【前回まで】対馬沖で起きた台湾海軍潜水艦の衝突事故。舩井防衛大臣の勝手な密約をリークされた草刈は、スクープ記事を書き上げた。その頃、防衛省には驚愕の情報が入っていた。
Episode4 カナリア
6(承前)
「育休明けの疲れは、取れたか」
ストレートの酒をちびちびとなめていると、当直デスクの亀井に尋ねられた。彼は政治部が長く、ワシントン総局勤務を経験している。我が社では珍しいバランス感覚がある良識派だった。
「こんな仕事ですから……、なかなか難しいですね」
「児玉は、鬼軍曹だからな。けど、褒めてたぞ」
「まさか。ずっと嫌みばかり言われてますけど」
「口下手だからな」
いや、あれは口下手なのではなく、性格が悪いんだ。
「対馬沖の事故は、大変だね。そんなネタで抜けるんだから、草刈は凄いよ」
凄いのだろうか。磯部に利用されているだけの気がする。
「愚かな防衛大臣が犯した暴走の経緯を新聞で記録して欲しい――と言ってリークされたものを、原稿にしただけです。完全に、防衛省に利用されました」
「理由はどうあれ、君の記事で、バカな舩井の首が取れるなら素晴らしいよ」
今どきの新聞に、そんな破壊力があるだろうか。
「それにしても、日本政府は危機に弱いね。すっかり平和ボケしているから、有事の予兆だけでも、パニクってしまう。
北朝鮮にミサイルを、領土内に撃ち込まれても、まともに抗議もできない。発言だけは勇ましい防衛大臣は、安全保障の基本と、自衛隊という存在をまったく理解していない。
それ以上に、絶望的なのが総理だからなあ」
「でも、今まではそれで何とかやってこれたじゃないですか」
「日本という不思議な国の最大の謎だな。僕もDCにいる時、散々アメリカ人から指摘されたから、その秘密を探ろうと試みたんだけど、結局、その理由は掴めなかった」
「でも、今回はかなり心配です。防衛大臣が判断を誤って、戦争に巻き込まれるなんて、冗談じゃないです」
「その気持ちは、大事にしてくれよ。日本が戦争に傾斜した時、全身全霊でそれを阻止するのが、我々報道の使命だからね」
「戦争を食い止めるのは、政治家の仕事ではないんでしょうか。
日本の政治は、三流だという人が多いが、戦後80年近く一度も戦禍に巻き込まれなかったのは、政治家のお陰だと、発言した政治家を知っています。
もし、それが本当なら、今こそ、その政治家のスゴさを見せて欲しいと思います」
亀井はすぐには答えなかった。もしかして、呆れられているのだろうか。
「そう思うなら、それを書け。おまえの言うとおり戦争阻止は、政治家の重要な責務だ。
じゃあ、俺たちはなんだ。その重要な責務を果たさない政治家の怠慢を、国民に伝えることじゃないのか」
「でも、それは社説で訴えることでは?」
「草刈、おまえ根本的に記者の仕事を勘違いしていないか。確かに、社としての主張をするなら、社説だろう。だが、政治家の怠慢を国民に伝えるのは、記者の仕事だ」
「怠慢ってなんですか。戦争なんて止めろ! と叫ばないことですか」
「それは、戦争を止めるための行動を起こさない国会議員に聞いてみろ。先生は、なぜ戦争反対とおっしゃらないのかと。
政官財、そして国民に、なぜ声を上げないのかと、取材すればいいのでは?」
草刈が、全く考えたこともないアプローチだった。
「おまえら中堅は、『発生もの』にしか反応しない。だが、戦争が起きるかも知れないのに、誰も何もしないのは、それ自体が大事件じゃないのかな。まあ、偉そうに言っている俺も、ここで、紙面を埋めるのに汲々としているんだがな」
そこに、いきなり背後から児玉が声をかけてきた。児玉は草刈の原稿を上機嫌でほめ、乾杯を求めてきた。
「草刈、おまえはやればできる奴だ。いい記事だった。あと10分ほどで、デジタル版に載る。その後は、亀井さんが、夕刊1面で載せてくれるよ」
「ありがとうございます。一つ、結果が出せて良かったです。亀井さん、よろしくお願いします」
亀井が、読んでから決めると答えると、児玉は勢いよく酒を呷った。
「せっかくだ。防衛省の体たらくの企画物を考えろ」
「頭がすっきりしたら、考えます。じゃあ私はこれで」
児玉が注いだウイスキーのお替わりを一気飲みして、草刈は立ち上がった。
その時、突然、部局のスピーカーからアラート音が鳴った。
“共同通信より速報です。
対馬沖で日本の延縄漁船と衝突した台湾籍の潜水艦を、中国軍が拿捕”
酔いと疲れが吹っ飛んだ。
亀井がテレビのチャンネルを、NHKに合わせた。
“繰り返します。対馬沖で――”
児玉がハイヤーの配車係に連絡している。
防衛省行きの、そのハイヤーに乗るのは、私だな。
7
統合幕僚監部室に入った磯部は、顔見知りの井端敏介[いばたとしゆき]二佐に声をかけた。
「舩井大臣が、間もなく本省に到着されます。対策本部の準備をお願いします」
「既に始めています。それで、官邸からの指示は?」
「私の知る限りでは、まだ」
「危機感を感じてらっしゃらないということですか」
「現状について正確に把握していないんですが、中国は、本気で台湾の潜水艦を拿捕する気なんでしょうか」
「フリゲート艦とミサイル駆逐艦で沈没を阻止する支援をしているとは、考えられませんからね」……
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