ユダヤ文化を知る――正統派のラビが日本大使を「茶の湯」でもてなした話

執筆者:徳永勇樹 2024年9月22日
エリア: アジア 中東
水嶋光一・在イスラエル日本国特命全権大使(左、当時)のためにお茶を点てるユダヤ教正統派のラビ、モルデカイ・グルマハ氏(右)[写真:筆者提供]

 多くの戒律を厳守するユダヤ教正統派のラビ(高僧)は、真夏でも全身黒づくめで山高帽を被っており、日本人からするとやや近寄りがたい雰囲気がある。そんなラビたちに日本の抹茶を味わってもらおうと、Culpedia(https://culpediajp.com/)の徳永勇樹さんが始めたのが「ラビ茶」プロジェクトだ。お茶を通して、遠い異国の文化との意外な共通点が見えた。

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 2021年6月14日、イスラエル中部の町クファル・ハバッドのある邸宅で2人の人物が相対していた。スーツ姿の男性は水嶋光一・在イスラエル日本国特命全権大使(当時)。全身黒ずくめのもう1人は、ユダヤ教正統派のラビ、モルデカイ・グルマハ氏。書棚には300年以上も昔の本が並ぶ薄暗い部屋の中で、ロウソクの火が2人の手元のカップに黒光りするヘブライ文字を照らし出す。前代未聞の「茶会」の始まりである。

 世界が固唾を飲んで見守るガザでの戦いの背景のひとつに、ユダヤ教とイスラム教、それぞれの宗教が存在することは知られている。ユダヤ教およびユダヤの文化とはいかなるものなのか。かつてイスラエルに留学し、かの地の人々と互いの文化を通して交流した筆者が、悲惨な戦闘が続く今だからこそ、その経験を読者と共有したい。

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ラビに抹茶を飲んでもらう

 筆者は2019年10月から2021年9月まで、イスラエルのエルサレム市にあるヘブライ大学に留学していたが、新型コロナウイルス禍でアジア人差別の被害に遭った。それまで日本人だと言えば様々な人々に歓迎してもらっていたのが、たった数週間で状況が一変し、理不尽な理由で社会から爪弾きにされたのだ。石を投げられたり、唾を吐きかけられたり、社会における少数派の弱さを深く実感し、自分のアイデンティティを再度問い直す機会となった。

 日本に一時帰国し、安心できる居場所を実感してようやく、自分は日本人なのだと感じることができたのだが、心の底では、自分が固く信じてきていたアイデンティティが簡単に揺らぐ状況に、ひどく怯えていた。当時は友人にも気軽に会えなかったので、一杯やりながら愚痴をこぼすというわけにもいかなかった。

 そんな時、知人の紹介で、茶道歴70年を超える裏千家の茶人、小泉宗敏先生とご縁を頂いた。恥ずかしながら、筆者はそれまで抹茶ラテや抹茶アイスを口にしたことはあっても、抹茶という飲み物をちゃんと飲んだことがなかった。小泉先生が点てたお茶を頂いて、うまく表現できないがとにかく美味しかったことを、昨日のことのように覚えている。悩みや孤独を感じていた時だったからかもしれないが、お茶が全身に染み渡るような感覚があった。後に筆者が伝統文化に関する取り組みを始めたのも、今思えばこの1杯がきっかけだったのかもしれない。

 ちょうど同じころ、やはり知人の紹介で、東京在住のラビ、ビンヨミン・エデリー氏と京都在住のラビ、モルデカイ・グルマハ氏とも知り合った。ラビたちは日本在住歴が長いが、常に山高帽を被り、ユダヤ人としての生き方を異国で実践している。イスラエル留学を中断して一時帰国せざるを得なかった筆者は、彼らの家を頻繁に訪れ、ユダヤ教の歴史や精神を聞くようになった。

 そんな折に、ふと「ラビはお茶を飲めない」という話を聞いた。より正確な言葉を使えば、「コーシャ認証」を受けたお茶でなければ飲めない。イスラム教のハラル認証については、日本でもすでに市民権を得ているかもしれないが、実はユダヤ教にもコーシャという食べ物に関する宗教上の制約がある。当時、日本でコーシャ認証を受けた茶はほとんどなく、ラビたちは長年日本に住んでいるにもかかわらず、抹茶を飲む機会がなかったという。

 この話を小泉先生にしたところ、非常に関心を持って下さった。先生はこれまで台湾、中国、フランス、米国等で日本の茶の湯文化を広める活動を続けてきた。筆者も大学院の修了プロジェクトを何にしようかと思案していた矢先だったので、「コーシャ認証を取ったお茶を、ラビたちに飲んでもらう」というアイディアを思いついた。小泉先生は、普段やり取りのある茶園をご紹介くださるという。エデリー氏とモルデカイ氏にも伝えたところ、2人とも「ぜひ飲みたい」とのこと。これで準備は整った。

