【前回まで】都倉響子は、CIAの上席分析官・レビンの「尋問」を受ける。彼が示す写真には、留学時代の親友・劉唯の顔が。彼女は今では諜報機関で対日工作のエキスパートだという。
Episode5 四面楚歌
18(承前)
数枚の英文の文書が、副官から差し出された。
「そこに劉唯の略歴があります」
1ページ目にある略歴には、彼女が中国に帰国後、国家安全部に籍を置き、着実にキャリアを積み上げていった軌跡が記されていた。
「失礼ですが、先生は、劉が帰国後、連絡が取れなくなったと仰っていますが、それを裏付ける証拠がありますか」
「そんな証拠なんて……。もしかして、私を中国のモグラだとおっしゃりたいんですか」
レビンは、再び沈黙して都倉を見つめていたが、やがて肩をすくめた。
「失礼しました。そんなつもりはありません。ですが、かつてのご学友だったとはいえ、華首相が、先生をあんなデリケートな外交案件に引きずり込むには、それなりの理由があると考えなかったのですか」
あるのかも知れないが、私には分からない。どうしても、その答えが欲しければ、華を拉致でもして尋問すればいい。
「先程申し上げた通り、劉は、対日工作のエキスパートです。日本の政財界の重要な地位にある人物、さらには著名なジャーナリストを、少なくとも10人以上は現地工作員[アセット]としてコントロールしていると、我々は考えています」
「その10人は、特定できているんですか」
レビンは答えなかったが、顔が「YES」と言っている。
「では、私をその一人だとでもおっしゃりたいんですか」
「我々が彼女の全てのアセットを把握しているわけではありません。
むしろ、私たちが知っている10人は、さして重要なアセットではないとも考えられます」
私は「重要なアセット」だと言いたい訳か。
「ちなみにCIAの私に対する評価を教えてもらえますか」
「お恥ずかしい話ですが、まったくのノーマークでした」
「なのに、私を売国奴だと非難している。そもそも、私は日本人だし、状況証拠すらない。非礼極まりないと思われませんか」
「しかし、何の見返りもなく中国の首相が、拿捕した台湾軍の潜水艦と乗員を解放するなんて、どう考えてもあり得ないんです。その理由を明確にして下さったら、我々は引き下がります」
「ですから、私にお尋ねになっても、お答えできません。でも、こんな不毛な議論が起きている状況を考えると、これこそが、彼らの目的ではないでしょうか」
「どういう意味です?」
「本来、中国がやりそうもない行為を、日本の政治家から説得されて実行した。そういう筋書きを作れば、日米台の首脳は、疑心暗鬼になるだろう。そして、日米安全保障条約という岩盤にヒビを入れられる」
この窮地を脱したいという思いに駆られて、口にしたのだが、案外、“当たり”かも知れない。
「つまり、我々は中国の術中に嵌まっていると?」
都倉は黙って頷いた。
「では、あくまでも中日安全保障条約の提案を受けてはいないと、おっしゃるわけですか」
「受けていないのですから、そうとしか申せません」
副官がタブレットを、都倉に渡した。
在日米軍司令官の名で発せられた通達書のようだ。
3日以内に、横須賀基地の第七艦隊及び、沖縄嘉手納基地所属の第18航空団は、グアムへ移動せよ――とある。……
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