の数箱をニュージャージー州ベドミンスターの私邸に送付。

 12月にトランプ側弁護士がNARAに、金正恩氏の書簡などを確認したと連絡。2022年1月、NARAの契約業者がフロリダから15箱を運び出した。

 2月、NARAは文書をすべて返却したとの弁護士の発表を疑い、司法省に捜査を依頼。3月に米連邦捜査局(FBI)、続いて4月には連邦大陪審も捜査を開始した。FBIは関係者の事情聴取で、フロリダ施設になお機密文書があるとの疑惑を強めた。

 5月、連邦大陪審が「機密指定のあるすべての文書を提出するよう」トランプ氏に指示。

 捜査の手が迫ったと感じたか、6月2日までに、トランプ側近のウォルト・ナウタ被告が64箱を倉庫からトランプ家居住区に移した。

 しかし、ナウタはなぜか同日、トランプに電話し、約30箱を居住区から倉庫に戻した。

 6月3日、FBI捜査官3人と司法省防諜部門トップのジェイ・ブラット氏の計4人が弁護士2人に会い、連邦大陪審の提出命令に応じて集めた文書を受け取った。

 6月8日~22日、FBIはトランプ側の雇員を事情聴取。7月にはFBIと連邦大陪審は、フロリダ施設における箱の移動を撮影したビデオから判断して、捜索の方針を固めた。

 8月5日、裁判所が捜索令状を許可。3日後の8日、銃を所持しない私服のFBI捜査員がフロリダ施設の倉庫、トランプ家居住区やオフィスを9時間近くにわたって捜索。

 FBIはコンフィデンシャルからトップシークレットまで機密指定された100点以上の文書を押収。76点は倉庫、他はデスクの引き出しにあった3点を含め、トランプ氏のオフィスで発見した。

 11月15日、トランプ氏が2024年大統領選出馬と発表。その3日後の18日、メリック・ガーランド司法長官が、トランプ文書隠匿事件を捜査する特別検察官にジャック・スミス氏を任命。2020年大統領選挙の集計妨害や2021年1月6日の連邦議会突入事件の捜査も特別検察官が行うことになった。

 捜査の結果、2023年6月8日、司法省はトランプ前大統領を公文書隠匿、司法妨害、偽証など37件の犯罪で起訴した。

 トランプ氏側は悪質で、政府機関から何度も提出を求められる度に、すべてを返却せず、小出しの提出で済まそうとした。最終的に強制捜索で、最も手放したくなかったとみられる文書が倉庫やトランプ家居住区で発見された。捜査当局はこれら押収文書を分析し、隠匿の動機などの解明に努めたとみられる。

ロシア外相らにモサド情報を教える

 起訴状では、トランプ氏が非常に機密度の高い「コードワード」という特別な閲覧制限を加えた文書も隠匿していたことが分かった。コードワードとは、「コンフィデンシャル」「シークレット」「トップシークレット」の3段階の機密度とは別に定めたアクセス制限を示している。

 例えば2021年12月7日撮影の写真では、倉庫の床にこぼれ出た文書に「FVEY」と指示した文書があったと起訴状は明記している。これは「FIVE EYES」の略称で、第2次世界大戦中から信号情報(SIGINT)の交換協定を結んできたアングロサクソン系の5カ国(米・英・加・豪・ニュージーランド)の間だけしかやりとりできない情報のことだ。

 このほか「ORCON」(発行省庁管理)、「NOFORN」(外国人禁止)の指定文書もあった。

 また2021年9月、トランプ氏が自分の政治活動委員会代表に(場所不明の)軍事作戦地図を見せた事実が起訴状に記されている。

 しかしこれまでの捜査結果では、これらの機密情報が敵性国家に漏洩したり、公開されたり、といった実質的被害は判明していない。

 むしろトランプ氏が大統領在任中に行った「情報漏洩」が、大統領でなければ「犯罪」として逮捕されるほど深刻な問題を引き起こしている。

 2017年4月29日、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領(当時)との電話会談で、トランプ大統領は決して明らかにしてはならない核兵器搭載潜水艦の位置を言ってしまった。

 また2017年5月10日、ホワイトハウスの大統領執務室を訪れたロシアのセルゲイ・ラブロフ外相とセルゲイ・キスリャク駐米大使(当時)に対して、トランプ大統領がイスラエル対外情報機関「モサド」から得た最高機密情報を明らかにした。

