欧州最大の自動車メーカー、フォルクスワーゲン(VW)グループが過剰生産能力のために、大規模なリストラを迫られている。電気自動車(EV)不振の背景には、去年12月に政府がEV普及政策を一転させて、1年前倒しで購入補助金を廃止するなどの、政策の激しいブレがある。
(筆者注:電気自動車=EVには電池だけを使うBEVと、電池と化石燃料を併用するプラグインハイブリッド=PHEVがありますが、本稿ではEVという言葉をBEVの意味で使っています。ドイツでは、いわゆるハイブリッド車=HVは電気自動車と見なされていません)
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トヨタに次ぐ世界第2位の自動車メーカー、VWグループは今年9月に、欧州での自動車販売台数の低迷や、中国事業の不振などを理由に、経費削減策の強化を発表した。同社のオリバー・ブルーメ社長は、これまでタブーだった、国内の一部の工場の閉鎖や、従業員の解雇も辞さないとしている。
中核ブランド部門の低い収益性
VWグループを最も悩ませているのは、ゴルフやパサートなどを生産・販売するコア・ブランド(中核ブランド)部門の営業利益率(営業利益と売上高の比率)の低さだ。
コア・ブランドは2023年のVWグループの販売台数約936万台の内、約52%を生産・販売する最重要部門である。ところが2024年上半期のコア・ブランドの中のVW乗用車部門の営業利益率は、わずか2.3%で、同じVWグループのポルシェの15.7%、アウディの6.4%に比べて低い。競争相手のルノーの8.1%、ステランティスの10%にも劣る。
このためVWグループの経営陣は、大規模なリストラによって、経費を100億ユーロ(1兆6000億円・1ユーロ=160円換算)減らして、コア・ブランドのVW乗用車部門の営業利益率を、2.3%から6.5%に引き上げることを目指している。
欧州の自動車市場は、コロナ禍前の状態をまだ回復していない。VWグループのアルノ・アントリッツ財務担当取締役は、「欧州の自動車市場では、コロナ禍前に年間約1600万台の自動車が売られていたが、今後は年間販売台数がこの数字よりも約200万台少なくなる。VWでも販売台数が約50万台減る」と指摘した。
VWグループでも、コロナ禍の傷が完全に癒えていない。同社の年次報告書によると、2019年のVWグループの販売台数は1095万6000台だったが、2023年には936万2000台に減った。159万4000台の減少だ。この内コア・ブランドのVW乗用車部門の販売台数は、66万1000台減っている。18%の減少である。2022年のロシアのウクライナ侵攻以来、ドイツを覆っている景気後退も一因である。
VWグループは、ドイツ国内の10カ所に主要工場を持っている。経営陣の説明によると、コア・ブランドで2つの工場が余分になる。アントリッツ取締役によると、コア・ブランドは以前から、売上高が費用などをカバーしていない。つまりVWグループは、コア・ブランドが抱える過剰生産能力を、今回のリストラによって減らそうとしている。
販売台数の約33%を占める中国事業の不振
アントリッツ取締役のコメントの中で注目されるのは、彼が中国事業の不振を認めたことだ。同氏は、「中国でのシェアが減っているので、もはや中国からの利益によって、国内事業の低い利益率をカバーすることができない」と語った。
中国部門は、2023年のVWグループの販売台数の約33%を占めており、コア・ブランドに次いで重要な部門だ。VWグループの中国市場のシェアは長年にわたり首位だったが、去年の第1四半期に、初めて中国企業BYDに首位の座を奪われた。
不動産バブルの崩壊や若年失業者の急増により、中国では自動車の販売台数が減っている。唯一伸びているのはEVとPHEVである。だがVWは、中国の消費者が好むような割安のEVを開発するのが遅れた。
ドイツの経済日刊紙ハンデルスブラットは、8月16日付電子版で、「2020年からの4年間で、VWグループの中国での販売台数は43万台減った。VWグループの中国でのマーケットシェアは、19%から14%に減った」と報じている。かつてVWグループは、伝統的に強みを持つ内燃機関の車によって、中国でのEVの弱さを覆い隠すことができた。だがハンデルスブラットによると、中国で登録された新車の内、内燃機関の車が占める比率は、2020年の94%から、2024年上半期には59%に減った。中国では値引き競争と政府の潤沢な補助金により、EVの方が内燃機関の車よりも安くなっているからだ。
