ヒゲから始まり全身脱毛へ…脱毛にハマった坂井教授が気付いた「不自由」とは? 美容広告あふれる現代に考える
『美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる』エリース・ヒュー/著、金井真弓/訳、桑畑優香/日本語訳(新潮社)

光速進化のコスメ、肌管理ルーティン、世界一の美容整形ビジネス。米国人女性記者が赴任したのは「美容都市ソウル」だった。たちまち美容沼にはまり、自分を〝改善〟していく記者。どんな選択肢もあるなら、どこまで美しくなるべきなのか?
体験と考察が融合したユニークなレポートを、「全身脱毛でトゥルントゥルン」になったことで知られる美容男子の坂井豊貴・慶大教授が読み解く。
***
BTSからSBC(湘南美容クリニック)へ
K‐POP男性アイドルには体毛がない。そのことに何年か前に気付いた。YouTubeでBTSを見たときだったと思う。おそらく脱毛をしているのだ。わたしは長年ぼんやりと、脱毛したいと思っていた。ヒゲが嫌なのだ。嫌な理由は2つある。第一に、毎日剃るのが面倒だ。第二に、自分はヒゲがない顔のほうがマシな気がする。
第一の理由は、それなりに普遍的なものだと思う。ひげ剃りは面倒だし、肌が傷むし、ときどき血が出る。第二の理由は、非常に個人的なものだ。わたしは、オンライン会議で自分の顔をパソコン画面で見る機会が増えてから、自分の鼻の下が青いことが気になるようになった。
そこでいくつかの美容クリニックに相談に行ってみた。中には価格が不明瞭で、かつ大変高額な所もあった。結局わたしは湘南美容クリニック(SBC)を選んだ。価格設定が適度かつ明瞭で、相談員の方が施術に詳しかった。なお、わたしは決してSBCの回し者ではなく、ただ『美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる』の面白さを伝えたいだけの評者である。米国ラジオの特派員エリース・ヒューが、美容大国の韓国に赴任して、美容にハマった顛末や、美容文化を論じたりする著作だ。
ひとまず同書のことは措こう。わたしはSBCでヒゲや顎の全6回コースを契約した。5万円くらいだった。脱毛は長く通う必要があると聞いていたが、それは完了に時間がかかるという意味だ。個人差は大きいと聞くが、わたしの場合、初回の施術後から効果が出はじめた。完了までは長く通う必要があるが、施術の効果は早々に出るわけだ。
鼻の下が青くない。それは感動的な経験であった。
わたしは気をよくして、脇の脱毛も追加で契約した。半袖シャツから見えたら汚いのが嫌で、それまで夏場は剃るか切るかしていた。脇は面積が狭いので、大した費用はかからなかった。脇は脱毛の効果が出やすく、わたしの場合、3回でほとんど生えなくなった。こうなると楽しい。短パンをきれいに穿きたいわたしは、脚も脱毛することにした。
やがてわたしの脱毛の考え方は変わっていった。「なぜその部位を脱毛するのか?」ではなく、「なぜその部位を脱毛しないのか?」へと変わった。そう見方が変わったとき、わたしは全身脱毛のコースを契約していた。なお、この間わたしはSBCから1回たりとも契約の勧誘や営業をかけられていない。
脱毛する自由と、脱毛せねばならない不自由
わたしは全身脱毛で解放感を得た。全身トゥルントゥルンの快適さによる解放感だけではない。旧来的な「男らしさ」の観念から脱するような解放感だ。Xでその良さを語ったら、「週刊ポスト」から取材の依頼が来た。わたしはロングインタビューに答え、表紙に小さくだが顔写真が載った。名門学術誌の表紙に名前が載ることを誇りとする学者は多いが、週刊ポストの表紙に顔写真が載ったことを自慢する学者はわたしだけである。
脱毛を公言した反響は大きかった。久々に会った男性の友人知人からは、自分も脱毛をはじめたとよく言われた。彼らは一様に、わたしと同様の解放感を感じているようだった。男性は社会から、体毛の処理を強制されていないし、処理しないのが当然という通念がある(この通念は若い世代では変わりつつあるが)。だからこそ、脱毛は自分の意思で選ぶことだし、その実行には解放感がともなうのだろう。自由の行使にともなう解放感だ。
一方、女性の友人知人は、そのような反応はしなかった。脱毛している女性は多いし、珍しいことでは全くないからだろう。彼女らにとって、脱毛する男性は珍しくとも、脱毛という行為自体はありふれたものだ。「脱毛して喜ぶなんて、意味が分からない」といった反応もあった。そんな費用がかかること、わざわざしなければよいのにと。わたしは遅まきながら、男性が体毛を処理することが市民権を得つつある一方で、女性が体毛を処理しないことは、おそらく市民権を得ていないであろうことに気付いた。
エリース・ヒューは同様のことをK‐POPアイドルに指摘する。K‐POPアイドルの男性は、「女性らしい」方向を含むよう、許容される容姿の規範が広がった。一方で、K‐POPアイドルの女性は、「男性らしい」方向を含むように、許容される容姿の範囲は広がっていない。「刈り上げヘアで男らしい魅力を持つK‐POPのガールズグループを、聴衆はどのように受け入れるだろうか?」と彼女は問う。
