(前回「第1回 レーニン 帝国の創始者(前編)」はこちら)
2.ロシア革命から内戦へ
1917年
世界大戦の重圧はロシア帝国を軋ませた。兵士輸送の負担が運輸を疲弊させ、広大な帝国の経済的一体性を弱めた。これが都市部の食糧供給に悪影響を与え、住民の不満を高めた。1917年2月末、ペトログラード(開戦直後にドイツ風のペテルブルグから改称した)で労働者の街頭運動が起こると、守備隊兵士も合流して革命となった。カデット主体の臨時政府が成立し、ロマノフ朝は消滅した。エスエルとメンシェヴィキは1905年の経験にならって各都市にソヴィエトをつくり、労働者と兵士の組織化に努めた。民主的な講和の早期実現に向けて臨時政府に圧力をかけるというのが、エスエル・メンシェヴィキの方針であった1。
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