世界初「コーシャ茶の湯セット」完成

 コーシャには主に3つのルールがある。

(1)禁じられた動物を食べてはならない

(2)肉と乳製品を一緒にしてはならない。同時に食べてはならず、食器や調理用具も肉用と乳製品用に分ける

(3)肉はコーシャ処理(ラビが自らユダヤ教の宗教規定に従って食肉処理・解体する)をしなければならない

 禁じられた動物とは、牛、羊、ヤギ、鶏、七面鳥などを除く多くの肉類(したがって豚やイノシシも禁止)、イカ、タコ、カニ、エビ、サメ、貝類などウロコのない魚介類、他にも昆虫が該当する。この他にもさまざまなルールが存在するが、それは別の機会に譲る。

 一見、肉や魚に関するルールばかりで、野菜やお茶などの植物には関係ないと思われるかもしれないが、決してそうではない。ラビが語った抹茶のコーシャ認証のためのポイントは次の4点だ。

1.ダニ・害虫の除去の徹底(虫を摂取することは宗教上禁じられているため)

2.工場設備・周辺環境の審査(衛生管理のみならず周囲の工場等の確認)

3.畑から加工場までの輸送体制の審査(異物混入を防ぐため)

4.パッケージの材質・工程における異物混入回避の徹底

 虫の混入はコーシャの定義上で禁止されているが、ラビによっては化学物質の混入にも気を配る。ユダヤ教が「人を大事にする宗教」である以上、仮に禁止動物でなくとも、人間の健康に害をもたらす製品を流通させるわけにはいかない。ラビが自らの足で畑や工場に出向くのにも、相応の理由があるのだ。

 今回訪問した茶園では、茶葉収穫から包装まで全て半径1キロメートル以内で完結していたため、比較的容易に認証を取得することができた。仮に複数の茶園の茶をブレンドさせる場合、その全ての茶園を訪問する必要があるため、当然認証のハードルが上がってしまう。

 審査を担うラビは青少年期を通じてユダヤ教の教典を学び、専門の試験を通過した宗教エリートだ。ラビという言葉もヘブライ語で「わが師」を意味し、ユダヤの範として教えを体現し続けることを誇りとしている。ユダヤ教3300年の歴史を背負う存在として絶対的な権威を持つ存在なのである。ラビたちは食品そのもののみならず、調理器具や食器にまで神経を尖らせる。日本人家庭の台所では、エビや豚肉の調理は一般的だが、厳格なユダヤ教徒は、その時点でシンクが「穢れている」とみなし、台所に近寄ろうともしない。

 視察中にこんなことが起きた。茶園の客間で出された緑茶にラビたちは決して手をつけようとしない。「まだコーシャ認証が取れていない」ということもあるが、理由はそれだけではない。湯飲みや急須の洗浄方法などを確認しなければ、せっかく出されたお茶であっても飲めないのである。ラビは失礼をわび、香りだけをかいでいたが、このような「徹底した厳格性」がコーシャの正統性を担保しているともいえる。

茶園で生産過程を確認するラビたちと筆者(右端)[写真:筆者提供]

 また、コーシャ認証は本来食品に付与されるが、一定の条件を満たすと道具に対しても付与できる。茶園視察に合わせて、茶筅と器の工房も訪れ、製作現場を見学することとなった。奈良県高山町は歴史的に茶筅の生産地として知られる。今回訪れた工房は、室町時代から続く伝統工芸職人のお宅で、材料となる竹の生産から自らの手で行っている。茶碗は、京都の京焼の工房を訪れた。ここでは、小泉先生の発案で、誰でも簡単に茶を点てられるようにデザインされた茶碗も作っている。こうして、抹茶、茶筅、茶碗の3点セットが認証を受け、世界初の「コーシャ茶の湯セット」が生まれたのだ。

 余談ながら、コーシャ認証を得た後も、道具の管理は徹底しなければならない。前述の通り、豚肉やエビなどユダヤ教の禁忌動物を扱ったシンクで取り扱うことは禁じられている。小泉先生宅でラビたちの茶碗を扱う際は、キッチン以外の水場で、しかも、この茶碗専用の新しいスポンジを使って洗うように徹底した。

今度はラビたちに茶を点ててもらう

 こうして初めて抹茶を飲むことができた2人のラビは、大変感動した様子だった。発案から半年近くかかってしまったが、ラビにお茶を味わってもらうことができて小泉先生も筆者も嬉しかった。そして、せっかくだからラビにもお茶を点ててもらおうと、裏千家の点前を小泉先生が説明した時のことである。ラビが「似ている……」と呟いた。