容姿を美しくする、あるいは一定の範型に収める圧力が、社会にはある。
米国で生まれ育ったエリースは、十代の頃、広告やカタログのモデルとして働いていた。だがあるときダイエットで摂食障害になってしまった。以来、彼女は美容に励んだり、考えたりするのをやめるようにした。しかし彼女は韓国で、美容の顔面注射に625ドルを払うようになる。周囲の環境がエリースの考えをそのように変えた。
エリースは米国で暮らしてきた30年間、自分のそばかすを気にしたことがなかった。しかし彼女の韓国での環境は、そばかすを取り除くべきものとして扱った。やがてエリースは、そばかすを隠すBBクリームを使うようになった。そして美を謳う商品と広告に囲まれて暮らすうち、「修正すべきもの」は、そばかすだけではないと思うようになった。肌に潤いを与えるピンク注射や、しわを減らすボトックス注射を受け、赤ちゃんにはフェイシャルエステを受けさせるようになった。外見重視の環境で育った娘は、アルファベットを覚えるよりも早く見た目の重要性を理解した。
容姿への自由と、容姿からの自由
本書に登場するリンジィ・カイト医師は「すべての女性が美しい、欠点も何もかも含めて」というメッセージは、素晴らしいが、問題を解決しないと言う。自分がそのように思うとしても、「ウエストが太いとか、二の腕がたるんでいるとか」を、個人の力で他者に突然思わせることはできない。そしてSNSは多様な美のあり方よりも、均一化された美の基準を強化するよう働く。
資本主義を動力とする美容産業は、顎の形状や顔面の縦横比をはじめとする、美の基準を提示する。数値化を尊ぶテクノロジー社会はその傾向と親和する。整形手術の施術や、顔画像の加工は、そうした美の基準を追認するように従う。それらの画像がSNSで広まり、基準は自己強化していく。
そうした社会の渦の中で、エリースはルッキズムに囚われる。外見の美しさを人間の価値と結び付けることを当たり前にする。だが彼女はあるときエリザベスという韓国系アメリカ人と話す機会をもつ。エリザベスは「ねえ、わたしはきれいじゃないけれど、そんなこと気にしてないわよ」と苦もなく言う。エリースは戸惑い、咄嗟に「あなたはきれいですよ」と言いたくなったが自分を抑える。そもそもエリザベスは外見の美しさなどに価値を置いていないことに気付いたのだ。そして自分がルッキズムに浸っていることに気付く。
容姿の美において、均一化を拒否すること。そもそも容姿の美という観点を、拒否ないし矮小化すること。エリースが達した次の結論は感動的なまでに凡庸だ。大切なのは、自身のさまざまな欠点も含めて「自分は価値ある人間だと信じるようになること」だ。
美容整形の車内広告と、アプリで加工された美男美女の画像が溢れる時代における、容姿の自由とは何か。自分が望むように自分の容姿を「改良」する自由は、その望みが社会に強いられたものでないならば、自由の一種ではあるだろう。だが容姿に囚われないことが、数段上の自由としてあろう。前者を容姿への自由と呼ぶならば、後者は容姿からの自由である。エリースは後者の価値を謳う。

- ◎坂井豊貴(さかい・とよたか)
慶應義塾大学経済学部教授。米国ロチェスター大学Ph.D.全身脱毛、眉のアートメイク、AGA治療にいそしむ美容男子。主著『多数決を疑う』(岩波新書)は高校国語の教科書に収載。近著に”Preference manipulations lead to the uniform rule” (with Bochet and Thomson), Journal of Economic Theory, 2024.
- ◎エリース・ヒュー Hu,Elise
アメリカのジャーナリスト、ポッドキャスター、作家。NPR(米国公共ラジオ放送)の韓国・日本担当局創設時の担当局長を務めた。海外特派員として12カ国以上から報道。2025年2月現在「TED Talks Daily」のレギュラーホスト。ジャーナリストとしてエドワード・R・マロー賞やデュポン・コロンビア賞などを受賞。ミズーリ大学コロンビア校ジャーナリズムスクール卒業。ポッドキャスト制作会社「Reasonable Volume」の共同設立者で、3人の娘の母親でもある。ロサンゼルスに在住。
- ◎金井真弓(かない・まゆみ)
翻訳家。千葉大学大学院修士課程修了。大妻女子大学大学院博士課程単位取得退学。訳書に『幸せがずっと続く12の行動習慣』『わたしの体に呪いをかけるな』『欲望の錬金術』『#MeToo時代の新しい働き方 女性がオフィスで輝くための12カ条』『フェローシップ岬』などがある。
- ◎桑畑優香(くわはた・ゆか)
翻訳家、ライター。早稲田大学第一文学部卒業。延世大学語学堂、ソウル大学政治学科で学ぶ。訳書に『BTSを読む なぜ世界を夢中にさせるのか』『BTSとARMY わたしたちは連帯する』など、監訳書に『BEYOND THE STORY : 10-YEAR RECORD OF BTS』日本語版がある。