中東の新しい地政学(前編1):シリア革命の余波、ロシアとイラン「抵抗の枢軸」の地政学的後退

執筆者:滋野井公季 2024年12月28日
エリア: 中東
シリアはロシアにとってアフリカ戦略の拠点であり、イランにとっては戦略と「抵抗」の前線だった[ハーフィズ・アル=アサド元大統領の銅像を引き倒す学生たち=2024年12月15日、シリア・ダマスカス](C)AFP=時事
ハマースによる対イスラエル越境攻撃からアサド政権の崩壊まで、中東で起きた連鎖的な衝突において誰が勝ち、誰が負けたのか。「前編1」「前編2」では、この1年強で戦略・地政学的に大幅に後退したアクターの動向を見る。明確な敗者としてはアサド政権のみならず、ロシア、イラン、ヒズブッラー、ハマースが挙げられよう。それぞれの描いた戦略は、シリアという要衝を失うことでロジスティクスの崩壊を余儀なくされた。

 アレクサンダー・グレアム・ベルはかつて「一つの扉が閉じれば別の扉が開く」と言った。2023年10月7日のハマース軍事部門によるイスラエルへの越境攻撃は、イスラエルの大規模な報復――ジェノサイドと評価される一方的な大規模破壊・殺傷――の戦端を開き、平和的な二国家解決の機運は閉ざされた。また、テルアビブはガザへの侵攻のみならず、この「国家安全保障上の危機」を口実に、ヨルダン川西岸地区、レバノン(対ヒズブッラー)、イラン、シリア(対アサド政権)、イラク、イエメン(対フースィー派)の7正面作戦へと戦線を押し広げた。

 この地域を――少なくとも「アラブの春」の蹉跌以降――覆ってきた(下方硬直や縮小均衡と呼べるような)束の間の膠着状態は終わり、中東はいま、新たな地政学的現実に開かれた。ハマース軍事部門によるイスラエルの越境攻撃が、54年間続いたシリアの専制の終焉に連鎖することを誰が正確に予想できただろうか? そしてこの結末は、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻の余波でもある。では、この地域の地政学的布置はどう変わったのだろうか?

 本稿は、2023年10月7日以降に、この地域で何が起きて、その結果どうなったのか、そして今後どうなるのかという問いに取り組む。「前編1」と「前編2」では、この1年強で戦略・地政学的に大幅に後退したアクターの動向を見ていく。続く後編では、反対に地政学的な勝者に焦点を当てた上で、議論の射程を広げて中東地政学の今後の展望を占っていく。

地政学的な敗者

 2023年10月7日以降の大規模な戦闘を含む一連の連鎖的な事象の結果、中東情勢は国家間・アクター間によって明暗が分かれた。勝敗の帰趨は明らかである。明確な敗者は、崩壊したシリアのアサド政権は無論のこと、距離的に10月7日の中心から遠い順に、ロシア、イラン、ヒズブッラー、そしてハマースである。その含意を、大局的な戦略と局所的なロジスティクスの2つの観点から概観してみたい。

ロシア――アフリカの戦争経済への影響

 2011年の「アラブの騒乱」以降、ロシアとイラン、親イラン派勢力であるレバノンのヒズブッラーがシリアのアサド政権を支援してきたことはよく知られている。モスクワがシリアに積極関与する理由の一つはラタキアにあるフメイミーム空軍基地とタルトゥースに構えた軍港の存在である。地政学的に、ロシアは不凍港を求めて南下政策を採ることが戦略的に必然と言われてきたが、地中海に面したタルトゥースの第720物的技術保障拠点は、大陸国家(ランドパワー)のロシアにとって唯一の地中海への出口であった。

 モスクワは、シリアをアフリカ戦略のロジスティクスの中心に位置づけてきた。というよりも、近年過度に依存してきた。アサド政権の瓦解に伴ってラタキアとタルトゥースを失うことになれば、モスクワが民間軍事会社ワグネルを通じて地歩を固めてきたアフリカ諸国(スーダン、リビア、中央アフリカ、マリ、ブルキナファソ、ニジェールなど)へのアクセスは制限され、専制君主の「治安維持」に与してきた武器の密輸や莫大な利益をもたらした金塊の密輸、そして違法な傭兵事業に影響が出ることは必至である。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
滋野井公季(しげのいこうき) 東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員研究員 1991年生まれ。専門は国際政治、経済安全保障、イスラーム政治思想。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程満期退学。アルジャジーラ研究所客員研究員、ハマド・ビン・ハリーファ大学人文社会科学研究科客員研究員、外務省専門分析員、コンラート・アデナウアー財団リサーチ・アソシエイト、政策研究大学院大学リサーチ・フェロー、東京大学公共政策大学院共同研究員などを経て現職。
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