つまりVWグループは、稼ぎ頭だった中国からの収益によって、国内事業の低収益率を糊塗することが、困難になった。このためコア・ブランドにメスを入れざるを得なくなったのだ。
政府のEV拡大政策を信頼したVW
さてVWグループは、ドイツの自動車業界で、EVシフトに最も力を入れてきた企業だ。BMWやメルセデスがEVを経営戦略の中心に据えるのをためらっていた頃にも、同グループの経営陣は、「車の未来は、EVにある」と発言し、ポートフォリオの電化を急速に進めた。
同社は、2021年7月に発表した「ニュー・アオト」戦略の中で、2025年までに世界のEV市場のマーケットリーダーになるという目標を打ち出した。2030年までには、欧州でVWが売る新車の70%をEV、世界でVWが売る新車の50%をEVにする方針だった。
同社は2023年~2027年までの5年間に、研究開発に1800億ユーロ(28兆8000億円)を投資するが、その内電動化とデジタル化、電池の開発に68%を投じる予定だった。
この背景には、ドイツ連邦政府のEV普及政策があった。同国は、2045年までにカーボンニュートラルを達成することを目標にしている。オラフ・ショルツ政権が2021年12月に公表した連立契約書には、「2030年までにEVを1500万台普及させる」という目標が明記されている。これは、前のアンゲラ・メルケル政権が掲げた目標を踏襲したものだ。
ドイツで売られているEVは、内燃機関の車に比べて高価である。そこでメルケル政権は、2016年にEVを買う市民や企業向けの購入補助金制度を導入した。この補助金は、自動車メーカーと政府が支払った。それでも当初、EVの売れ行きは大きく伸びなかった。
転機は、2020年春にやってきた。コロナ禍が勃発し、ドイツの消費活動が急激に冷え込んだ。そこでメルケル政権は、景気浮揚策の一環として、EV補助金の内、政府の補助金の額を2倍に増やした。これ以降、価格が4万ユーロ(640万円)までのEVを買うと、政府と企業から最高9000ユーロ(144万円)もの購入補助金を受け取れることになった。
この措置は、ドイツにEVブームを引き起こした。連邦自動車局(KBA)によると、2019年に登録されたEVの新車の台数は6万3281台だったが、2023年には52万4219台のEVが新車として登録された。年間販売台数が、4年間で8.3倍に増えたのだ。
2019年の新車登録台数にEVが占める比率はわずか1.8%だったが、2023年には18.4%に増えた。逆にガソリンエンジンやディーゼルエンジンを使う車の比率は、2019年の91.2%から2023年には51.5%に減った。ちなみに購入補助金は、PHEVにも適用されたが、PHEVは化石燃料も使うことから補助金の額はEVよりも低く設定され、2022年12月31日に廃止された。政府は電池だけを使うEVを積極的に助成したのである。
ドイツ政府は2016年から2023年までに、213万台のEVとPHEVに約100億ユーロ(1兆6000億円)の補助金を投じた。財源は、気候保護・エネルギー転換基金(KTF)の2120億ユーロ(33兆9200億円)の資金だった。政府のEV拡大政策は、成功したかに見えた。ある意味で、経営戦略の中心にEVを置いたVWグループは、政府のモビリティ転換戦略をこの国で最も忠実に実行しようとした企業だ。
EUや政府の指示で生まれた人工的な市場
だが2023年11月にドイツ連邦憲法裁判所が、ショルツ政権の過去の予算措置を憲法違反とする判決を下して、事態は一変した。同裁判所は、ショルツ政権が余っていたコロナ禍対策予算を、エネルギー転換の予算に流用したことを違憲と断定したのだ。このためKTFの資金の内、600億ユーロ(9兆6000億円)が無効になり、予算に穴が開いた。ショルツ政権は、エネルギー転換関連の歳出を削ることを迫られた。この際に白羽の矢が立った分野の一つがEVだった。
ショルツ政権は、EV購入補助金を少なくとも2024年末まで続ける予定だった。ところが同政権は、去年12月17日に、事前の予告なしにEV購入補助金を廃止した。この決定は、自動車業界だけではなく市民にも強い衝撃を与えた。
ドイツ自動車クラブ(ADAC)の統計によると、2023年12月に登録されたEVの新車の数は5万4654台だったが、補助金が廃止された後の2024年1月には、2万2474台に半減以下になった。今年8月のEV新車登録台数は、前年同期に比べて69%も減った。ドイツ自動車工業会(VDA)は、ドイツでのEVの新車登録台数が、2023年の52万4219台から、2024年には29%減って、37万2000台になると予想している。