 話を聞いてみると、ユダヤ教では安息日(毎週金曜日の晩から土曜日の晩にかけて、一切の労働が禁じられる日)が始まる前に宗教道具を清める動作があるらしいのだが、それと目の前で繰り広げられるお点前が似ているというのだ。筆者は直感的に、これは面白いのではないかと思った。

 筆者が小泉先生から教わった茶の湯の精神とは、平和の精神、日本人が持つべき心、リーダーとしての心構え、そして、お客さんをもてなす心――といったものだ。一方でラビたちからは、ユダヤ教は人を大事にする宗教で、安息日には様々な人をもてなすことになっている、という説明を頻繁に聞いていた。日本の茶の湯文化とユダヤ教の精神、一見大きく違う文化だが、言っていることはそう違ってはいない。何より、京都の人もユダヤの人も、ともに長い歴史を持ち、伝統を大事にしてきた人々だ。お茶を通して、両者の間にシナジーが生まれるかもしれない。ラビたちにただ日本のお茶を飲んでもらうだけではなく、ユダヤ教のしきたりで抹茶を点てて、客人をもてなしてもらうのはどうだろう。

 こうして、ワビ茶ならぬ「ラビ茶」プロジェクトが始まった。

もてなす客人は在イスラエル日本大使、場所はラビの自宅

 グルマハ氏がイスラエルに一時帰国した際に、エデリー氏の旧知の水嶋在イスラエル日本大使を彼の邸宅に招き、お茶を振舞うことを決めた。

 小泉先生が茶の湯の精神について説明するのを熱心に聞いた後、ラビたちは聖書を開いて参考になる個所はないかを探し始めた。少し経って、ユダヤ教の安息日におけるしきたりのうち、いくつか茶の湯にも応用できそうな風習を取り入れることにした、という。安息日は喜捨箱にお金を入れるところから始まる。これは、自分の感謝を具体的に示す行動であり、「ラビ茶」プロジェクトでも、参加者がコインを喜捨箱に入れるところから茶会を始めることとした。また、ユダヤ教で器をふくときにヘブライ語で清浄・純粋を意味する「ナ・キ」の文字を書く習慣を参考に、本茶会でも同様の対応を行った。

ラビのお点前を見守る裏千家の小泉宗敏氏(右)[写真:筆者提供]

 風習の違いが独特な調和を生み出した瞬間もあった。新品の食器を使い始める際には、天然の水(雨、川、海など)で洗わなければならないというユダヤ教のしきたり(沐浴規定)があるため、ラビたちは小泉先生のもとで茶を習う前には、京都を流れる川に出向いて洗浄をしたという。2月のまだ底冷えする寒さの中、冷たい川で食器を素手で洗浄し客の来訪を待つというエピソードは、百人一首に登場する「君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ」という歌が思わず頭に浮かぶ。

 指導を担当した小泉先生もまた、日本人の価値観とユダヤ教の価値観に共通点を見出したという。「一般的に、茶道では茶杓(抹茶を掬う竹製の道具)についた抹茶を落とす時には、茶杓で器を強く叩かないことになっています。これは、高価な器を傷つけてはいけないという発想から来ていますが、ラビさん(※小泉先生はラビをこう呼ぶ)たちは何も言われなくても茶杓を自分の手に当てて落としていました。道具を大事にするという価値観が日本人ととてもよく似ています」と話した。

お茶菓子はイスラエルの国民的スナック菓子で

 そうして月日が経ち、冒頭の場面に戻る。開始定刻になると、まず水嶋大使が入場し着席した。次に通訳のイスラエル人女性とラビが入場した。ラビから大使に対して本日の茶会に参加してもらったことへのお礼があり、おもむろにラビがコインを箱に入れ始めた。続いてラビに促された一同は、募金箱に小銭を入れていく。日本の茶会では絶対に見られない光景だが、日本のしきたりとユダヤ教のしきたりで外せない個所を残した結果だ。

 次にお茶菓子が運ばれてきた。干菓子には、ひなあられに似たイスラエルのスナック菓子『バンバ』(イスラエルの子どもたちは皆バンバを食べて育つのだという)。そして主菓子は、現地の方が作られたカップケーキ。言わずもがな、どちらもコーシャ認証を受けた素材でできており、ユダヤ教徒も食べることができる。なお、気になるお味だが、バンバは素朴なイチゴ味、カップケーキは中東原産のデーツ(ナツメヤシ)入りで、どちらも抹茶にぴったりだという。