 この情報は、シリア内のテロ組織「イスラム国」の拠点に潜入したモサド工作員が入手したもので、「イスラム国」が小型パソコンを改造してバッテリーに爆弾を埋め込んだことが判明したことを伝えている。この情報をイスラエルから得た米英の情報当局は、イスラム系諸国から米英の空港に向かう乗客がパソコンを機内に持ち込むことを禁止する措置をとるほどの事態に発展した。

 ロシア情報機関がこの情報を確認して、情報源であるモサド工作員の所在地を突き止め、特定する可能性がある、と米情報当局は恐れたという。ラブロフ外相に同行した『タス通信』のカメラマンは大統領執務室などを自由に歩行して写真を撮影、別の情報が漏れた可能性も懸念された。

クレムリンのCIAスパイが急遽脱出

 米中央情報局(CIA)は、現職の大統領がこれほど重大な情報をロシア側に暴露したことにショックを受け、それまでクレムリン内部に維持していた貴重なCIA情報源の身を案じて、ロシアから出国させることを決めた。(2020年1月29日『クレムリンから消えていた「CIAスパイ」:「トランプの暴露」恐れて出国を指示』)

 その情報源は、ロシア大統領府対外政策局職員オレグ・スモレンコフ氏。1969年生まれで大学を出てロシア外務省に入省、2006~2008年に2等書記官として当時のユーリー・ウシャコフ駐米ロシア大使の下で勤務。大使の帰任と同年に帰国、ウラジーミル・プーチン大統領の外交担当補佐官を務めるウシャコフ氏のアシスタントをしていた。

 スモレンコフ氏は2017年6月14日、妻と子ども3人を連れてモンテネグロを経て出国、イタリア経由で米国に入り、現在も米国内に在住していると伝えられる。

 いわゆる「ロシア疑惑」でスモレンコフ氏は重要な貢献をしていた。

 2017年1月6日付国家情報長官(DNI)文書「最近の米国選挙におけるロシアの活動と意図評価」の主要な判断の2項目に、彼がCIAに報告した内容が明記されている。

「われわれは、プーチン・ロシア大統領が2016年米大統領選挙で影響力を行使する工作を命じたと評価する」

 続けて「ロシアの目標は米国の民主的手続きへの国民の信頼を損ね、ヒラリー・クリントン前国務長官を侮辱して、大統領となる可能性を傷つけ、トランプ氏が望ましいとする展開に持ち込むことにあった」。

オバマ大統領が動かず、トランプ当選

 このレポートの内容は2016年8月初めに、CIAから当時のバラク・オバマ米大統領に報告された。

 ロシアが米大統領選に介入し、トランプ当選に向けて秘密工作を展開していることが明らかにされたのだ。しかし、超慎重なオバマ大統領は徹底的な防諜対策(カウンターインテリジェンス)を行使しなかった。

 同年10月7日にDNIと国土安全保障長官名で「米国インテリジェンス・コミュニティは、ロシア政府が(米民主党本部などから奪取した)eメール工作を命じたと確信する」との声明を出しただけで、この声明が大きく報道されることはなかった。

 ロシア情報機関の秘密工作は極めて巧妙で、州別の「選挙人」獲得数を争う間接選挙という米大統領選の特徴に付け込んで、激戦区を中心にSNSを使い、クリントン候補に対するネガティブ・キャンペーンを展開。激戦州での勝利がトランプ当選を導いた。

 4年後の2020年大統領選でも、再びロシアがプーチン大統領の指示を受けて介入した、と米国家情報会議(NIC)の「2020年米連邦選挙への外国の脅威」と題するレポートは記している。

 しかし、選挙結果はまったく逆で、激戦州はジョー・バイデン大統領がほぼ制した。

 2020年には、ロシア情報機関の代理組織を通じて「バイデン大統領に対する根拠のない疑惑を流した」が、選挙を左右する「基盤にまで到達しなかった」という。米情報コミュニティが、SNSでアメリカ人になりすましたアカウント開設を封じたためかもしれない。

CIA長官の警告を無視したプーチン

 スモレンコフ氏の脱出後、新たにCIAはクレムリン内の情報源を開拓したと伝えられる。その情報源も含めて、米情報コミュニティは2021年秋に「プーチン大統領がウクライナ侵攻を決定した」との情報を得て、公開可能な情報を次々と積極的に発表し、北大西洋条約機構(NATO)の結束を強化して、ウクライナにロシア傀儡政権が登場することを防いだとみられる。

 プーチン大統領は2021年11月初め、訪露したウィリアム・バーンズCIA長官から「われわれはロシアの計画を知っている」と警告されたのを無視して、失敗した。2024年米大統領選に向けて、ロシアは新たな介入策を展開できるだろうか。

 

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
春名幹男(はるなみきお) 1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。
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