EV市場は、消費者の要望で自然発生的に生まれた市場ではない。温室効果ガス排出量を減らすために、EUや政府の指示に基づいて生まれた、人工的な市場である。したがって、購入補助金なしに持続させることは、極めて難しい。
補助金がなければ「高嶺の花」
その理由の一つは、ドイツでのEVの高価格だ。ベルギッシュ・グラードバッハのモビリティ研究機関・ドイツ自動車マネジメントセンター(CAM)によると、2023年にドイツで登録されたEVの新車の平均価格は5万2700ユーロ(843万2000円)だった。EVの車種は、2022年の78車種から2023年には105車種に増えたが、割安の小型車が少ない。価格が3万ユーロ(480万円)以下のBEVは3車種だけだった。VWの代表的EVであるID.3の価格は3万9995ユーロ(639万9200円)で内燃機関のゴルフ(2万9275ユーロ=468万4000円)よりも約1万1000ユーロ(37%)高かった。
ドイツの中古車市場には、状態が良い内燃機関の車が豊富だ。たとえば約3万キロメートル走っただけのレンタカーなどが、新品同様の状態で、中古車市場に移って来ることがよくあるが、値段は新車の半分程度になる。だが2024年の上半期の時点で、中古車市場で売られていた車の内、EVはわずか6%にすぎない。これでは、EVは庶民にとって高嶺の花である。補助金がゼロにされたら、高価なEVを買う市民の数が減るのも無理はない。
自動車市場を専門とする経済学者フェルディナンド・ドゥーデンへーファー教授は、「購入補助金のカットは、破局的だ。1500万台のEVを普及させるという政府の目標は、夢物語だ」と述べ、ショルツ政権を厳しく批判した。
VWグループの大株主の一つであるニーダーザクセン州政府のシュテファン・ヴァイル首相も、9月25日に同州議会で行ったVW危機についての演説の中で、「連邦政府が去年12月にEV購入補助金を廃止したことは、失敗だった」と述べ、ショルツ政権の決定に強い不満を示した。
KBAによると、2024年1月の時点でドイツで使われていた乗用車4910万台の内、EVは約141万台。全体の2.9%にすぎない。補助金廃止によって、2030年までに1500万台のEVを走らせるという政府の目標達成は、さらに遠のいた。
2023年の販売台数の中にEVが占める比率は、VWグループで8.3%、BMWで14.7%、メルセデス・ベンツで11.8%と低い。
市民に懸念を与える「朝令暮改」
日本では、時々「EVの時代は終わった」という論調も見られる。だが欧米では、中長期的には、モビリティの脱炭素化のためにはEVが主流になるという見解が依然として有力だ。欧州自動車工業会(ACEA)のルカ・デ・メオ会長(ルノー社長)は、「世界は、EVに向けて走り出している。もう後戻りはあり得ない。ただしEVは政策によって生まれた市場なので、政府の補助金による支援が不可欠だ」と語っている。
また米国フォード社のジム・ファーリー社長もドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)の9月13日付電子版に掲載されたインタビューの中で、「EVシフトを野球の試合にたとえれば、まだ9イニングスの第1回だ。EV、内燃機関の車、ハイブリッド車が混在する期間は、現在考えられているよりも長くなるだろう」と述べ、世界の自動車業界のEVへの移行は始まったばかりという見方を示している。
現在ショルツ政権は、VWなどの自動車メーカーを苦境から救うために、産業用電力料金への上限設定、電力料金の内、電力を送るための費用(託送料金)を減らすための助成、内燃機関を廃車にしてEVを買う市民に対する廃車ボーナスの支給、購入補助金の復活などの案を検討している。
だがこれまでドイツ政府が見せたEV政策をめぐる朝令暮改は、多くのユーザーに強い懸念を与えている。ショルツ政権は、本当に交通部門のCO2削減を目指すのならば、違憲判決によって歳出削減を迫られた時に、慌ててEV購入補助金を廃止せずに、他の部門の歳出を減らすべきだった。多くの市民、自動車メーカーの経営者たちは、「政府はモビリティ転換を本気で推進する気があるのか」と首をかしげているに違いない。
不況のために、ドイツの実質GDPの成長率が去年に続き、今年も0.2%のマイナス成長になることを考えると、2020年から2023年まで続いたEVブームが、復活する可能性は低いと言えそうだ。VWグループは、政府の補助金に依存せずに、価格競争力を強化するためには、身を切るような厳しい改革を断行せざるを得ないだろう。