ウクライナ復興の焦点は「戦争リスク保険」

執筆者:熊谷徹 2023年7月6日
タグ: EU ウクライナ
エリア: ヨーロッパ
ロンドンで開かれたウクライナ復興会議で、オンライン演説するウクライナのゼレンスキー大統領(イギリス・ロンドン)(C)EPA=時事

 ウクライナが反転攻勢を開始したさなか、ロンドンで第2回ウクライナ復興会議が開かれた。ウクライナ政府が切望する、外国企業による投資を促進する鍵は、政府による投資保証か戦争リスクをカバーする保険制度だが、その目途はまだ立っていない。

***

 英国・ウクライナ両国政府は、6月21日から2日間にわたり、ロンドンで第2回ウクライナ復興会議を開催した。

 この会議で欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は、2027年までにウクライナ復興のために、借款や贈与の形で500億ユーロ(7兆5000億円・1ユーロ=150円換算)を提供する方針を明らかにした。この他欧州委員会は、ロシアの富豪などから没収した資産も、ウクライナ復興のために流用することを検討しており、法整備を急いでいる。また米国のアントニー・ブリンケン国務長官も、ロンドンでの演説で同国がウクライナに13億ドル(1820億円・1ドル=140円換算)を供与することを約束した。その内5億2000万ドルは、ロシアによって破壊された送電網や変電設備など、ウクライナのエネルギー関連のインフラの修復にあてられる。

 英国もウクライナ復興のために2億4000万ポンド(436億8000万円・1ポンド=182円換算)を供与するとともに、30億ドル(4200億円)の信用保証も実施する。さらに英国は、民間企業によるウクライナへの投資を促進することで、同国の復興を加速することをめざしている。リシ・スナク英首相は、「これまでに38カ国の約400社の企業が、ウクライナに投資する意向を明らかにした。これらの企業の株式時価総額は、4兆9000億ドル(686兆円)に達する」と述べた。

民間投資には戦争リスクのカバーが不可欠

 しかしウクライナ復興への道は、遠い。ウクライナ政府のデニス・シュミハリ首相はロンドンでの演説の中で、「ロシアの軍事攻撃によってわが国がこれまでに受けた損害額は4110億ドル(57兆5400億円)にのぼる」と語った。ウクライナ政府によると、2022年の同国の国内総生産(GDP)は、前年比で29.1%減少した。しかもロシア軍の攻撃が続いているために、損害額は刻々と増えている。戦火が止む目途は立っていない。

 民間企業のウクライナへの投資にとって大きな障害は、民間の保険会社が提供する損害保険は、戦争による損害を原則としてカバーしないことだ。

 たとえばあるドイツ企業が、ウクライナに新しく自動車部品工場を建設したとしよう。工場がロシアのミサイルで破壊されて、操業できなくなっても、民間の損害保険は、戦争免責条項に基づき、建物や機械などへの損害をカバーしない。戦争による経済損害は巨額であり、事前に予測することが困難である。このため保険業界では、貨物運送保険など一部の例外を除いて、戦争被害をカバーしないことが原則になっている。つまり各国政府が潤沢な投資保証制度を準備しない限り、戦争が続いている時期に、紛争地域に直接投資を行う企業はめったにないだろう。

政府保証と民間保険を組み合わせるオプション

 そこでスナク首相は、ロンドンでの会議でウクライナに投資する民間企業の戦争リスクをカバーする「戦争保険パイロット・スキーム」という新しい枠組みを整える方針を打ち出した。スナク氏は、新しい枠組みの基礎として、世界銀行に属する多数国間投資保証機関(MIGA)の投資保証制度を利用することを考えている。

 この制度は「ウクライナ再建のための支援トラスト・ファンド(SURE TF)」と名付けられている。SURE TFは日本政府が2300万ドル(32億2000万円)を拠出して設置された。MIGAは2022年9月に、3000万ドル(42億円)規模のパイロット・プロジェクトを実施する意向を表明した。今回の会議では、英国政府が2000万ポンド(36億4000万円)を拠出することを明らかにした。だが戦争リスクをカバーするには、さらに資金規模を増やす必要がある。ウクライナへの外国企業の投資を誘致する政府機関ウクライナ・インベストのセルギー・ツィヴカッチ局長は、「2023年から2024年に、我が国は約50億ドル(7000億円)の保険キャパシティー(支払限度額)が必要だ」と語っている。MIGAの現在の資金規模では、とても足りない。

 このため英国政府は、ロイズ保険協会や米国の大手保険ブローカー企業エーオンなどの協力を仰ぐとともに、各国政府への寄付も募ることによって、ウクライナに投資する企業を守るための保険キャパシティーを増やす方針だ。

 通常、この種の保険は、いくつかのレイヤー(層)で構成される。第1レイヤーをMIGAが担当し、第2レイヤー、第3レイヤーを民間の保険会社や再保険会社が担当するというパターンもあり得る。2001年にニューヨークとワシントンで起きた同時多発テロの後、ドイツの損害保険業界はエクストレムスというテロ保険専門会社を創設し、政府と合同で巨額のテロ被害のためのキャパシティーを準備した。スナク首相が考えている戦争保険パイロット・スキームも、政府機関と民間の損害保険業界の合同プロジェクトという形を取る可能性が強い。 

 ただし、戦争保険パイロット・スキームは「戦争はカバーしない」という保険の大原則に反するものであることから、保険料は高額になると予想される。「保険料の高騰を防ぐためには、政府機関からの補助金が必要」という声も出るだろう。同じ地域で保険がかけられている複数の工場などが、ロシア軍の大規模な攻撃によって同時に損害を受ける「集積危険(アキュミュレーション・リスク)」にどう対応するかという問題もある。

 また通常、建物や工場の機械などをカバーする保険は、核兵器、生物兵器、化学兵器による損害もカバーしない。ロシア軍が核兵器を使う可能性を示唆していることから、戦争保険パイロット・スキームでこうしたリスクをカバーするかどうかも、議論の焦点になるだろう。筆者はドイツの大手再保険会社のアンダーライター(リスクの分析並びに再保険の引き受け人)として働いた経験を持っているが、戦争リスクや核兵器、生物兵器、化学兵器のリスクは絶対に引き受けないようにしていた。

 日本は外国に対して武器・弾薬などを譲渡することを自衛隊法で禁じられている他、防衛装備移転三原則により、武器などの輸出、無償供与を制限されている。G7諸国の中でウクライナに武器を送っていないのは、日本だけだ。それならば、戦争保険パイロット・スキームに多額の援助を行うことによって、ウクライナへの民間投資を後押ししてみてはどうだろうか。

フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top