 いよいよラビが抹茶に手を伸ばした。ユダヤ教では何かを始めるときに水で手を清める習慣がある。慣れた手付きで抹茶を器に移しお湯を加え、茶筅を前後に動かし始めた。不思議な静寂が場を支配する。水嶋大使もその見慣れない光景に思わず見入っている様子だった。日本式の茶の湯にユダヤ教のお祈りが加わる、まさにラビ茶の真骨頂ともいえるシーンだ。

 茶道具にもこだわりがある。抹茶を入れる器(なつめ)には、本来ユダヤ教徒が安息日にワインを飲む銀色のコップを使用した。お香が入っているのはユダヤ教の蠟燭立て。元々の用途も意味も全く異なる道具が、茶会の雰囲気に独特な安定感をもたらしているのは、やはり、ユダヤ人たちの生活に根差した道具だからだろう。

 最後に参加者にお土産が配られた。スパイスのチョウジ(クローブ)の小袋だ。ユダヤ教では、安息日の最後に、チョウジの匂いを嗅ぐ風習がある。今回の茶会の主人であるラビ、モルデカイ・グルマハ氏も「とても素敵な経験になった。今後とも茶会は定期的に続けていきたい。京都に馴染みのある方々などをお招きしたい」と意気込みを語った。

日本文化を盛り上げる「見立て」

 ところで、今回のラビ茶について後日、茶の湯に詳しい知人に説明したところ、「それは、まさに“見立て”だよ」と言われた。

 その時はよく意味が分からなかったのだが、茶道の流派の一つである表千家のHPでは、「見立て」について以下の通り説明している。

〈千利休は、独自のすぐれた美意識によって道具類の形を定めたり、本来茶の湯の道具でなかった品々を茶の湯の道具として「見立て」て、茶の湯の世界に取り込む工夫をしました。 この「見立て」という言葉は、「物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る」という物の見方で、本来は漢詩や和歌の技法からきた文芸の用語なのです。

~中略~

 利休に留まらず当時の茶人たちが、喫茶用としての茶碗といえば唐物の茶碗が主流であったのに対して、朝鮮半島の雑器であった高麗茶碗をわび茶の道具として採り入れた精神や、当時の南蛮貿易でもたらされた品々を茶道具に転用したのも、「見立て」の精神だといえるでしょう。このように、茶の湯に何かを採り入れて、新鮮で趣のある試みを加えようとするのが「見立て」の心でした。近代では、早く仏教美術などの品々が茶室に採り入れられたり、また世界各地の陶磁器やガラス製品、あるいは金属製品なども茶道具として「見立て」られています。

 茶の湯を楽しく実践し革新する上でも、この「見立て」の精神は、茶の湯の原点とでもいうべき心なのです。たとえば、旅先でその土地の伝統工芸品などを眺めつつ、これを蓋置や香合として見立てられないかなど考えながら歩くのも旅の楽しみであり、茶の湯の生活の楽しみでもあります。また、すぐれた美意識を伴った「見立て」の心が、各地の伝統工芸や伝統産業を活性化させる可能性もあるでしょう〉

 長々と引用したのは、筆者が千利休に匹敵する茶人だなどと言いたいからではもちろんない。日本の強みは、自分たちの幸せや豊かさを追求するために、仮に他国の文化であっても、自由な発想で自分たちのやり方に組み込むことができる柔軟性だと、改めて認識できたことを強調したいからだ。「良いものは良い」と受け入れることができるのは、単に柔軟性だけでなく、自分の生活や人生に対する前向きさを表すのだと思う。

 ハロウィンやクリスマスを祝う日本人は節操なしだ、と断ずるのではなく、良いものは取り入れ新たな文化にしてしまう柔軟性こそが、日本の文化の深さと多様さ、異文化を受け入れる度量を十分に示していると思うのである。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
徳永勇樹(とくながゆうき) 食客/東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員。1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。英語・ロシア語通訳、ロシア国営放送局スプートニクのアナウンサーを経て、2015年三井物産株式会社入社。4年半の鉄鋼製品海外事業開発、2年間のイスラエル留学を経て、社内シンクタンク株式会社三井物産戦略研究所にて政治経済の分析業務に従事。商社時代に担当した国は計100か国以上 。2024年7月末に退職しプロの食客になる。株式会社住地ゴルフでは、一切の業務が免除、勤務地・勤務時間自由という条件のもと、日本と世界の文化研究に専念する。G7及びG20首脳会議の公式付属会議であるY7/Y20にも参加。2016年Y7伊勢志摩サミット日本代表、2019年Y20大阪サミット議長(議題: 環境と経済)、Y7広島サミット特使を務める。新潮社、ダイヤモンド社、文芸春秋社、講談社、The Mainichiなどで記事を執筆。2023年、言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべくCulpediaを立ち上げた。
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